ゾルダークへ/三日目③
「ミトラ、聞こえる?」
ミューは急遽取った宿の自分の部屋で、バングルを手に取った。小さく手が震える。
「ええ、ミュー。聞こえますよ。・・・何かあったんですね。」
落ち着いた低い声がバングルから聞こえる。聞き慣れた声に心が穏やかになるのを感じる。
「そう。ちょっと、やりすぎちゃって。」
天候を変動させる力は天力の中でもトップクラスの稀な力だ。それをアレイディアの目の前で、しかもかなり大きな力で使ってしまった。
「そうですか。・・・で、後悔しているんですか?」
ミトラの声は優しい。優しくて温かい。意地悪を言う時でも、いつでも。
「ううん、してない。してないけど・・・ごめん。」
沈黙が流れる。息遣いすら聞こえない。
「ミュー。」
「なあに。」
「俺はミューが後悔していないならそれでいい。」
「・・・」
ミューの頬を涙が伝う。ミトラに会いたい。言葉には出せないけれど。
色々なことがあり過ぎて、思っていた以上に自分の心が弱いことに気付いて。ただただミトラに会って、安心したかった。願うことは、出来ないけれど。
「仕事は落ち着いた。会いに行くから。」
ミトラの声がひたすら優しかった。
「・・・ミトラ。」
「なに?」
「ありがとう。」
バングルの向こうで笑った気がした。
「いいよ。大丈夫。待ってて。」
「うん。」
ミューは静かに通信を切り、バングルを胸の前で握りしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アレイディアは宿から出て先ほどの広場に戻っていた。地域の兵士達が散々調べた後だったためかそれとも夜になっていたからなのか、すんなりとこの場所に入ることができた。
出火元はわからない。ただ、自分達が乗っていた車ではないようだ。むしろその隣にあったかなり豪華だったと思われる車が怪しいと兵士の一人が話しているのを耳にした。
地面が直前までの雨で濡れていたため、火で崩れ落ちた飾りがそれ以上燃えずに辺りに散らばっている。コーラル家の車は飾りなどないシンプルな形なので、おそらく隣の大型の車のものだろう。
(近隣の大商人のものか?恨みでも買っていたのだろうか。)
理由は不明だが、自分達を襲っての犯行ではない可能性が高いだろう。不運だったと言うべきかそれとも・・・
そこまで考えてミューの先ほどの姿を思い出す。
(彼女は何者だ?)
ふとほったらかしにしていた最初の頃の疑問を思い出す。あまりにも自然に家族に溶け込んでいたので忘れていたが、出会った最初から彼女は異質な存在だった。
彼女への気持ちは変わらない。だがもう、そう簡単に自分の手に落ちるような存在ではないと気付かされてしまった。アレイディアは今は一旦そのことを忘れようと心に決め、宿に戻っていった。
宿に戻り、自分の部屋の前で躊躇する。ミューに会いたいが、会って何を話すのか。
しばらく鍵を握り締めたままドアの前に立ちつくし、踵を返してミューの部屋に向かった。
いつものようにノックをすると、中からドアが開き、目の前に自分より少し大きな影が現れた。
「あなたは・・・あの時の。」
名前を知らないため、そのまま黙るしかなかったが、最初に依頼に来た時の銀髪の男がそこに立っていた。
「アレイディアさん、どうぞ。話したいことがあるのでしょう?」
招き入れられるままに部屋に入る。
「ああ、すまない。」
バタンとドアが閉まり、部屋にミューがいないことに気付く。
「ミューは?」
アレイディアの焦りが声に出る。ミトラが訝しげに
「ミュー?」
とだけ答えた。
アレイディアがキョロキョロと部屋の中を見回しているのを手で止めて、ミトラがソファーに座るよう促した。
「まずは落ち着いて、座ってください。ミューなら隣の部屋にいます。私も宿を取ったので。」
「そうか・・・。」
アレイディアは項垂れたようにソファーに沈み込む。その様子を上から一瞥し、ミトラは静かに話し始めた。
「これから話すことは秘匿情報です。今なら拒否しても構いません。知ってしまえばリスクがある。それでも知りたいですか?」
アレイディアはミトラの言葉に弾かれたように顔を上げた。
「教えてくれるのか?」
「今後のために共有すべきとは思います。ですが先ほども申し上げたようにあなたの身に危険が迫る可能性がある。」
「・・・」
「どうしますか?あなたの決断に委ねます。」
ほんの一瞬考え、そして決断した。
(これを逃したらもう彼女のことを知る機会はなくなる。)
「教えてくれ。頼む。」
アレイディアは深く、深く頭を下げた。