第1038話 クロスステッチの魔女、箱庭の蜂を見守る
蜂は群れが大きくなると、新しい女王蜂が生まれるのだという。新しい女王蜂が羽化すると、彼女に巣を託した古い女王蜂は蜜集め役や兵士役、子守役のような仕事をする他の蜂達を連れて、新天地へと旅立つ。蜂の巣分かれの時期を見極め、新天地を近所の巣箱の範囲へ留めることは、蜂飼いにとって気を使う大切なことだそうだ。何せ、うかうかと巣箱の外へ――山なり森なりに行かれてしまえば、その分、取れる蜜の量が減ってしまう。
彼女達は蜂飼いとは関係のない群れで平和に暮らしていたが、手狭になった巣を新しい女王蜂に明け渡して巣分かれをした。そして今は、私の《箱庭》に巣を移している。蜜を採取しやすいように巣箱を用意し損ねたこととかは……後で女王蜂と相談しよう。
「ちょっと出て、見に来てくれるかしら?」
私は完全に蜂の巣をつけた樹と私自身を《箱庭》に埋没させると、視界が切り替わった。北方山脈の侘しい森から、私が植えた草花の咲き誇る《魔女の箱庭》へと。先ほどまで幻のように透き通ったりしていたもの達すべてに、確かな実体が与えられている場所。空気に含まれたほんのりと甘い香りは、私が今まであまり意識していなかったけれど、ずっとそこにあった花の蜜の香りだろう。
「これが私の《箱庭》の花達よ。よかったら花粉も運んでやってくれると嬉しいわ、タネが結べたら花が増えるから」
きゃあっ、と甲高い声が上がって、蜜集め役の蜂達が飛び出した。そういえば蜂の巣はほとんどがメスだと聞いた記憶があるから、いつも機織り場や魔都のような女衆の集まりの状態なのだろう。はしゃいで飛び出した蜂達が、花粉で黄色くなったり、花に顔を埋めているのが見える。ここは普通の庭ではないから、花についてはほとんどが、盛りの状態を保たれているのだ。昼と夜は一応あるけれど、四季についてはあるように見えて薄い。
『花! 沢山! 前の巣より!』
『魔女さま、蜂蜜、たくさん作れる!』
「よかったわ。ああ、蜂蜜の事は女王蜂様に相談しないと……顔出せる?」
しばらくすると、蜂の巣の出口から他の蜂より二回りほど大きな蜂が顔を出した。雄と番った後の女王蜂は飛ばないんだっけ、飛べないんだっけ。とりあえず、顔は出してくれたので話ができそうだった。
『魔女さま、このままだと私達の巣は蜜が足りずに飢え死にするところでした。魔力だけでは、子供達を十全に養えませんから』
女王蜂はそう言って頭を下げ、『わたくしは《輝く蜜の雫》と申します』と名乗った。




