第906話 クロスステッチの魔女、計画を考える
パイ包みは、私にとってはちょっとしたご馳走だった。多分、外ではそうではなかったのだろう。料理屋や宿屋でそれほど高価でもなく注文できる料理であることが、いまだに少し、不思議な気がする。
「まあ、あそこってまず小麦は買うものだったからなあ……」
畑にするほどの平地がない。あっても、寒い土地なので多分それほど育たなかったと思う。そういうことに気付いたのは、私があの村を出て、魔女になったからだった。万が一何かがあって村を出たとしても、人間のままでは、精々、麓の村で下働きをした程度で終わっただろう。魔女であるからどこへでも、箒に乗って飛んでいくことができる。
「僕は、マスターの故郷を知りませんけれど……その、時折聞く範囲のお話では。マスターは、故郷を出られてよかったと思います」
「ありがとうね、ルイス」
「寒いところだったなら、アワユキ、見たことあるのかもー?」
「そうねえ、そうなのかも。毎年、雪はすごかったから」
ふと、帰ってみようかしら、なんてことを思った。帰ろうにも、場所なんてもうわからないけれど。知っている人なんて、きっともうほとんどいないし——するような思い出話だってない。
「ねえ、みんな。私の故郷がどこかもうわからないけれど……探してみて、いい?」
「どうしてそんなことを聞くんです。マスターのお望みなら、僕は全力でお支えしますよ」
「アワユキ、行ってみたーい!」
「わたくしも、あるじさまのお望みの通りに」
「もちろんついていきます」
すぐには出発しない。やりかけの依頼はまず終えておきたいし、北の方を当てもなくうろつき回るには、足りないものが多すぎた。第一、冬になる前に帰る必要もある——山奥の村では、冬越しはいつもギリギリになる。秋に不意に魔女がやって来て、そのまま春になるまでいるとなれば、誰だっていい気分にはならないだろう。たとえ燃料や食料は自分でなんとかできるとしても、屋根は必要だ。それに何より、今年の春の二の舞になるのが目に見えている。
「まずはどの辺りか、ある程度見当をつけて……本当に名前なんて意識してなかったからなあ。山の名前は見てもわからないだろうけど」
「アルミラ様にお聞きになってみては?」
「自分の生まれ故郷を忘れているなんて言ったら、大笑いされた後にお説教されそうだもの。それに、自分の力でやってみたいわ」
買い物にもいかないといけない。旅用の日持ちのする食糧を少々買って、紅茶の感想を言いに行こう。これから里帰りをしようとする前に、あの街に行くのが必要だった。




