第999話 クロスステッチの魔女、山道を歩く
村境の石積みを越したからと言って、すぐに村に入れるわけではない。『村の土地』は『村の居住地』とは限らない、というごく単純な理由によるものだ。獣を追って狩りをする森、木の実や枝を拾える場所、汲んでもいい水も、すべてが村境の石積みで決まる。
ゆえに、これを勝手に動かすようなことがもしあれば――いつかに聞いた、じいさまのじいさまくらいの古物語によると――下手人はそれはもう、大変に残酷な殺し方で命を奪われ、村同士がとんでもない争いになると言われていた。苔を早く生やさせるために、石積みを作る時は水をかけたりするらしい。
『境の石積み』自体は、山の外でも見る。飛んでいると、よく飛び越す。それでもこの山で見る石の色と苔の感触には、『下』の村と違った、どこか懐かしさを感じていた。苔の種類なのかもしれない。
「マスター、ここから村まではどれくらいかかりますか?」
「歩いてみないとわからないけど、二日はかからないはずよ。土地の管理は難しいの。北方山脈だと崖だのなんだのも多いし、踏み固めておかないといけない道も、時折泊まって手入れをしないといけない山小屋の管理も入るし……そういえば、あの人達はまだいるのかしら」
洞窟に隠れるようにして暮らしていた、私達と『違う』人達は村の土地にいた気がする。彼らをどういう扱いで住まわせていたのか、そもそも彼らは何なのか、それは思い出そうとしてもまったくわからなかった。ただ漠然と、違う言葉を話されて、怖かった記憶だけはある。今会えたら、違う感想を抱くのだろう。
「今日は全部、魔法でなんとかしてしまいましょう。村の土地だから、枝を拾ったりするのもやめておくことにして……」
魔法の蝶の導きに従って、お世辞にも歩きやすいわけではない山道を登る。都会の、石を敷いてあるような道ではない。ただ土を踏み固め、侵食する草を刈り取って維持している道だ。それも十全ではないらしく、一部は完全に草に呑まれている。そうでなくても、傍から伸びてきた藪や木の枝によって、見づらくされている場所もある。あの村はなくなってしまったから、いずれ、用向きのなくなったこの道も絶えてしまうのかもしれない。
「昔は村も道も、ずぅっと在り続けるものだと思っていたのだけれど」
そんなことを考えながら、枝をたわませて通り過ぎる。飛んでしまえばあっという間なのに、なんというか、そう――この不便さが懐かしくなって、もう一度、やりたくなったのだった。




