第304話 クロスステッチの魔女、弟子入りを志願する
「私は当時、お師匠様……魔女様は、村の他の人々のように長居するとは思ってなかったの」
当時、村から出たことのなかったただの人間の田舎娘は、身分の高い人はもちろん町の人さえロクに見たことがなかった。それでも、お師匠様の立ち居振る舞いを近くで見ていれば、本来は自分達と住む世界が違う人だとわかっていた。こんな人が、こんな寒村に長居することは、ないだろうと思っていた。
「そもそもお師匠様は自分で用意した寝具とかを持ち込んでて、村長の家には屋根だけ借りてるようなものだったから。だからやっぱり一時的なもので、魔女の時間感覚次第だけど『ずっと』はいないだろうなって」
「なるほど……」
そして魔女様が去れば、自分はいつも通りの仕事に戻るだろうと……そう思いながら、家事をしていた。冷たくなっていく川の水を汲み、冬の蓄えに手をつけないよう厳命されながら料理をして、仕事の中に薪割りと枝拾いが増えていく、秋の記憶。それでも見上げた木の葉が色づいていたことや、虫の鳴き声が何かの音楽のように聞こえていたこと。甘い木の実を集めて作ったジャムのことを、今もよく覚えている。ただ、辛いだけの記憶ではなかった。綺麗なものは、寂れた村にもあったのだ。
「どうして、マスターは村を出たんですか?」
「うんうんー、今のまんまだとマスター、村から出なさそうー」
ルイスとアワユキの言葉に、外から見るとそう見えるのか、と私は苦笑した。あの小さな村にも美しいものはあったと、そう言いながら昔話をしていたからだろう。
「……あの日、洗濯物を干していたら、お師匠様が来てね。『ちょっと借りるよ』だけで連れ回されるのはまぁ、いつものことだったんだけど。その日は箒の後ろに乗せられて、随分と遠くまで出かけたわ。村で一番高かった、昔の塔が見えないようなところまで行くのは、初めてだった。言われた花を探して摘んでいた時、ふと見上げた景色のどこにも、塔がなかった」
今まで当たり前にあると思っていたものが、箒で半日しない距離を進んだらなくなってしまったことを。その衝撃を。村から出たことのなかった小娘にとって、それは世界がひっくり返るほどの大きなことだった。
「『塔が見えません』と言った私に、お師匠様は笑ってたわ。『あんたがすべてだと思ってる村も、塔も、本当にちっぽけなものなんだよ。決めなさい……村に戻って仕事と役目に縛り付けられ、鎖の隙間から美しいものを眺めるだけの人生か。それともここで仕事と役目を破り捨てることを選んで、あたしの弟子になるか』って聞かれて、帰るつもりだったのに。不思議なもので、するっと『弟子にしてください』って言ってしまったのよ」




