二
《熊本地震前震》
そのとき夕食を終えた私は親と共にテレビをみながらリビングでくつろいでいた。
だらだらとソファーにねそべっているといきなりドンッ!と下から突き上げるような感覚があり、その後体験したことのない揺れが襲った。
とっさに起きあがったものの、初めての大きな地震になすすべもなく揺れがおさまるのを待った。
たった数十秒が何分にも感じられる、それほど長く恐ろしい時間だった。
揺れがおさまり周囲を見る。
電気はついている、ものも落ちていない、窓から外を見ると日常とかわらない風景があった。
テレビで情報を見てから、大きな地震だったなと思って終わり。
次の日からも普通の日常があるはずだった。
《熊本地震本震》
夜中だが翌日が休みとあって、ベッドでスマホを見ていると前回よりも大きな突き上げと初めて体験する横揺れがおきた。
瞬時に頭の中にこれまで読んだ地震のときのやることがよぎる。
ドアをあけなければ!!
なぜかそれが一番に頭にあった。
地震関連でよく聞いていたのだろう。
スマホをつかんで飛び起き、玄関ドアを開けて閉まらないように物を挟む。
次に向かいの親の部屋のドアを開けて、怖くて固まっていた親を廊下にひっぱり、大きな揺れがとまるまで座り込んでいた。
しかし次々に大きな余震がくる。
マンションだから余計に揺れを感じた。
4月とはいえ肌寒いので一人一枚毛布を羽織り、非常用持ち出し袋と充電器、貴重品をもって家を出た。
マンションのまんなかあたりの階からひたすら階段を降りて外に出ると、小雨がぱらついていた。
揺れ動くマンションが恐ろしく見える。
呆然とそんなマンションを見つめる人たちや泣いている人もいた。
15分ほど歩くが広域避難場所に行くと決めていたので深夜揺れる中親を連れて歩いた。
落下物に注意しながら歩いていくとたくさんの人が公園にいた。
公園にいかないのかと親に聞かれたが、広域避難場所のほうが安心できるからと先を急いだ。
避難所はまだ開設されておらず、人も他に家族が3組ほどしかいなかった。
市の体育館なので前にベンチがあり木から離れたところで開設を待った。
頭上ではヘリの音が続いていて、地面は揺れ続けていた。
少しして市の職員の方が、避難所を開けてくださり、畳を敷いた武道場で休むことができた。
建物も大丈夫そうで安心したが、避難してくる人は増えておらず大抵が公園や学校にいっていたと後で知った。
一人暮らしの幼なじみに連絡して、合流し夜を明かした。
充電できるコンセントも準備してあり、水もプールがあるので停電でもトイレに困ることはなかった。






