第904話 クロスステッチの魔女、席を立つ
「マスターも、長い年月を過ごしたら落ち着かれたり、変わってしまわれるのでしょうか」
「さすがに、ずっと何もかも同じままではいられないからね。いつかは、そうなるんじゃないかしら」
マリヤ様とガヘリア様の様子を見て、ルイスは不安そうに私に言った。私はその銀色の髪を少し撫でてやって、思ったことを素直に口にする。私がどう変わるのか、きっと私自身にはわからないのだろう。随分と長い時間が経ってから、振り返ると自分が変わっていたと気付く——そういう感覚自体には、覚えがあった。
山を下りて、魔女になるための修業として何年も平地で暮らした自分を振り返った時。自分が山の薄い空気と酷い寒さからも、山羊の毛織物とチーズの味からも離れた。平地のゴツゴツしない地面に住み、空は遠く、羊の毛織物と牛のチーズを、感動も忘れて当たり前に享受する自分が、いつの間にかいた。そして、今は魔女として空を飛び、旅を繰り返し、あちこちで自分の好きなように飲んだり食べたりもしている。あの頃は、村から出ることもなく、山の下に行くことさえもなく、一生を終えると思っていたのに。
「変わることを楽しみなさいな、若い魔女。肉をなくせば、私達は本当に自由に、好きなように変われますから」
「変わることを恐れるようになったら、それは眠りに就く時だ。若い魔女には、勿体ない話だよ」
「……ありがとうございます、マリヤ様、ガヘリア様」
私が頭を下げると、二人が笑んだ気配がした。頭を上げて窓の外を見ると、気づけば、日が暮れようとしている。
「あら、大変。もう日が暮れちゃいます」
「《梟の目》は今日持っていないの?」
「ええ、置いてきちゃって」
帰らないと、と呟く私に、マリヤ様が水晶の波の交換を持ち掛けてきた。私は頷いて、自分の水晶を出す。マリヤ様の水晶は中に金色が散っている美しい球体で、ガヘリア様の水晶はゴツゴツとした六角柱と小さな茂みのようになった水晶の組み合わせだった。
「それじゃあ、次は水晶で呼んでいいかしら?」
「私も頻繁に出かける方なので、連絡をいただいてもすぐに来られるかはわかりませんが……それでいいのなら」
「魔女同士だもの、そういうことはお互い様よ」
「次はあんたの作った作品も、もう少し見せておくれ」
「はい!」
私がお二人に挨拶をしていると、《ドール》たちもそれぞれに名残を惜しんでお別れをしているようだった。それから頭を下げて、私達は揃ってお茶会の席を後にした。




