第844話 クロスステッチの魔女、鑑定屋を辞する
クッキーのレシピを交換したところで、私はお暇をすることにした。アンナはよっぽどお客が嬉しかったのか、お土産だと言ってクッキーの包みまでくれた。
「マスター、引きこもってないでお客様を呼ぶようにおなりましょうよ。たまには楽しいですよ」
「たまにだからいいのよ。もうあと十年、いえ、五十年はいらないわ」
楽しそうに提案するアンナに対してクリスティナ様は不満げだったが、私には連絡を取るかもしれないとさらりと言われた。とはいえ、それもエリー様経由となるらしい。
「水晶の波をあまり交換したくない。……いつでも誰かと繋がらされているというのが、嫌」
「本当にそう思われるのなら、魔都を出て、本当に人里から離れた場所に住まれればいいのに。そんなにご都合のいい話はありませんよ、エリー様にはもっと感謝するべきです。あの方が刺激を与えてくださらなければ、マスターはとっくの昔に《花園》に向かっておられます」
アンナが腰に握り拳を当て、胸を張るように立って軽く頰を膨らませた。ある程度マスターに対して文句を言う《ドール》、というのは珍しい話ではないけれど――姿こそ人形とはいえ、私たちがほしいのは友人や助手であり、物を考えることができない人形でいいのなら《核》を入れる必要はないから――ここまで元気に文句を言う子も珍しい。普通はなんだかんだ言って、もう少し大人しいというか、自分のマスターに対してここまでズケズケとは物を言わない。
(もっとも、それはお小言を言わないというわけではない。うちの子達だって、ここまでど直球ではないが私へのお小言自体は言う)
「ええと、私、同じ刺繍の魔女とは姉妹以外であまり会ったことがないんです。だから、鑑定以外でもエリー様経由で連絡をしてもいいですか?」
「……頼るなら、まずはあなたの師や姉を頼りなさい。それ以外なら」
「それ以外です」
小さく頷くことで許可をもらった私は、改めて椅子を立った。玄関先で、なるべく丁寧な淑女の一礼をする。
「今回は急なお願いを聞いてくださり、ありがとうございました」
「……大っぴらにして、人がごった返すのが嫌なだけよ。調べることは好き。とはいえ、これからは迂闊に変な物を拾わない方がいい」
「気をつけます――では」
軽く手を振ったクリスティナ様にもう一度軽く頭を下げてから、私はその家を出た。外を見ると、お日さまが高いところまで来ている。昼食と言うにはクッキーでお腹がある程度満たされているので、何か軽いものでも探すことにした。




