第1035話 クロスステッチの魔女、蜂の巣を見つける
ぶんぶんと蜂の羽音を聞いたのは、水を汲んだ小川から西にしばらく歩いた頃合いだった。日が少し翳り始めた、夕方に近い頃合い。元々いくつか作っていた《翻訳》の魔法のひとつに琥珀蜂の紋様を刺してからの本格的な移動だったけれど、本当に、大した距離でなくてよかったと思う。
「いたいた、ここね」
琥珀蜂は名の通り、キラキラと琥珀色に透き通った羽を震わせて飛び回っている。木の枝から幹にかけて張り付いていたのは、未だ若い、小ぢんまりとした巣だった。
「今年に『巣分かれ』した蜂かしらね。何年も続いているような巣に比べて、随分と小さいわ」
私が《翻訳》の魔法を被ると、蜂の羽音に意味が伝わってきた。蜂は虫であるから、獣ほどはっきりとした会話はしないらしい。巣から出て警戒している個体も、巣の奥からくぐもって聞こえてくる声も、会話ではなく単語の羅列に聞こえる。
『外、大きい、生き物、警戒! 警戒!』
『少ない、蜜、足りない、足りない』
『幼虫、必要、蜜、魔力』
『魔力、不十分、蜜、不十分』
「困ってそうねぇ……」
琥珀蜂は魔力と花の蜜で生きる。成虫になるまでにどういった比率でそれらを口にできるかは、羽化した後の琥珀蜂の生活に大きな影響を与えるものだと私は知っていた。蜜が多すぎると、蜂の体は蜜を大量に必要とする。そこから生成される蜂蜜は甘く、長く生きる。魔力が多すぎると、成長してからも魔力をたっぷり求めるようになる。蜂蜜は甘さが抑えられている代わりに魔力を濃く含み、蜂は少し命が短くなるのだ。
魔力たっぷりでいいなら、すぐにでも提供できる。
「こんにちは、小さな黄色い羽の番人。魔女が、あなたたちの女王様に取引を持ってきたわ」
カチカチと歯を合わせているのは、魔法を使っていなくたって意味がわかる。警戒しているのだ。
「魔力と蜜のある私の箱庭に、お引越しの誘いよ」
『語るパンより目の前のパン』ということで、私は小箱を取り出して足元に《箱庭》を広げた。色とりどりの花が現れた様子に、蜂の羽音が一段と激しくなる。すぐに蜜集め役らしき蜂が何匹か巣から飛び出して、私の花の周りをくるくる飛んだ後、花の中へと頭を突っ込んでいった。しばらくして、花粉まみれの満足した顔で出てきて私の顔の近くに留まった。
「うちに来てくれたら、いつもこんな感じよ。その代わり、蜂蜜をくれるなら」
蜜集め役の蜂は頷くように身体を振ると、巣に戻って行った。巣が一気に騒がしくなった内容は、言葉が重なりすぎて聞き取れなかった。




