凄いところに乗っています
「すぅすぅ」と、ジノの呼吸の音が急速に落ち着きを取り戻しはじめて。
エルザ達は、ほぅと息を吐きだした。
いたわるように、ジノの額に浮かんだままの大粒の汗を柔らかい布でぬぐってやる。
そうするエルザの額も汗だらけだけど、彼女は気にしていない。
「助かったよ。あんたの力がなかったら、今頃こいつは間違いなく死んじまってた」
垂れてきた汗だけ手で拭った彼女は、黒騎士に向き直りお礼を告げる。
「俺からも礼を言うわ。あんたが居なかったら俺はこの街を出なきゃならなかったんだ」
黒騎士の助けがなければ自分が貴族の屋敷に入り込んでジノを取り戻すつもりがあったというウィガロは、軽薄な印象よりずっといい男だった。
やっぱり、僕がもつ印象はあてにならない。
黒騎士はスマートに片手をあげた。
「それに、はぐれの坊主もありがとな。お前の良薬には本当助かった。名前はティオ、だっけ?」
ウインクしながら僕にもお礼をいうウィガロの仕草は、いつかのエルザの仕草を思い出させる。
この二人、似てるところは少ないけれどやっぱり同郷だなぁ。
だけど残念ながら僕はティオではありません。
「あいあい。てぃおじゃないのようぃがお」はいはい。ティオじゃないのよウィガロ。
「ハハ何言ってんのか聞き取れねぇんだよ。こいつ俺の名前いえねぇみてぇだわ」
僕の活舌の悪さではウィガロと会話がままならないようだった。
なんという屈辱。
なんというリスニング力の低さ。ウィガロの。
僕が屈辱に胸を痛めていると、ウィガロが立ち上がった。
「にしても、おせぇなロッツォのやつ」
そう。僕も気になっていた。
ジノも黒騎士もここにいるというのに、黒騎士と行動を共にした筈のロッツォの姿がここにはない。
「薬屋まで一緒にいったのかい?」
「いんや。アイツには布を持って来いって走らせたから」
「布……協会まで取りにもどっているのか、それとも雑貨屋か……。
雑貨屋の隣は金物屋だったね?」
エルザの言葉に、ウィガロが顔をゆがめた。
「雑貨屋いっちまってたら、やばいな。俺ちょっといってくるわ!」
ウィガロは言うや否や足早に小屋から出て外に飛び出した。
あっという間に見えなくなるウィガロの背中。
「今のロッツォが金物屋の親父とあっちまったら、あの子なにするか分かんないよ」
エルザのつぶやきが、ウィガロが去った小屋の中に重い空気を残した。
「わん!」
僕が連れてきていたわんこの声は、急に騒がしくなり始めた街の喧騒と同時だった。
ざわざわざわざわと、この小屋まで聞こえてくる人々のざわめき。
目を細めたエルザは、僕と。それから黒騎士を見た。
そして少しだけ悩み。
「悪いけど、少しの間ジノの事をまかせてもいいかい?」
時折寝苦しそうに「ぅぅ……」と声を漏らすジノを指しながら僕ではなく、黒騎士に問うエルザ。
彼女の予感は、ウィガロが向かったばかりの先で何かが起きたような気がしていて。
きっと、それは外れていない。
僕もそう思うから。
僕がみてくるよ!と言いたいところだけれど、きっと優しい彼女は、子供の僕一人にその役目を任せる事はしないだろう。
僕は彼女の指示に従うべく、黒騎士に視線を向けると。
彼は僕の方を見ていた。
絡み合う視線。
ひぇぇ。
何何?いつからこっち見てたのかなぁ?!
僕の背中を冷たい汗が流れ落ちていく。
そういえば、エルザがいってしまうと黒騎士と二人ここに残ってしまう。
二人っきりではないけれど。
三人目のジノは寝ているから実質二人。
急に忙しく回転し始めた頭をフルに動かしながら、僕はエルザと一緒にここを離れるべく。
「いや、俺が行こう」
「ぼくあみにいきましゅ!」僕が見に行きます!
勇んで発した言葉は、見事なまでに黒騎士と重なってしまった。
ええぇぇ……。
「そうかい、悪いが頼むよ」
頼むんかい!
僕は急に行く気力が急速に萎んでいくのを感じたけれど、ヤル気に満ちたわんこが「わふわふ」いいながら伏せして背中を差し出してくるから余計に嫌気がさした。
この犬……。
僕の気持ちを全然理解出来ていないじゃないかっ
中々背中に跨らない僕を、不思議そうに見ているわんこの目の前で。
僕の小さな身体には、たくましい腕が二本伸びてきてひょいっと持ち上げられあっという間に物凄く高い……肩車?
がーんとショックを受けたようなわんこの様子に、ざまぁと内心思うけれど。
「行ってくる」
僕の下から聞こえてきた見事な低温ボイスに、此処が巨漢の美丈夫の肩の上だという事を思い至ってしまった。
まじか。
黒騎士はその大きな身体に似合わず俊敏で、長い手足を動かすと景色が流れる様に過ぎていく。
僕は彼の肩にちょこんと乗せられたまま。
死んだような目で目的地を見据えていた。
雑貨の隣にある金物屋。
ジノに濡れ衣を着せた金物屋の親父。
傷ついたジノを見たロッツォ。
金物屋の敵意。ロッツォの敵意。
いい予感がまったくしない。
街の喧騒に嫌な予感が増し増しになって。
先に向かったウィガロが見せた、「この街に住めなくなる」と言っていた時の好戦的な目を思い出す。
ああ、嫌だなぁ。
だけど、もっともっと嫌な事が僕にはある。
それは、僕を肩車して風のように街をかけぬけるこの巨漢の。
「ん、どうした?」
ひぃっ。
悪口を言っているのがバレた気がして、僕は彼に担がれたままビックっと身体を跳ねさせた。
恐ろしい。
何て恐ろしいものに僕は跨っているんだろうか。
これなら、あの空気の読めないわんこの背中の方がまだよかったはずだった。
ビクッとなった僕の動きは、当然黒騎士にも伝わったようで。
「……おしっこか?肩の上は辞めてくれ」
「ちあいまちゅ」違います。
このくっそっっっ
黒騎士の謎の推測に僕は間髪入れず否定を返した。
鋭いんだか、鈍いんだか分からない恐怖の大男が怖くて、強い癖にへたれっぽいし、なのに僕より強くて。怖くてくやしい!!