968話 クロスステッチの魔女、部屋でひと息つく
いい気分で温泉から出て村長の家に戻ると、私の寝台が用意されていた。よく整えられた綺麗なシーツに、夏場だからと薄い布団。枕はよく羽を振るって、ふかふかにしてもらえていた。アンナ――村長の妻――は私と一緒に温泉にいたから、多分、使用人がいるのだろう。そういう人は、客人の前に姿を見せないのがこの辺りの礼儀だ。
(私もよく言われたなあ。あの魔女さまの時は、先に向こうから声をかけられたから別だったけど)
地域や身分によっては、むしろ使用人は見せびらかすことを魔女になってから知った。お師匠様やお姉様いわく、『使用人を複数抱えられるだけの家であること』は見せびらかしてこその誉れであり、財布が苦しい家でも、時間働きの使用人を雇ってでも客人の前では頭数を揃えるのだとか。私には、馴染めそうにない話ではある。
とりあえず昔を思い出しつつ、明日私が帰った後にその人が掃除するであろう窓枠へ立つ。魔女の砂糖菓子の包みをひとつ、窓枠へ置いておくことにした。念のため、虫の羽を生やした小人の絵を描いておく。妖精の印は、見えない人として振る舞っている人へのものだから。
(通じるといいのだけれど)
エルロンドの村ではこういうことはなかったから、やりそびれてしまった。少し申し訳ないことをしたな、と思いつつ、ルイス達にも「これはここに置いて行くから、触っちゃダメよ」と言い聞かせておく。
「これはここの人の対価として、置いていくんだから」
「溶けないといいですね」
「夏といえどこの辺りは涼しいから、大丈夫なはずよ……たぶん、一応」
なんだか怖くなってきたので、私は魔法で砂糖菓子を保存しておくことにした。かわいい袋の布も、せっかくだから何かに使って欲しいと思う。
「……お師匠様なら、こういうところに来た時、どう過ごしていたのかな」
ふと、そんなことを考えた。お師匠様は、北の出身ではない。ちゃんと聞いたことはないけれど、多分、エレンベルク中央部とかの、少なくともお天気が穏やかなところのはずだ。だから多分、北の文化には慣れていない、と思う。少なくとも、見習いと使用人の区別がついてなかった頃の私がお客から隠れようとしたら、そのことは叱られた。見習いがいることも、魔女にとって誉れになるから、と言われ、とてもドキドキしながら客人の前でお茶を淹れたりしたものだ。
「まあ、私はお師匠様ではないのだし、自分なりにやっていくしかないのだけれどね」
結局、結論はそうとしか言えなかった。




