第348話 クロスステッチの魔女、ちょっとした交流をする
「マスター、下を見てください。さっきから、こちらに手を振ってる人が見えませんか?」
「あら、そうだわ。この辺りに人がいるのも珍しい気がするわね」
旅を始めて数日。空を行く魔女に人間の作った道は関係なく、街道を気にしないで旅をしていた。森を大回りすることもなく、壁があっても気にすることはない。良き隣人である魔女達を人間達は信頼してくれているから、好きに飛び越えても誰も何も言わない。地を歩くことしかできない人間の決まりを、どうして鳥と魔女に押し付けられようか。
そんな私達の旅は、人気のないところを行くことも多くて。今回もそういう、人の出入りのあまりないような森のあたりを飛んでいた。だからルイスに言われてまず、この辺りで人間を見たことに驚いた。確かに手を振っている――というか、あの仕草は呼び招いているのだ。何か、魔女に用があるらしい。
「ちょっと降りてみましょうか」
箒に降りるよう命じて、今日は朝から飛びっぱなしだった私は半日ぶりに地面に降り立った。毛皮でもこもこの服を着た、森の狩人といった風体の男が私を見て、子供のように笑う。
「おお、魔女様だ! 降りてきてくれて、ありがとうございます」
私より頭ふたつほど大きい男は、背中に弓と射落とした鳥を背負っていた。狩人は獣を相手に何日も森や山に入る孤独な仕事だから、私が知っている故郷の狩人は皆無口だったけれど、この男はむしろよく話した。
「狩の獲物も集まったし、もうすぐ村に戻ろうと思ってたんだが……魔女様とお人形様に会えただなんて言ったら、みんな羨ましがるなあ!」
「何か頼み事でもあって、私を呼び止めたのかと思ったけど……違うの?」
「おお! いえ、頼みてえことはありますが、魔女様ではなく俺たちでもなんとかなるかもしれねえことですし……あまりいいものではないかもですが、お茶は淹れさせていただきます」
そう言ってハンスと名乗った狩人は、私を狩小屋に案内した。狩人達が共同で手入れしながら使っていて、森や山に逗留する際の拠点である建物。人間や魔女の旅人でどうしても屋根のあるところで眠りたい場合は、狩小屋に入ることがあると聞いた記憶もあった。狩人達に宿賃を払い、あるいは代わりに少し働いて、一晩の宿を借りるのだ。
ハンスはどちらかというと好奇心で私を呼び止めたようで、甘い木の実のジャムをつけたパンと紅茶で歓待してくれた。
「魔女様はすごいなあ、こんなに細っこい腕で空まで飛んでしまうんだから」
そう言われるとなんだか、悪い気はしなかった。