婚約破棄と前世の記憶は突然に 1
「オルコット=リコエッタ。お前との婚約を破棄させてもらう」
それは、今まで侯爵令嬢として蝶よ花よと育てられてきた私にとって青天の霹靂だった。
婚約者のレナルド様に愛されていなかったことは知っている。それでも私は彼を愛していたし、たとえ政略結婚でも彼のそばにいられるなら何だっていいと思っていたほど。彼のためなら、作法の勉強も、ダンスのレッスンも、何だって耐えられた。
彼の方も、血筋や能力にそつがない私に利用価値を感じていたはずだ。
それなのに、これは一体どういうこと?
「お前は、異界からの落ち人で、聖女であるヒカリに対して酷い仕打ちをしただけでなく、ついに階段から突き落とそうとしたらしいな? お飾りの婚約者とはいえ僕まで恥ずかしい。恥を知れ!」
まるで演劇に出てくるみたいなセリフ、とぼんやり思った。現状に思考が追いついてこなかった。
そんなことはしていないとか、私は何も悪くないのにとか、愛していたのにとか、愛されたいとか、無性に、殺したいとか。頭の中がいっぱいになって考えられなくなったけど、ただ一つだけ分かることがあって。
「本当なら処刑にしてもおかしくないが、僕には慈悲があるからな。オルコット、お前は国外追放で許してやろう。二度と僕とヒカリの前に姿を現すな!」
────私、この場面、知ってる。
知ってるって、何。オルコットって誰?
いやそもそも、どうして今まで、こんなクズ男を愛しく思っていたのかが少しも分からない。ふふ、おかしい。おかしくって、意味もわからないまま愉快な気持ちだ。
ズキズキと頭が痛む。それと同時に、よく分からない言葉が脳内に溢れる。あぁ。さっきから、今までの私なら考えなかったことばかり思いつく!
悪役令嬢。愛してたのに。婚約破棄。裏切られたのね。聖女。頑張ったのに。舞台装置。運命だった。濡れ衣。乙女ゲーム。オルコット。王子様。学校。ヒロイン。仕事。攻略対象。パソコン。私。私って、誰?
私は、『私』。
私は、『オルコット=リコエッタ』。
ぐにゃり。思考が混ざって、溶け込んだ。
今思えば、この瞬間。私の頭の中で、深刻なエラーが発生していたのだろう。きっと何かしらのバグが起こって、私と私が統合されて、新しい『私』になった。
目の前には、やけにキラキラした金髪碧眼の男が立っている。レナルド様。彼はシルヴィス王国の第一王子だから、きっとこのまま王位を継ぐ。俺様で自信家で、仮にも婚約者に『お飾り』とか平気で言えてしまうノンデリカシー男。
こんなやつに執着していたなんて心底バカらしい!
私は、目の前で気持ち良さそうに暴論を振りかざしてふんぞりかえっている、私の婚約者だった男に対して思いっきり手を振りかぶった。
「ッ、ふざけんじゃないわ! そんなの、こっちからお断りよ!! このナルシストポエマークソ王子!!」
パシン、と気持ちの良い音が大広間に響き渡る。この瞬間、正式に私の国外追放が決まった。
「ねぇ、アルト。ここは何処かしら」
「おそらく隣国であるシルヴィス帝国の地方都市、ミレトスの近くでしょうね」
「まぁ素敵! 私、ずっとミレトスに行ってみたかったの!」
「どうしてそんなにポジティブなんですか!? お嬢様は国外追放されたんですよ!」
「あら。あんな国、こっちから願い下げよ。国外追放にされなくても出て行ってやったわ! 王家の奴らったら、こっちが大人しくしてたら好き勝手言いやがって……! 末代まで呪ってやるわ。むしろアイツらが末代になるといいのよ」
私はそう言って、どこまでも広がる青い空を見上げた。綺麗な青色は何処までも澄み渡っていて、日焼けをしたら淑女らしく見えないからと、部屋に引きこもっていた生活が馬鹿みたいに思える。
国外追放された。
身一つ、執事付きで。