潜入準備①
リンドアーク国は東側が海に面した大国だ。陸地は三つの国に接しているが、どの国も友好国であり現時点で大きな争いもなく、豊かな自然と資源に恵まれた美しい国と評価されている。その分どうしても豊かさに惹きつけられて入国する無法者も多いため、他国との争いではなくどちらかといえば犯罪を防いでいくために軍、兵士が活躍している。
そしてアレイディアもまた、一兵士として、そして裏の顔である『赤き剣』の諜報員として、王に忠誠を誓い国を守る日々を過ごしている。
(それがまさか六星として他国の社交界に出ることになるとは・・・。)
人生とはわからないものだなどと遠い目をしながら、潜入するための準備を整えていく。
久々に帰宅した王都の屋敷では、相変わらず優しく豪胆な母と、尻に敷かれながらもそんな母を崇拝してやまない父、そして二人の優しい兄が笑顔でアレイディアを出迎えてくれた。昨日は家族とゆっくり食事をして過ごし、明日から一週間ほど、モーラを養女として招き入れゾルダークに向かうための準備をすることになっている。
「アレン!まあ久しぶりに帰ってきたと思ったらもう出かける準備なの?まだ日があるのだしもう少しゆっくり過ごしたらいのに。」
母ランディエルがノックをしてアレイディアの部屋に入ってきた。レースをふんだんにあしらった薄紫色のドレスは、シンプルでゆったりとしたデザインだが美しい母にはとてもよく似合っている。
「母上!ありがとうございます。ですが今回は陛下から直々の命をいただきましたので、いつでも出られるように準備しておきたいと思いまして。」
アレイディアは準備の手を止めることなく母に笑顔を向ける。
「荷造りはゾーイ達に任せてくれれば大丈夫よ?」
「いえ、使用人達に見せられない書類などもありますし、今回は自分でできます。」
「そう?でも何かあったらちゃんと言うのよ?」
アレイディアはつい笑みをこぼす。母のこうした優しさに触れると、甘やかされていた子どもの頃に戻ったようなくすぐったい気持ちになる。
「はい、母上。ありがとうございます!」
ランディエルがにっこりと微笑む。世では中年と言われる年齢に差し掛かっている母だが、未だに華やかな美しさを保っている。年齢なりの皺も目元に現れてはいるが、生来の美しさと王家で育まれた芯の強さが彼女の若々しさの秘訣なのだろう。
「そうそう、今日の昼過ぎに彼女がこちらに来るとの連絡を陛下からいただいたわ。任務で一時的なものとはいえ、良いお嬢さんだといいのだけれど・・・。」
ランディエルは心配そうというよりもなぜか悪戯を仕掛けたくて仕方ないような顔をしている。
「母上、良からぬことを考えてはいませんか?」
「あら、何のことかしら?私はただどんなお嬢さんがいらっしゃるのかと気持ちが浮き立っているだけよ?」
「・・・義理とはいえ妹になるのですし、実際部下のような立ち位置ですから、どうか変に茶々を入れるのはおやめくださいね。」
「まあ、何を言っているの?血がつながっているわけでもないし、これは仮の関係なのだから遠慮はいらないのよ?」
うふふと目を輝かせて笑う母にアレイディアはがっくりと肩を落とす。
一番上の兄は来年結婚予定の婚約者がおり、二番目の兄はどちらかといえば奔放で、大らかな父母にはその手の話は放って置かれている。だが一番下で家族全員に可愛がられてきたアレイディアにはどうもみんなが余計なお世話を焼きたくなるらしい。
「兄上にも昨夜似たようなことを言われましたが、あくまでも仕事の関係者ですから!どうか彼女にそのようなことは仰らないでくださいね!」
しっかりと釘を刺したつもりだが、ニコニコしている母を見るとあまり効果はなさそうだ、とアレイディアは盛大なため息をついた。