第929話 クロスステッチの魔女、焚き火で話す
「魔女様、よかったらその革いりますか? 火の御礼に差し上げますよ」
「この小さな焚き火ひとつでこれは、流石に『雪屋根がすぎ』ない……?」
私の口からぽろりと漏れた言葉に、ジョナサンは一瞬考え込む顔をした。今の慣用句が通じなかったのだろうか。こういうエレンベルク北部全体で通じる言い回しのはずなのだけれど……それとももしかして、もう、古臭くて誰もそう言わないとか……?
「魔女様と焚き火を囲んで雨宿りできたなんて、俺ぁ後で散々自慢する気ですからね! できればちょっとした、証拠になるものなんぞもらえたら……」
ふむ、と私は相槌を打ちながら考えた。よく頼まれるけれど、だからこそ慎重にならないといけないとよく言われているものだ。魔法の大半は魔女にしか扱えないとはいえ、魔女の素養のある娘がどこにいるかはわからない。ジョナサンが何気なく村娘に触らせたら魔法が発動した、なんて、十分にありえる話だった。何せ他ならぬかつての私自身がそういう、『田舎の魔女』だったのだから。魔女というのは身分の高い娘や都会の女から魔女になる印象が強いようだけれど、素養のある女達なら田舎にだっている。
「証拠になるもの……これは?」
しばらくカバンを漁った私は、《灯火》の魔法を出してきた。軽く魔力を込めると、刺繍した部分がぼんやりと光るのをジョナサンに見せる。
「これでどう?」
「光った、魔女の魔法だ!」
ジョナサンは大喜びで刺繍を受け取ると、本当に私に鹿革を渡してきた。慌てて押し返そうとしても、そのまま丸ごと押し付けられる。
「受け取ってくだせぇ、『俺の天秤が望んだ』ことですんで」
あ、これはわかる。グレイシアお姉様が前に言ってた、西方部の言い回しだ。それなら仕方ない、と言って、私はその鹿革を受け取ることにした。何に加工するかは、これからのお楽しみだ。
「魔女の魔法をもらったなんて、嬉しいなあ」
「灯りの魔法ひとつで、そんなに喜べるだなんて。ちゃんと灯りが灯せるかは、その人の素養によるから保証できないわよ?」
これについては、人間に魔法を渡すときの大切なことなので、しっかり念押しをしておくことにした。魔女の素養に乏しくても、明かりをつけるくらいならできる魔女未満はたまにいる。こうやって人間に流れた魔法を、ちょっとだけなら使えるようなまじない師だ。けれど、ジョナサンがそうとは限らないし、そういう才能の持ち主がいない土地も多い。魔女が詐欺師ではないことをわかってもらうには、必要だった。




