王子の悲劇
翌朝のミューは誰が見てもちょっとおかしいなという状態だった。ぼーっとしていて何も無いところで躓いたり、袖が折れているのに気付かずチェルシアンナにこっそり直してもらったりしていた。
話し合いのためにリーブス邸に訪れたアレイディアは、そんな彼女の様子を見て顔を顰めた。
(昨日、何かあったんだな)
この場でミューを問い詰めることもできず、そもそも自分にそんな資格がないことも重々承知しているアレイディアは、ただ胸の中にぐるぐると巡る熱くて苦しい想いを持て余していた。
チェルシアンナから今日の午後、ミューが王子に密かに会いにいくとの計画を聞かされ、自分も同行したいと懇願した。
ミューは特に気に留めるでもなく、ああ、一緒に行くのねという態度だったので、チェルシアンナも断る理由は無いしと快諾してくれた。
(今のミューは、全く俺が見えていないんだな・・・)
アレイディアはどうにもならない歯痒さを抱え、冷めたお茶を一気に飲み込むしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フェルディアム・ガーナーの家に到着したのは午後早い時間だった。チェルシアンナは目立つので家にいる、とのことで、今は三人だけだ。
フェルディアムの『振動』『光』の天力は、一人の人間を外からの視線や盗聴などから守るには最適な力だ。だからこそチェルシアンナが彼に依頼し、王子はここに匿われているとのことだった。
かなり大きな邸宅でたくさんの使用人達が忙しく働いていたが、屋敷の主人は不在のようで、不審に思われることなく目的の部屋まで辿り着く。
「ダリ、入るよ。」
フェルディアムはノックもせず、そっと壁に手を当てながら囁くように声をかけた。どうやら周りに気付かれず中にいる人に声が伝わるようだ。
ドアをそっと開け中に入ると、カーテンを閉め切ったままでベッドのクッションに背を預けている人の姿がぼやっと見えた。
「フェルディ兄様、どなた?」
弱々しい声が聞こえる。声変わりをしたばかりの少年のそれは、不安定さをより顕著に感じさせるものだった。アレイディアは段々と目が暗さに慣れてきて、まだ幼さの残る少年の姿を確認すると、ミューの後ろについてそっとベッドに近寄っていく。
フェルディアムがゆっくりと、怖がらせないように二人を紹介してくれたため、何とか王子の了承を得て話ができることになった。
「それで、一体僕の何が知りたいんですか?」
王子は何の感情も感じられない声でそう言った。
「私達は、どうしてこんな状況になってしまったのか、殿下がご存知のことがあれば全て知りたいのです。」
ミューはただ真っ直ぐに、何の誤魔化しも気負いもなく王子に問いかけた。
王子はゆっくりと目を開き、その目には少しだけ光が戻ってきているようにアレイディアには見えた。
「あなたは嘘をつかないんですね。僕を可哀想とも思っていない。だから話します。何があったかを。」
王子がベッドから降りてカーテンを開けた。眩しくて一瞬目を閉じるが、再び開いた時には彼の美しい金色の髪が輝いていた。
「父上が病に倒れ、居なくなってしまわれたあの日、僕の部屋に叔父上とその従者だと言う二人の男達がやってきました。僕は誰にも会いたくなくて早く帰って欲しかったのですが、どうしてもと叔父上にお願いされて部屋に通したんです。」
彼はベッドに腰掛けた。
「そうしたら従者の背の高い方の男がいきなり僕の手を掴んできて僕は気を失った・・・気がついたら部屋のベッドで寝かされていました。その間の僕の記憶はありません。でも、その後にやってきた星守が、僕の星が一つ減っていると言ったんです。」
王子は苦しそうにギュッと手を握りながら続けた。
「どうしてそんなことが起きたのかわかりませんでしたが、あの従者が何かしたんだろうと言うことはわかりました。でも僕はもう、そんな恐ろしいことができる人達に会いたくなくて、部屋に引き篭もっていたのです。」
この場の全員が物音一つ立てずに彼の言葉を待っている。
「そうしたらある日、伯母上が僕を連れて逃げてくれたんです。ここは危険だから、と言って。僕はとても嬉しかった。早くあの恐ろしい場所から逃げ出したかったんです。・・・そして伯母上は、僕の信頼するフェルディ兄様のところに僕を連れていってくれました。僕が言えるのはこれだけです。」
彼はカーテンを半分だけ閉めてベッドに戻り、
「これ以上話すことはありません。どうかお引き取りください。」
と言ってブランケットを被り、それ以上のやり取りを拒否した。
余りにも不可解で恐ろしい話に、誰も何も言えないままその部屋を後にし、その日は再度リーブス邸に戻ることとなった。