第107話 クロスステッチの魔女、駆け込まれる
ドンドンドン、と無遠慮なノックは、風の音とは明らかに違っていた。ルイスが床に降りて木剣の柄に手を伸ばし、厳しい顔になる。アワユキは私の膝から降りて、自然とルイスの後ろに立った。私は二人に静かにするよう、唇に人差し指を当てる仕草をする。真冬の想定外の訪問者は、あまりいい結果をもたらさないことが多い。いくら困り果てた人間が魔女の元に駆け込んでくることがあるとしても、そういうのは私の元ではなく、お師匠様の元や隣人のエレインの元であることがほとんど。だからつい警戒してしまったのが、二人にも伝わったようだった。
「はい、どちら様で?」
布の腕輪につけた《身の護り》の魔法の刺繍に魔力を通しながらドアを開けると、その向こうにいたのは毛むくじゃらの毛皮の塊だった。色も毛並みも様々な、多種多様な毛皮の塊。背丈は私より少し低い、奇妙な外套を着た人間だと一拍遅れて気が付いた。その目線が私の首にかけられた、魔女の証のペンダントに注がれた直後、若い娘の声が毛皮の塊から零れる。
「メルチ! メルチ、イヒラ、メル、ディ……」
「助けて欲しいんですか? 何をそんなに困ってるんです」
ルイスがそう言って剣から手を離すのが、私は一瞬気になった。けれどそれよりも、私にメルチを叫んできた彼女をまずは家に入れる。
「助けを求めてきたのなら、助けないといけないのが魔女の掟。さあ、中にお入りください」
残念ながら魔法でなんでもできないので、私たちが飲むために沸かしていたティーポットに客用の綺麗なカップを出してきて、温かいお茶を淹れて彼女に差し出した。一緒に勧めた椅子に座った彼女は、その奇妙な毛皮に雪をたっぷりとつけている。
「その外套、脱いだら?」
本当はとても内心で困っていた。メルチを求めてきた人間を、魔女は拒めない。それは古い、本当に古い掟だ。この女はそれを知っている。知っていて、私にそれを求めてきたのだ。
彼女が外套を脱ぐと、純金のように美しい長い金髪が零れ落ちた。雪原のように白い肌と、若葉のような緑色の瞳。明らかに身分の高い娘だった。この間関わることになった、鵞鳥番になっていた姫君の姿を思い出す。彼女は元の身分に戻ったけれど、逆に彼女はその身分を捨てたいらしい。
「あの……本当に、助けてくれるんでしょうか、魔女様」
「魔女はメルチを拒めないもの。とはいえあなた、ちょっと失敗したわね。この森は確かに魔女が何人か住んでいるけれど、よりにもよって私にメルチを求めて来るだなんて」
何があったの、と聞くと、彼女はぽつりぽつりと事情を話し始めた。