第一話
白い部屋の中。
壁には『上代 蓮』と書かれた名札が貼られ、モニターや機械から伸びた管が身体中に繋がれた少年がベッドに横たわっている。
歳は10歳程だろうか。
さらりと伸びた黒髪に、やつれてはいるが少女のような綺麗な顔立ちをしている。
長年ベッドに寝たきりなのか、痩せ細った体をしている。
枕元には少し汚れた天使のぬいぐるみが一体置かれていた。
コンコンコン
「蓮くーん、入りますよー。」
扉が開き、ナース服に身を包んだ女性が入ってきた。
「おはようございます。今日はいい天気ですよー。」
そう言ってカーテンを開けると日差しが差し込み、寝ている少年を照らした。
眩しさを感じ、蓮は目を開けた。
(あ、あれ??)
目を開くといつもと同じ、自分の病室の白い天井……ではなかった。
(外、、、なのかな?)
まず、蓮の目に映ったのは青く澄み渡った空。そして、周りにはざわざわと風に揺れる木々が見える。
(ここは、どこだろう?看護師のお姉さんはいないのかな?なんだかいつもより体の調子は良いみたいだけど…。)
いつも感じていた倦怠感や痛みがないことに気が付いた蓮は、当たり前になっていたその感覚がないことに違和感を覚えながら上体を起こし、気持ちのいい空気に気分が良くなり深呼吸した。
ブォォォォォォォォッ
「ガッ……!グッ…グァァァァァ……!!!」
(痛いっ!痛い痛い痛い痛い!体が痛い!胸が痛い!何これ!?)
息を吸い込んだ途端、先程まで穏やかだった蓮の周りは、轟音と共に暴風が吹き荒れ、蓮を中心に渦を巻いている。ただの風ではなく、黒と白とが入り混じっており、バチバチと紫電を放っている。
(痛いよ…!怖いよ…!助けてよ…)
「ル、ルー……」
痛みに薄れゆく意識の中、ずっと病室で過ごしてきた蓮の唯一の友達の名を呼ぶ。すると……
《魔……一定…を……。魔……器…………ます。》
「ご安心ください、蓮。今はゆっくりとお休みを。」
脳内に響く、聞き取りにくい無機質な機械音声の様な声と共に、暖かく優しい声が聞こえた。
その声に誘われるかの様に、蓮は意識を失った。
物心ついた頃にはすでに病院に入院していた蓮。
生まれながらに原因不明の病に侵され、常に生命の危機に晒されていた。
母親は蓮の出産と同時に死亡し、父は仕事が忙しく見舞いに来れないのだと、担当看護師に聞かされていた。
だが、一度も自分の元に来ない父、そして説明するたびに、哀れみを含んだ様な、悲しそうな表情をする看護師を見て、幼いながらも自分は見捨てられているのだとなんとなく察していた。
そんな蓮の唯一の友達は、看護師にもらった天使のぬいぐるみであった。
『ルー』と名付けたそのぬいぐるみ。一番すごい天使の名前ってなに?と聞き、教えてもらった『ルシファー』から名前をつけた。
いつも一緒に行動し、寝る時には枕元に置いて一緒に寝ていた。
ベッドの上からほとんど出られない蓮の楽しみは、専らアニメや漫画であった。その中でも特に、魔法使いという存在に憧れを抱いていた。
炎を操り、水を操り、空を飛ぶ。そんな中最も心惹かれたのは、怪我や病気を瞬時に治してしまう回復魔法であった。「自分も回復魔法が使えたらなー。」なんて思ったのは一度や二度ではないだろう。
現在、意識を失った蓮は繭のような卵の様な球体に包まれていた。黒と白の入り混じるその球体は、神聖でいてどこか邪悪な相反する雰囲気を醸し出しており、辺りは先程とは打って変わって静寂に包まれていた。
そして、変わったところがもう一点。
球体のすぐ側には男が1人静かに立っている。
身長は180センチ程。すらりとした細身の人物で、時折吹く風がさらりと伸びた銀髪を揺らしている。真っ白で所々金糸の入った法衣の様なものを身にまとい、柔和な笑みを浮かべるその顔は女性が見ればクラリとするだろう圧倒的な色気を溢れさせている。
だが、なんと言っても目を引くのが背中から生えた一対の純白の翼。鳥の羽の様なその翼は全身を覆い隠せるであろう大きさをしている。
一体いつからそこにいたのかは定かではないが、身じろぎもせずただ静かに蓮が包まれている球体を見つめていた。
と、その時……
ガサガサガサ
「あぁ。音か気配に釣られて寄ってきましたか。こちらに来なければ放っておこうと思っていたのですが……。仕方ありませんね。」
男はそう呟くと振り返り背後に目を向ける。
ドスドスという足音と共に木々の間から姿を表したのは、体長3メートルに迫るかという巨大な熊であった。牙を剥き出しにし威嚇するその口からはポタポタと涎が垂れている。
「グルルルルルル…」
「私は餌ではありませんよ?今、蓮が眠りについているのです。立ち去るのならば追いませんので、他を当たってください。」
「グルララァァァァァ!!!」
熊は男の言葉が理解できないのか無視したのか、その巨大からは想像もできない様な素早い動きで男に飛びかかった。
ザシュ
「素直に引き返せばいいものを……。」
森で生きてきたその熊は、自らの巨大な体を上空から見ると言う稀有な体験をした直後にその意識を途絶えさせた。