想い
ミューはチェルシアンナにすっかり気に入られてしまったようでしばらくの間貴婦人達の中に連れ回されていたが、そろそろ戻らないと兄が心配しているかもと言ったところ、ようやくその場を離れることができた。
「でも約束よ。明後日の午後我が家で必ずお茶をしましょうね!約束してくれなければ離さないわ!」
と執着されてしまったので、渋々お茶の誘いをお受けすることを約束し、やっと解放された。
(でもあのグローブの皺の件もあるし、ゾルダーク王の姉君なら何か情報を得られるかも)
ミューは前向きにこの事態を捉え、気持ちを切り替えてアレイディアのいるところに戻った。
「ミューリエラ、お帰り。随分話し込んでいたね。」
ミューはちょっと疲れた笑顔を見せつつも、
「ええ、それとチェルシアンナ様に明後日お茶のご招待を受けたわ。」
と答える。
「ほう、やるじゃないか!」
アレイディアの口角が上がる。
「自分でも驚き。とにかく一度ゆっくりお話してみるわ。お義兄様は?」
「ああ、後で話すよ。」
アレイディアはチラッと先ほど居た場所に目をやると、警戒するように口を閉じた。ミューもこの場でこれ以上の話は確かにまずいと思い、話を切り上げてトール夫妻の元に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後は特に何事もなく、夜も更けてきたところで帰ろうということになり、帰路についた。
「お義兄様はどなたと話していたの?」
ミューが先ほど聞けなかったことを帰りの車内で尋ねる。アレイディアは襟元を少し緩め、肩に掛かっていたリンドアーク国の赤い帯を外す。
「ああ、軍の関係者に気になる人がいてね。彼と話したよ。というよりその後ろにいた男が気になったんだけどね。」
「へえ、どんな人?」
「軍の男の背後にぴったりついて、指示を出しているようだった。ただ彼は貴族じゃない。それっぽい格好はしていたけどね。トール様にも紹介されなかったから実際そうなんだろう。だとしたら異様な存在だ。あれほど力のありそうな軍の男が、あんな弱そうな男にいいように使われてた。」
アレイディアは目を細めて考え込んだ。
「怪しすぎるが正体はわからなかった。明日トール夫妻に聞いてみるよ。それと例の仕掛けもしておいた。明日以降向こうがどう出るか、動きを待つしかないな。」
ミューは黙って頷き、窓の外を見た。
もう辺りはすっかり暗くなり、遅い時間というのもあって、家々の明かりもあまり漏れていない。その代わり高い建物が並び見えにくいが、夜空に星々が輝いているのが目に入った。星を見るといつも、ミトラと出会った日のことを思い出す。
「ミューラ。」
「なあに、お義兄様?」
車内は小さな明かりが一つあるきりで、ぼんやりと二人を照らしている。ミューの憂いのある横顔にうっすらと影がかかり、アレイディアはその美しさに息を呑んだ。
「さっきも言ったけど、今日は本当に・・・美しいね。」
ミューは窓の外に目を向けたまま笑顔をなくす。
「・・・アレイディア、私はあなたの求めるものを何も差し出すことはできない。」
ミューのいつもと違う話し方に、アレイディアは無言のまま目を伏せた。
「ミューラ、あなたは、守り人という特別な存在だとミトラ殿から聞いた。」
「・・・そう。」
ミューのが声が無機質なものに変わる。
「この間の君の力を見て、俺には手の届かない人だということもよくわかった。彼にも、これ以上困らせるなと釘を刺された。」
ミューは無言のまま空を見ている。
「でも俺は、君を愛してる。」
ミューはゆっくりアレイディアに顔を向ける。アレイディアは目を伏せたままだが、その視線を強く感じていた。
「どうにもならないこともわかってる。言ってしまえば君を困らせるだろうこともわかってる。」
アレイディアの声が掠れていく。
「それでも、どうしようもない気持ちってあるんだと、君を想って初めて知った。姑息な手なんか使えないくらい君の前では無力になるんだ。何も身動きが取れないんだ。」
決して声を荒げるわけでもなく、淡々と話しているし涙も見えない。だがミューにはアレイディアの慟哭が聞こえるような気がした。
「君が何者であろうと関係ない。俺は、俺の目の前にいるミューを愛してる。」
アレイディアが不意に目を上げた。ミューの灰色の瞳に彼の本気の想いが流れ込む。
「・・・すまない。言うつもりじゃなかった。でも、君を想う気持ちをもう止めることも誤魔化すこともできない。」
そう言ってアレイディアは席を立ち、ミューから離れた場所に座った。
ミューは再び空を見上げる。小さな窓に切り取られた空ではなく、あの広い草原でもう一度、ミトラと共に満点の星空を眺めてみたいと、心から祈った。