潜入準備②
王城で働きつつ、王都近くの領地経営も行なっている父と兄二人は、仕事に忙殺されると嘆きながら朝から出かけて行った。
そしてアレイディアは母と屋敷で働いている者達数名で、昼食後訪れる予定のモーラを待っていた。
玄関のベルが鳴り、執事がドアを開けに行く。音に気づいてアレイディアも二階の自室から玄関ホールに降りていくと、大きめの鞄を一つだけ持っているモーラがにこやかに微笑んで立ち、アレイディアを見上げていた。
使用人の一人が鞄と帽子を預かりモーラの部屋へ移動する。アレイディアは話があるからと執事を退がらせて、自ら彼女を部屋へ案内した。
「必要ないと陛下から連絡が来ていたので迎えにも行きませんでしたが、大丈夫でしたか?」
アレイディアは歩きながらモーラに声を掛けた。
「ええ、大丈夫です。街中の様子も見ておきたかったですし、歩いてきました。城からここまであの車で移動するとなると目立ちますしね。」
「天力で動かす車はあまり多くはないですからね。しかもそれが王城から出てきたとあれば何事かと思うものもいるでしょう。正解だったと思いますよ。ですが次は大変だと思うので、人力かレンネを使った車を使ってください。気軽に乗れますから。」
ああ、と彼女の笑顔が輝く。
「レンネはあの足が長く美しい毛並みの生き物ですね。穏やかで力強いと聞いています。ぜひ一度乗ってみたいですね。」
モーラは何の飾り気も無い、後ろが少し長くなっている薄いピンクのワンピースと、色を合わせたリボンのついた大きい鍔の白い帽子を身につけていた。帽子を取り艶やかな黒髪を綺麗に編み込んだ姿は、いつもより大人っぽくアレイディアには見えた。
「モーラさんほどの濃い黒髪はこの国では珍しいので、帽子で隠していたのは正解だったかもしれません。」
「そうなのですね。髪色変えた方がいいかしら・・・?」
後れ毛に指を絡ませながら悩む姿にアレイディアは釘付けになる。
「まあ、あなたがモーラさん?よくいらっしゃったわ!」
唐突にランディエルの声が後ろから追いかけてきた。モーラとアレイディアはその声に気づき廊下で立ち止まる。
モーラはこの周辺国の貴族女性が行う正式な礼を完璧に覚えているようで、両手を胸に置き、少し屈んで姿勢良く挨拶をする。
「初めまして、モーラ・ミュラーと申します。仮名ではありますがその辺りはどうかご容赦ください。アレイディア様のお母様、しばらくの間どうぞよろしくお願い申し上げます。」
(これほどの礼ができるとは、彼女は本当にどこか他の国の貴族令嬢か何かだろうか?)
そんな疑問と先ほどの姿を思い出しながらその場で固まっていると、ランディエルが楚々近づいてきてモーラの手を握り微笑んだ。
「モーラさん、あなたが色々と事情がお有りなのは陛下からお聞きしているわ。その上で私はあなたのことを一目で気に入ってしまったの!もういつでも、なんならずっと我が家の娘になってくれて構わないのよ!」
ミューは嬉しそうに少し俯いて微笑んだ。
「そんな言葉を掛けていただけるなんて・・・母のいない私にとってこれほど嬉しい言葉はありません。」
「モーラさん、あなたのお母様は・・・」
「アレイディア。」
母の諌めるような呼び掛けにはっとしてアレイディアは口をつぐむ。ミューは彼に顔を向けて微笑んだ。なんの気負いも無いその笑顔が眩しくて、アレイディアは目を伏せた。
「気になさらないでください。幼い頃生き別れてしまったのですが、もう遥か遠く昔のことですので。」
「・・・申し訳ない。」
一瞬微妙な空気が流れたが、それを断ち切るかのようにランディエルがこの後の流れを提案する。
「さあ、お部屋で少しお休みになって、モーラさん。一時間ほどしたらお呼びするので、一緒にお茶をしましょう!アレイディアもその時にいらっしゃい。これからのお話をしましょう。」
女性二人に気を遣わせてしまったな、とアレイディアはこの後部屋で猛省することとなった。