ゾルダークへ/三日目①
三日目の朝は早かった。日が昇る頃には宿を出て、更に西に向かいゾルダーク国に入る予定だ。高地のこの街は朝は肌寒く、ミューは車内で寒さに少し身を震わせていた。
「ミューラ、寒いのか?」
今日はまた近くに座っているアレイディアが、荷物の中からブランケットを出してミューの肩に掛けてくれた。ほんのり暖かいのは『熱』を少し通してくれたからだろう。
「お義兄様、ありがとう。」
ミューが素直にお礼を言うと、いや、と言って黙って席に戻る。耳が赤いような気がするが、触れないことにする。
その後は特に何もなく、明るい日が入る林道を抜けていく。段々と標高が下がり、気温も時間と共に上がってきたため、ミューは窓を少し開け、ブランケットを畳んで前の席に置いた。
しばらくすると離れた席にいたアレイディアがゆっくりこちらに向かって来る。ミューが置いたブランケットを横にずらして前の席に陣取った。
「ミューラ、この林道を抜けて二時間もすればゾルダークだ。心の準備はいいか?」
アレイディアとの任務が遂に始まる。ミューは大きく頷き、まっすぐ彼を見つめた。
「もちろんよ、お義兄様。ここから一週間、よろしくお願いします。」
アレイディアは貴族らしい穏やかな笑顔を見せた。そして流れるようにミューに近づき・・・柔らかく抱きしめた。
「え・・・」
「ミュー。」
ミューの耳元で許可していない名を囁く。ミューは小さく震えた。アレイディアが少し離れてミューの目を見つめ返す。
「ごめん。でもここからしばらくは全力で義兄になるから。今だけ。少しだけこうさせてくれ。」
アレイディアの瞳が揺れる。ミューはただその想いの大きさに言葉を失っていた。拒絶しなければならないのにうまく声にならない。
アレイディアはもう一度、今度は少し強くミューを抱きしめると、名残惜しそうにゆっくりと離れ元の席に無言で戻っていく。
(この仕事が終わったら、きちんと話をしないといけない、よね・・・。)
ミューは彼の残していった腕の熱さから逃れるように窓を大きく開けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二時間後、ほぼ予定通りゾルダーク国の関所に到着した。昨日と同じようにライラメアが証明書を門番に手渡す。今回はゾルダーク側の門番のようだ。
ちなみにどちらの国の門番であっても、片方の国に有利に働くような行いができないよう、必ず星宮で誓約をすることになっている。そのため個人の勝手な判断で人を通すことはない。ちなみに誓約をしない門番がいた場合、八星協定によりその国の王は重い処罰を受けることになる。
今回も無事に関所を通過し、ようやくゾルダークに入国した。ミューは先ほどの抱きつかれ事件の記憶を無理やり頭に封印し、気持ちを引き締めて姿勢を正す。
ふと外を見ると、窓の外には低木と雑草が周囲に生い茂る大きな川と、黒く垂れ込める雲を抱え込んだ空が目に映った。
そこから一時間ほど車を走らせると川が更に緩やかに広がり、堤防が長く続いている場所が見えた。その先に広い道が続き、もう少しするとゾルダークで最初の街に到着するそうだ。そこでは休憩と食事だけ済ませて王都に向かう予定となっている。
気がつくと雨の音が車の屋根から響いてきた。初めは小さい音だったが次第に強く打ち付ける音に変わり、窓の外は大雨になっている。
「外の四人は大丈夫かしら?」
独り言がつい口をついて出てしまう。
「ミューラ、大丈夫。彼らは丈夫な水を弾く上着を持っているから。」
アレイディアがそんな小さな声も聞きつけて返事をする。彼のそんな自然な優しさに切ない気持ちが蘇るが、ミューは冷静に感謝の気持ちだけを伝えた。
更に二十分ほど進むと、雨の中にぼんやりと街並みが見えてきた。考えていた以上に大きな街で、どこも三、四階建の家がきれいに整列するように建っている。
木造の家々の壁は様々なパステルカラーで彩色されており、普段ならば街全体がおとぎ話のような雰囲気に見えることだろう。ただ、今日は暗い空と強い雨のためにその雰囲気が洗い流され、ミューにはむしろ現実味のある普通の街に見えた。