第一話:ゴミ捨て場の邂逅
『捨てられた人形』
第一話:ゴミ捨て場の邂逅
アパートの裏手にある、薄汚れたゴミ集積場。
壁に立てかけられた鉄製のフェンスは一部が歪み、雑草が隙間から這い出していた。あたりには、誰かが捨て忘れた扇風機や傘の骨が散乱し、無造作に重ねられた黒い袋の山が、ゆっくりと湿った夜気に沈んでいる。
尾宅夫は、うんざりした顔で、片手に持った燃えないゴミ袋を重たげに持ち上げた。
彼は大学三年の春を迎えたばかり。授業にもバイトにも身が入らず、ほとんどの時間を自室で過ごしている。フィギュアやアニメに囲まれたその空間は、彼にとっては“現実”よりもずっと居心地が良かった。
「ったく、当番じゃなきゃ、こんな夜中にゴミなんて捨てに来ないんだけどな……」
ぶつぶつと独りごちたそのとき、ふと視界の端に、異物が映った。
ゴミ袋の隙間から、何かが突き出ている。
白く、小さく、細い“手”のようなものだった。
「……手?」
思わず足が止まった。
ぞわり、と背筋を何かが這い上がる。
近づくと、それは明らかに人の手の形をしていた。指先には爪があり、皮膚の質感も妙に生々しい。だが、それ以上に気味が悪いのは、その手が……あまりにも“綺麗すぎる”ということだった。
恐る恐る、彼はその手の根元をたどるようにして、ゴミ袋をゆっくりとめくった。
現れたのは、長い髪を乱れさせた少女の姿だった。
いや、少女“のような”何か――人間ではない。
「……これは……人形?」
淡く色づいた唇。細く整った眉。閉じられたまぶたの下から、長いまつげが影を落としている。首筋には、精密なラインのようなものがわずかに走り、そして頭部には――カチューシャのような、円形のアンテナが装着されていた。
古びた金属の質感が、夜の街灯に鈍く光る。
そのとき、彼の中の何かが、静かに軋んだ。
「……捨てられてたのか、おまえ」
誰に話しかけるでもなく、呟くように言った。
しばらくその場に立ち尽くした後、尾宅夫は少女――いや、アンドロイドを、両腕に抱えて持ち上げた。
思ったより軽い。人間ほどの重量はない。
「ま、放っておいても……誰も拾わねぇよな。だったら、うちに置いてやるか」
冷たい機械の肌が、夜気を含んでひどく冷たかった。
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彼女の名は「沙羅」
シャワーの音が止まり、湯気のこもった風呂場の扉がゆっくりと開いた。
床に座らせた少女の髪を、ドライヤーで乾かす。思った以上に柔らかく、人工繊維とは思えない手触りだった。
顔についた汚れをタオルで丁寧に拭き取ると、その顔立ちがはっきりとわかる。
美しい。――それは、ただ整っているという意味ではない。
どこか“人間らしい”陰影がある。かつて誰かに愛された記憶でも刻まれているかのような、深み。
布団の上に横たわらせると、アンテナが微かに震えた。
そして――
「……起動、シークエンス……開始」
不意に、耳元で機械音声が響いた。
彼女の目が、ゆっくりと半開きになる。
無表情。焦点の合わない瞳。唇がぎこちなく動き、棒読みの言葉を紡ぐ。
「識別コード……S-A-R-A……仮称、沙羅。システム、部分的再起動。記憶領域……一部欠損」
宅夫は、呆然とその様子を見つめていた。
やがて、息をひとつ吐くと、言った。
「沙羅……か。いい名前だな」
その言葉に、アンテナがぴくりと動いた。
わずかに上向いた先端が、喜びのような感情をかすかに示している。
無表情のままだが、確かに彼女は、何かを感じ取っているように見えた。