きっかけ
ミューの前にはシンプルながらも美しい細工が入った机があり、その上にはミトラから渡された資料が広げられていた。資料の横には華やかな赤と金の紋様が入ったティーカップが置かれている。飲み干したカップを手にし、口に寄せてから空であることを思い出してため息をついた。
(集中し過ぎている。)
今いる小部屋の少し下には大きな会議室があり、ここからは小さな窓で中の様子を窺い知ることができる。そして今は九星の王達が集まって、手元にある資料の件について話し合いが持たれているところだ――
この星には神ではなく、星――セトラの意志がある。この星に生きる全て、存在する現象全てがセトラに受け入れられ、愛されていると伝えられている。その意思を守り、伝え、人々に役割ごとの「星」を与えるのがセトラの星守達の仕事だ。
「星」とはこの星に生きる全ての民に与えられる称号だ。身分の証でありそれぞれの生まれ持った力を現したものでもある。
子ども達には全て『ニ星」、大人の平民は『三星」、商人など三星の暮らしを支える者は『四星』、騎士など強さを持ち民を守る者、そして下位貴族と呼ばれるのが『五星』、民を率いて全体を守る者、または上位貴族と呼ばれるのが『六星、七星』、そして各国の王家は全て『八星』の星を授与される。
ある程度は生まれた家柄で決まるが、本人の能力と意志によって星を増やすことも可能だ。だが、この星の名を冠した三星―セトラの民こそ、星の愛とも言える「地力」という奇跡の力の恩恵を特に強く受ける守られるべき民なのだ。だから上位の星を持っている者は敬意を払われ、豊かな生活を約束されると同時に、三星の民を守り導くという大きな責任を負うことになる。
それはつまり、それぞれの星に応じた働きの出来ない者、民を守る意思のない者、または傷つけようとする者は「星」を剥奪される可能性もあるということだ。
そして王の中でもより民を思い、国を繁栄させている王にのみ与えられる『九星』はこの星で最も高位の者という証であり、星守の統括者である『セトラの管理者』だけが授与可能な称号だ。彼らには星全体の平和を維持するための様々な権限が与えられており、実際に『管理者』が許可すればその権限を行使することが出来る。
――会議室の上にある窓は、ミューのいる場所からは会議室が見えるし音も声も聞こえるが、反対側からは鏡のように見えるため中が見えず、―更に特殊な加工をされているため音どころか気配も感じさせにくくなっている。
ミューがカップを持ったまま窓の向こうに目をやると、穏やかな表情の王が会議の机に両肘をつき、顎の前で手を組んでいる様子が見えた。
そしてほんの一瞬、目が合った、気がした。
「ふうーん。」
面白そうに少しだけ口角を上げると、カップを資料の上にとんっと勢いよく置いた。
会議が終わるとすぐにミューはミトラに連絡をとった。ミトラとは小さな貴石をバングルに埋め込んだ特殊な装置で遠隔のやりとりができるようになっている。
「ミトラ、リンドアーク王を八星会議後に私の部屋へお連れして。」
一瞬の間を置いてミトラからの返答がくる。
「・・・わかりました。終わり次第あなたの執務室にお連れします。」
「ありがとう。」
王と直接話をすることなど、これまでのミューではあり得ないことだった。秘密にしなければならない余りにも多くのことが、ミューと、セトラに生きる者達を大きく隔てていたからだ。
だが彼は会ってみる価値がある人だ。この出会いをきっかけにして、まだ見えていない大きな歯車を動かすのではないかという直感が、ミューの心を震わせている。
それに、突拍子も無い提案で、いつも冷静沈着の権化のようなミトラをほんの少しでも動揺させることができたのだから、何事も思い切ってやってみるものだ、と思わず笑みがこぼれる。
ミューは小さな満足感を覚えつつ、資料を片付けてからその部屋を後にした。