第1030話 クロスステッチの魔女、帰り支度をする
種芋をひとつ、買った。ヤギの世話を手伝った。時々、毛並みを触ろうとしてはヤギに怒られたりしたことを、懐かしく思い出せた。……もう、あの頃潜り込んでいた柵の隙間には、手が届かないくらいには育っていた。
「そろそろ帰るわ。また、そのうち来るから」
私が帰ると宣言したのは、三日間を過ごした翌朝のことだった。村の人が『魔女さま』に頼み事をしたがるようになるより早く、私がそれに頷いてしまうより早く、私たちは離れなければならなかった。
「そのうち、と言うのはいいが、まあ、お前の好きにするべきだ。サーシャが死ぬよりは早く、顔を出してやれよな」
「まだそこまで時間を忘れてはないわよ、私」
「どうだか……野垂れ死にしてると思ったら、意外と生きていて驚いたぞ。帰る前に、語り部のバア様に挨拶してやってくれ」
お前が魔女に連れられて行った時、挨拶くらいして行けばよかったものをって、拗ねておられだ。義兄さんは前にも聞いたようか気がすることをもう一度言う辺り、相当愚痴られたのかもしれない。
「まあ、あの頃は私がいなくなって困ったりする人って、誰もいないと思ってたから……」
そんなわけがなかろう、と呆れた目を向けられる。さすがにちょっと、反省します。
ヤギが飼えなかったのは残念だけれど、知っている人が生きているうちにここに来ることができてよかった。そう思える三日間だった。
――私は、幼い頃に考えていたほどには『いらない子』ではなかった。もちろん実の親からは捨てられているし、どうしてわざわざ旅先で子供を捨てるようなことしたのかを確かめる術はほとんどない。それでも、この村の人達や養ってくれていた家族達が私をどう思っているのか。それは、きっと今が最後の機会だった。
(バア様も随分と年を取ってしまって、きっと次に来た時は土の下だろうし。義兄さんだって元気だけれど、いつ何があるかわからないし)
何せ、ここは平地よりも厳しい土地なのだ。実りはあまり良い方ではないと、外に出てみるとわかる。山や崖の危ない道も少なくなくて、そういう場所から転げ落ちて死ぬ人も多い。獣のや雪の害で、毎年ひとりは誰かが死んでいたし。
「ねえ、魔女さま、また来てくれる?」
「いつかは約束できないけれど、そのつもりよ」
「そっか!」
サーシャは嬉しそうにしていた。次に来た時は、婿でももらっているのかもしれない。もう一度来た時にサーシャがどんな大人になっているか、少し楽しみだった。




