悪意と栞
ボリスはあっさりとアレイディアに捕まった。栞を自分が入れたことも認めた。
花売りのリリカに一目惚れし、現在の婚約者エルナと何とかして別れられないかと画策。そんな時にたまたまリリカから手紙を送られ、そこに知人から貰った『揉め事を起こす力』を持つという栞を入れてみたそうだ。
「もちろん僕は・・・そんなのはちょっとした子どものおまじないみたいなもので、とにかくリリカさんからの手紙を読んでもらって彼女と揉めれば、すんなり別れられると思ってたんです・・・。」
と、ボリスは打ち明けた。
なぜリリカに会う時にミュー達と一緒に来たのか、リリカが栞を入れていないことが発覚するとわかっていたのに、と尋ねると、彼女が自分のことを好きなんだと思い込んでいたので、バレても庇ってくれるだろうと思っていたとのこと。
(何だかどっと疲れたわ・・・)
ボリスの思慮の浅い言動に振り回されて疲労感がどっと押し寄せたが、ミューは大事なことを確認する。
「それでその知人というのは結局誰なんですか?」
ボリスは実はよく知らない人だと話す。
「王都で出会った人なんです。いつも僕が仕事をしている店によく来てくれるお客さんで、今の婚約者と別れたいとこぼしていたら、相談に乗ってくれて、その栞をくれたんです。でも手で直接触ると良くないと言われて、リリカさんに手紙を貰ってそれに栞を入れてから、一度も触ってはいないんです。」
と一気に捲し立てた。
「リリカさんが僕の気持ちに応えてくれたんだからと、だから僕は・・・!」
ボリスは叫ぶようにそう言うと、その声にリリカが激しく反応する。
「はあ?私手紙を渡す前から言ってましたけど、あなたのことはなんとも思っていません!何度も何度もしつこく言い寄ってきて、いい加減迷惑なんです!しかもあなた、婚約者を陥れようとしただなんて、本当に最低!二度とこの店に来ないで!!」
リリカは侮蔑の表情でボリスをなじった後、店の奥に引っ込んでしまった。
そしてなぜかその後ろに立っていたアレイディアも額を手で押さえて俯いている。ライラメアは男性二人を交互に見てあーあ、という顔をしていたが、ミューはアレイディアは疲れているのかしらと天然な思考で心配していた。
ミューは気を取り直してもう少し細かい情報を聞き出す。
「その知人というのはどんな風貌ですか?男性、女性?」
「男性です。僕と歳はあまり変わらなそうな、二十代後半くらいかなぁ。顔は特にこれといった特徴は無いんですが、足が少し悪いようで、左足をいつも少し引き摺ってます。」
ふむ、とミューが考えていると、アレイディアが質問する。
「あなたはどんなお店で働いているんですか?」
「僕は王都のパン屋で働いてます。パンを作る方が主な仕事なんですが、時々人手が足りないと店番も任されるんです。」
「お店の名前は?」
「テムトのパン屋と言います。テムトはその店を経営してる店長の名前です。」
ミューはアレイディアに顔を向けた。
「行ってみましょう。」
アレイディアは大きく頷いた。そしてミューは再びボリスに向き合った。
「ボリスさん。」
「・・・はい、なんでしょうか?」
ボリスは朝のヘラヘラした態度が嘘のように意気消沈している。
「あなたのやったことは誰かのためになりましたか?」
「・・・え?」
ミューはもう一度問いかける。
「あなたの行動が、あなたを含め、誰かを幸せにしましたか?」
ボリスは泣きそうな顔で目を伏せた。
「あなたを大切に思う人を陥れて、自分だけを幸せにしようとするあなたの悪意が、あの栞を呼び寄せたんです。」
ボリスはまだ下を向いている。
「別の幸せを求めることが悪いとは言っていません。でもあなたが悪意を持って誰かを不幸にし、その上に自分の幸せを築くのは、意味がありません。」
彼は顔をゆっくりと上げ、ぼーっと話を聞いている。
「あなたが美味しいパンを作って誰かを幸せにしているように、みんな誰かの小さな幸せを作って生きてるんです。そういう誰かのたくさんの想いや願いが、気が付かないうちにあなたの幸せに繋がっている。それなのにあなたはその想いを踏みにじってまで、自分だけ幸せになろうとした。」
ミューはゆっくりと話す。
「あなたが幸せにしたいと願うお客様があなたを不幸にしようとしたら、あなたはその人に美味しいパンを作りますか?あなたはその人の幸せをこれからも願えますか?」
「・・・」
「あなたの悪意が、あなたに不幸を望む人を増やし、あなたの幸福を許さない人を増やします。最初は願いが叶って幸せかも知れない。でも必ずあなたの土台は崩れます。」
「僕は・・・」
「ね、だからあなたが幸せになるために誰かに悪意を向けるのは無駄なんです。結局ほら、あなたの悪意はあなたに返ってきて、あなたは望んだ幸せを得られていませんよね?」
そう言ってミューは悲しそうに微笑んだ。
ボリスはもう一言も話すことができず、ただひたすら嗚咽を堪えて座っていた。