婚約破棄からの投獄。でも、ご心配には及びませんわ。我が名はアンジェラ・ビュシュルベルジェール。公爵令嬢ですわよ。
東の森でお茶会でもどうですかって、下僕どもが珍しくいうものですから、百歩譲って付き合ってあげたのです。
私としたことが大失態でしたわ。我が家に仕える下僕どもが選りすぐりだと自負しておりましたの。これほど無能だなんて。まぁ、どんなに優れていようとも平民なぞはそんなものかもしれませんね。
甘い顔を見せたらこの通りですもの。帰ったらちゃんと立場を分からせてあげて、二度と私に軽々しく声を掛けさせないよう厳しく処罰いたすとしましょう。
それはそうと………。だあれもいらっしゃらないのですね、枯れた大きな木に剣で打ち付けられた殿方以外は。
屋敷にある蝶の乾燥標本みたい。まぁ、あれは瑠璃色の羽で綺麗でしたけど、この殿方は白骨死体。しかも、礼儀もお知りにならない。不遜にもこの公爵令嬢アンジェラ・ビュシュルベルジェールに話しかけてくるとは。
何度もこの場を離れましたのよ。ですが、なぜか必ずここに戻って来る。そして、必ずこの殿方はこうおっしゃいますのよ。
「剣を抜いてくれ」
骸骨風情が誰にものを申しているのかしら。下僕どもの言葉を聞いたばっかりにこうなってしまって、今度は骸骨の殿方の言葉を聞けっていうの? 片腹いとうございます。
そもそも、だあれもいなくなるってどういうこと。この私を置き去りにして、下僕どもはそろいもそろって道に迷い、どこかに行ってしまうなんて。
「剣を抜かねば帰らせない。夜が来ると狼に襲われるぞ」
そんなことは分かっております。ご心配ご無用。きっと下僕どもがやって参りますわ。姫様―っ、と言ってね。
「残念だが、誰も来ない」
えっ! なに今! 私は何も口に出してしゃべってないのに、この殿方と会話が成立してしまっている。何たる偶然。
「待っていても無駄だと言っているんだ。皆、死んでしまったのだからなぁ」
間違いありません。この殿方、私の心の内が聞こえていらっしゃる。でも、耳もないのにどうやって聞いているのかしら。
なぁに、驚くことではございますまい。舌がないのに喋っている時点でこの殿方は変ですもの。
さて。どういたしましょうか。こちらは声に出して喋らなくていいので楽は楽なんですが、話しかけてもいないのに返答されるのも正直、癪にさわりますわ。軽んじられているとしか思えません。レディーを何と思っているのかしら。
よろしい。他のことでも考えましょう。プディングがいいですね。ちょうどお腹もすいてきたことだし。
あ、そうです。ここに来た目的はお茶会でしたわ。使用人たちがここに来られなくても、お茶会のスイーツはどこかにあるはず。早速森を探しましょう。
「どこにも行くな。ここが一番安全だ。森に魔物が一匹いる。使用人たちは全員、そいつに食われてしまった」
私としたことが、はしたない。思わず笑ってしまいましたわ。魔物? この殿方は面白いことをおっしゃいます。
いくら剣を抜いてもらいたいからって、嘘はいけませんわ。それはずっと西方の彼方、リディアでのお話よ。子供でも分かる脅かしですわ。
それに正直、私の感想を申しますと、あなたみたいな者がいるから平民どもが、やれ魔物だの、やれ魔王だの、騒ぐのです。あくまでも私の感想ですけどね。
「残念だが、お嬢ちゃん。魔王は実在する。魔王が復活を遂げたんだ。各国に触手を伸ばそうとしている。この国にも魔の手が伸びている」
まだ申しますか。諦めなさい。その手には乗りませんことよ。
「だったら、そなたはなぜここにいる。誰かに嵌められたんだろ」
あら。嵌められたとは聞き捨てなりませんこと。公爵令嬢たるこのアンジェラ・ビュシュルベルジェールを侮辱しようというのですね。
「ビュシュルベルジェール?」
そうおっしゃって、骸骨さん、なぜかお笑いになられたの。
はいはい。随分とご余裕がおありになりますこと。私の名がそんなにおかしいのですか。つくづくお可哀そうな方。頭の中が腐って空っぽになって何もかもお忘れになられたのですね。
いいですか。一回しか申しません。この国では我が名を辱めることはすなわち、万死に値する。
「怒るな。笑ったのは他でもない。その長ったらしい名に覚えがあるからだ。そなた、アルフレッドの子孫だな」
あら、我が始祖アルフレッド・ビュシュルベルジェールをご存じなのですね。ですが、そんなこと誰でも知っております。
我がビュシュルベルジェールは建国以来、ずっと王族アルドアン家に仕えて参りましたの。ビュシュルベルジェール家の歴史、それはすなわちアルドアン王家の歴史でございますもの。
「誰でも知っているって? じゃぁ、俺だけしか知らないことを教えてやろう。アルフレッドと初代国王グランラン・アルドアンは相思相愛の仲だった。二人は愛を育んだものの実らず、お互いに后を迎えた。国のためだ」
次から次へと、よくもまぁ出まかせを。
我が家と王家は古きより縁を結んでおるのです。むろん、この私も王太子ラファエル殿下と婚約しているの。自由恋愛とか、そんなふしだらな間柄ではございませんのよ。
「むむ。婚約しているとな。そうか。そなた、アルフレッドの生まれ変わりか。その感じ、確かにアルフレッド。そして、ラファエルとやらはグランラン。俺は黄泉の国に片足突っ込んでいるからか分かる。そういうことか。俺が転生出来なかったことが関係しているようだ。アルフレッドが女に生まれ変わったとなるとやはり運命の歯車はズレてしまっている」
私と王太子ラファエル殿下は運命、と申しますのね。おあいにくさま。あなた様に指摘されるまでもなく国民全員がそう思っておりますわ。
「まずいな。このままでは」
あら、奇遇ですね。私もそう思っていたところです。一刻も早く王都に帰って王太子ラファエル殿下に私の無事をお知らせしませんと。
「あくまでも俺の言葉を信用しないっていうのだな。ならば見せてしんぜよう。俺に触れよ」
あ、それはお断りします。私の艶やかな肌は王太子ラファエル殿下のためにあるのです。何かあったら申し訳が立ちません。
「そなたは手袋をしているではないか」
あら、まぁ、私としたことが。
「手袋のままでいい。さぁ、触れよ」
無理です。あなたはやっぱり汚らわしすぎるもの。
「だが、知りたいのであろう。顔に書いてある。お前たちの仲が本当に、運命かを」
確かに。そのご指摘は間違ってはおりませぬわ。最近、殿下の様子が変ですもの。男爵家の女に入れあげているって私の取り巻きが逐一報告してくるの。
初めは取り合わなかったですわ。なぜって。相手は貴族でも最下層。辺境の、それも作物の実らない枯れた土地を所有する貧乏貴族。
常識的に申し上げて、側妃にすらなれませんわ。我が家は王国にとって無くてはならぬ存在。結婚しないなんて選択肢はありませんのよ。
「どうする? 俺はどっちでもいいんだが」
ううっ。そこまで言われるのでしたらしようがありませんね。分かりましたわ。では、………。
「………。では、と言ってから随分と時が経つが。もしやそなた、怖いんじゃないだろうな」
あら、何をおっしゃるのでしょう。我がビュシュルベルジェール家は王家と共にこの土地から魔物を追い払った武勇を誇る家柄。こんな骸骨ごとき誰が恐れるものですか。
「威勢はいいが、そなた、手が震えておらぬか」
そうでしょうか。少し冷えて来ましたのね。あら、もう夕暮れ。
「あ、足元にヘビが」
いっ! いやぁぁぁー。あ、骸骨さんの頭を胸に抱いしまっている。
と思いましたら、どういたしましょう。気が遠くなる。ああ、頭の中に画が。あああ、男同士がキスをしている。貪りつくように激しく。この二人は、我が始祖アルフレッドと初代国王グランラン・アルドアン?
私は? あら、地面に倒れている。なにこれ。なんなのでしょう。もしや、目くらまし。こやつ、魔物!
「今のは俺が四百年前に見たものだ。俺は何度も生まれ変わっている。アルフレッドとグランランは四百年前の友だ。俺たちはこの国で魔物たちと戦った。我が名はヒューゴ。白の賢者と呼ばれていた」
………白の賢者ヒューゴ。我らの始祖を導いて下さいました伝説のお方。
はじめまして。改めましてアンジェラ・ビュシュルベルジェールと申します。ヒューゴ様のご高名は、かねてから伺っております。
「それからずっと経って百年前のこと。丁度ここで魔王と戦ってな、倒しはしたがこのざまだ。古き友よ。さぁ、剣を抜いてくれ」
剣を抜けばどうなるのかしら。見たところ、あなた様はもう骸骨でそんなに苦しそうには見えませんが。
「この剣は封印の剣と言ってな、斬った者の魂を刀身に封印するんだが、俺は今、それに必死にあらがっておる」
あら、まぁ、大変なこと。
「俺と魔王は何度も生まれ変わってな、その度ごとに戦っている。勝敗の付かない戦いを何千年と続けて来たんだ。そこで魔王は考えたようだ。この剣で刺せば俺は転生できない。一方やつは死すとも転生できる」
魔王さんはあなた様にやられてしまったけど、復活した。あなた様も魔王さんにやられてしまいましたが、あなた様はここに置き去りになっている、って訳ですね。
「本来の運命ならば俺はすでに復活していて、近い将来この地に来てアルドアン家、ビュシュルベルジェール家と共に魔王と戦うはずだった。この状況がそれを示している。そなたがアルフレッドの生まれ変わり。そして、ラファエルがグランランの生まれ変わりだというならな。しかも、そなたは何者かの手によってこの森に置き去りにされた。他にも身の回りで何か変わったことはなかったか。身に覚えがないわけでもあるまい」
いいえ。王太子ラファエル殿下なら大丈夫です。好き嫌いで国は治まりませんわ。私たちの結婚は国を治めるためのもの。言うなれば政略結婚。個人の感情ではどうにもなりませぬ。万が一、好きなお方がおられたとしてもその方は愛妾止まりかと。
「剣を抜いてくれ。一刻の猶予もない。さぁ、早く」
仕方がありませんね。お待ちになって。今やりますから。剣を握りましてと。引っ張りますわ。
せぇぇの、えいっ!
うわっ! いったーい。夕焼けの赤い空。ひっくり返ってしまったのね。剣は? 地面に転がってますわ。あら、幽霊。殿方らしき姿。あなた様はさっきの骸骨さん?
「古き友よ。心せよ。このまま何もせねばビュシュルベルジェール家はもとより王家は根絶やしにされ、この国は魔王の手に落ちる。魔王の復讐だ。俺は生まれ変わって必ずやここに戻って来る。その時まで古き友よ、剣と俺の杖を守ってくれ」
殿方の姿は霧に包まれていましたが、まさしく王都の美術館にあるローブと杖を持った白の賢者様でした。
「何としてでも持ちこたえてほしい。必ずそなたに会いに来る。それまでは頼んだぞ」
そうお言葉をお残しになり、白の賢者ヒューゴさんは消えていかれました。
☆
夜になりました。寒いし、薄気味悪いし、下僕どもめ。どうしてくれようか。
そういえば、下僕どもは火打石で火を焚いていましたね。私もやってみようかしら。でも、そんな無粋なもの、公爵令嬢たるこの私にふさわしくありません。宝石ならあるわ。ネックレスに指輪。
これで火を熾せるかしら。あら、全然駄目ね。やっぱり火打石でないと火は熾せないようですわ。
そうだ。ヒューゴさんの持ち物を探してみましょう。あった。これが火打石ですね。薄汚い石。
この石ころを擦るのね。まぁやだ。全然火が熾らない。
きっとコツがあるんですわ。それはそうです。ダンスでもピアノでも何でもコツがありますもの。下僕どもがどうやっていたか思い出すことにいたしましょう。
目をつぶります。瞼に移る光景は………。
ああ、男同士がキスをしている。貪りつくように激しく。この二人は、我が始祖アルフレッドと初代国王グランラン・アルドアン。
アルフレッドはキスを終え、おもむろに腰袋から火打石を出した。焚き木に火をつける。お二方は森の中ですわ。旅をしているのね。何か言ってらっしゃる。今夜は冷えるな、体を温め合おう、そう聞こえますわ。
あら、まぁ、どうしたことでしょう。賢者さんに見せられた幻をまた見てしまった。私としたことが、変なまじないをかけられてしまったようですわ。でも、コツは分かりました。こうするのね。かーんたん。火が付きました。
☆
朝、目が覚めるとおサルさんがいらっしゃる。リンゴを山ほど持参されましたわ。上目遣いで腰が低い。礼儀を知ってらっしゃるのね。それにこのリンゴ。私にってことですね。やはり私は公爵令嬢。森の動物たちもひれ伏すのね。
あら、違いますの。おサルさんは指差している。ああ、賢者さんの杖。そういうことでしたか。私を白の賢者様とお間違いなさっているのね。残念ながら私はアンジェラ・ビュシュルベルジェール。公爵令嬢ですわ。
でも、どうしてもと申すなら仕方がありませんことよ。あなたの白の賢者様への御心使いは無駄には致しませぬ。わたしは世間では心の広い人で通っておりますのよ。
さて、どうやって食べましょうかしら。皮ごとなんてはしたないですものね。そうだ。この剣を使いましょう。刃を上においてと、こうやってリンゴを動かすの。あら、上手。うまく切れましたわ。
お腹がいっぱいになりました。このおサルさんにお礼がしたいですわね。何か褒美はないでしょうか。あ、そうですね。称号を与えましょう。あなたは今日から男爵です。ガーフィールド卿とお呼びしましょう。
あら、おリスさんも何か頂けるの。どんぐりですか。これはちょっと無理ですわ。でも、公爵家に殊勝なふるまい。よろしいでしょう。あなたにも称号を与えます。グリーンハルシュ卿とお呼びしましょう。
それから五日間、食べ物には困らなかったわ。おクマさんもお魚を持って来てくれたの。森の動物たちも紳士になりたいようね。でも、そろそろ帰らないと。誰も私を見付けてはくれませんの。無能な下僕ども。それに引き換えガーフィールド卿はなんて頼りになるの。彼に森を案内させましょう。
☆
なんとか王都に帰って来れましたわ。ガーフィールド卿には褒美として、男爵から子爵に格上げしてさしあげましたわ。
屋敷に入る前に、剣と杖です。下僕どもに見つからないようにそっと庭に行き、剣と杖は雑木の茂みに隠しておきました。
剣と杖なんて持って屋敷に入れませんわ。剣なんておしとやかの欠片もありませんし、杖なんて突いて歩いていたと思われたら公爵令嬢の気品が疑われます。
それよりもっと嫌なのは、私が森でサバイバルしていたって勝手に思われやしないかってことです。何もなかったように、優雅に、ただいまって屋敷に入りたいの。
屋敷では皆さん驚いていましたわ。私が帰ってくることは思ってもみなかったようです。下僕どもは誰一人として帰っていませんでしたし。
お父様とお母様は泣いて喜んで下さいましたわ。でも、残念なのは私の葬儀が行われ、王太子ラファエル殿下は私との婚約を破棄されたこと。
しかも、殿下は新たに結婚を約束なされました。相手は男爵家のセリア・レルネ。例のあのお方ですわ。
いよいよ怪しい、とは思いませんか。私が屋敷を出てたったの六日。一週間も経っておりませんのよ。事がとんとん拍子に進んだとしても私を探すまでもなく葬儀はないでしょう。
執事にレルネ家のことを尋ねましたの。レルネ家は子宝に恵まれず断絶寸前だったようです。それでセリアさんを養子に向かえたとか。
どうも釈然といたしませんね。養子だったら男子が良いはずではございませんの。
私は取り巻きの伯爵令嬢たちを呼び集めましたわ。まずは殿下とセリアさんを離すことです。彼女らにそれを頼み、私は常日頃から殿下といっしょにいるようにいたしました。
殿下は婚約破棄をして私に悪いと思っていらっしゃったの。でも、元に戻そうとは思っていないようです。それどころか、近頃は私を露骨に嫌がるようになられましたわ。
そんなある日、殿下が私におっしゃったの。
「大人げないことはもうやめてくれ、アンジェラ」
「あら、突然何をおっしゃるのです。私は殿下にふさわしい淑女であるために教養と美貌磨きに日々努力を惜しんだことはございませんのよ。殿下がお困りになることはないと存じますが」
「セリアの髪飾りを君の取り巻きが取って踏みつけにした」
「下々の者はじゃれ合って、相手を触ったり抱き着いたりしてお遊びになると聞いていますわ。彼女らもそうしていて何かの間違いでセリアさんの髪飾りが落ちてしまって、お可哀想に、踏まれてしまったのではないでしょうか。お互い様ですわね。殿下が気にすることではないかと」
「あれは僕がセリアにプレゼントしたものだ」
「あら、それは大変。いくらお友達だといえ殿下のものを踏みつけにするとは許せませぬ。私が彼女らに強く申し付けておきましょう。淑女は上品でおしとやかに、じゃれて相手にベタベタ触るべきではないと」
「違うよ、アンジェラ。僕が言いたいのは、分別をわきまえてくれってことだ」
「はい。王家と公爵家に固い結束があれば如何なる敵が来ようともこの国は安泰ですわ」
「はぁ? 僕は分別をわきまえろと言っているんだ。君との婚約はもう破棄されたんだ。もう僕らに構わないでくれ」
そうおっしゃって殿下は去って行かれました。気が付けば、私はただ茫然とその後ろ姿を見守るばかりだったのです。
家に帰っても、殿下の後ろ姿が頭から離れません。なぜか胸も苦しくなってまいりました。今までこんな気持ちになったのは初めてです。これが恋というものでしょうか。
夜、目をつぶればまたあの幻です。ああ、我が始祖アルフレッドと初代国王グランラン・アルドアンがキスをしている。貪りつくように激しく。
今度はキスだけではありません。目をつぶりたくなるような光景が延々と繰り広げられました。ですが、幻は頭の中です。目をつぶりようはございませんの。
苦しくなって下僕どもを呼び出しました。伯爵令嬢たちを呼び集めるようにと。
彼女たちが来るまでの時間がどんなに長かったことでしょう。厳しい王太子妃教育を受け、どんな時も微笑みを絶やさないと自負する私であっても、今度ばかりは自分の気持ちを抑えきれません。彼女らが集まって来ると私は淑女らしからぬ、はしたない言葉でまくし立てていました。
「セリア・レルネを王都で最も長く急と言われる西城壁の階段から落としておしまいなさい。大丈夫です。誰もそなたらを責めることは出来ませぬ。セリア・レルネは男爵家と言っても養女。元は平民よ。この国は貴族あっての平民。貴族こそが秩序。牛飼いが牛を殺めて誰が牛飼いを咎めると言うの。伯爵家のそなたらが、公爵家であるこの私からのお願いで、たかが平民一人殺めたとして何の問題がありましょうか」
☆
王都の西に贖罪の塔というのがございますの。貴族を幽閉するために建てられたと言いますわ。
なぜそう言われているかを申しますと特別室がございますの。それは最上階にございまして、下への階段の前には監視さんと鉄格子。でも、上には自由に行き来できるの。上からの眺めは最高ですわよ。王都が全て見渡せますの。
何人もの貴族たちがそこから身投げしたと言いますわ。長い月日幽閉され、耐えきれず、自ら命を絶ったそうです。贖罪の塔と言われる所以ですわ。残念なことですが、私もその最上階にいるのです。
十日前、大勢の近衛兵が我がビュシュルベルジェール家にお越しになりましたの。国王陛下のご命令でお父様に蟄居を御申しつけになり、私はここに連れてこられた、というわけ。
罪状は王族の殺害未遂ですわ。訴えたのは伯爵令嬢の方々よ。でも、無理がありますわ。セリアさんは平民なのですよ。無理矢理拡大解釈したようですね。まだ結婚もしていないただの婚約者なのに。
監視人さんはおしゃべりな方ですわ。今日が愛しき王太子ラファエル殿下の結婚式ですって。他の事も私に逐一報告なさるのよ。やれ王都がお祝いムードだの、やれ王太子妃になる方は立派だの。
そう言えばセリアさんは街に出て貧民に施しをよくやっていたそうね。スープ一杯で平民が喜ぶなんて私は考えもしませんでしたわ。
ですが、本当のセリアさんはそんな生易しい方ではございませんのよ。階段から突き落とした時、首が折れ、手足が変な方向に折れ曲がってしまわれたの。亡くなられたと思いましたわ。それが瞬く間に治りましたの。
伯爵令嬢の方々もあまりの驚きに、取り乱して逃げて行かれました。当のセリアさんは私に向けて持ち前の素敵な笑顔でにこりと微笑み、何もなかったように去って行かれましたわ。
おそらくはセリアさんが私のお友達を虜にいたしたのでしょう。平民どもも騙されている。もしかしたら、施しのスープに何か入れられていたのかもしれませんね。
あら、教会の鐘が鳴っている。時間の様ですわ。愛しき王太子ラファエル殿下は結婚のお相手がまさか魔物なんて思ってもみないでしょう。お助けしなければ。でも、どういたしましょう。
搭の上から降りられる所がないかと何度も見ましたのよ。ツルツルの石造りで、しかも円形搭ですもの。それに高さが高さなの。下を見ただけでクラクラします。
監視人さんにセリアさんのことを話してみましたわ。逆に私の方が魔物ですって。頭が悪いったらありぁしませんわ。言葉は分かるのに、話になりませんの。
本当にどうしたらよろしいのでしょうか。ああ、愛しきラファエル様。居ても立ってもいられません。もう、監視人さんに何としてでも分かってもらうしかないようです。ですが、肝心な監視人さんはおられませんのよ。
スープを貰って頭がおかしくなったのかしら。仕事を放り投げて結婚式を見に行ったようです。鉄格子があるから逃げられないと思ってらっしゃるのね。鍵もちゃんと持って行っていらっしゃるし。
あら、これは珍しい。ガーフィールド卿ではございませんか。お久しぶりですね。どこから来られたんですか。窓からですか。流石はおサルさんですこと。あのツルツルの石の壁を登って来られたのですね。
今日は何の御用でしょう。私はこの通り、立て込んでいるのよ。お相手できるかどうか。え? 窓の外を見ろって。なるほど、ロープがぶら下がっています。これで降りろっていうのですね。
無理です。あなたなら大丈夫でしょうが、私は窓の格子を抜けられません。細身のように見えて、私って結構グラマラスなのよ。え、違う? あ、上? なるほど、頭頂部からですね。ごもっともですわ。では、向かうとしましょう。
これで降りろというのですね。凹凸のある鋸壁の凸部分にロープが括りつけてあります。ツタを編んだようですね。結構丈夫です。下を覗いてみましょう。クラクラします。
駄目。これを降りるのは、私にはやっぱり無理です。だってスカートでしょ。下からお尻がまる見えなんですもの。淑女がやるべきことではありませんわ。
ああ、愛しきラファエル様。どういたしましょう。ああ、これしかないのはわかっているの。大丈夫、誰も見ていないわ。皆さんこぞって結婚式を見に行かれたのよ。アンジェラ、思い出すの。王太子妃教育が厳しくても耐えたことを。生まれながらの美貌に更に磨きをかけるためデザートも我慢したんじゃなかったの。
下を覗いてみる。ああ、やっぱりクラクラする。もう駄目。目がくらむ、気が遠くなりますわ。あら、やだ。またあの光景あの幻。我が始祖アルフレッドと初代国王グランラン・アルドアン。
二人は貪りつくように激しくキスをし、アルフレッドが言いましたの。さ、行くよ、グランラン。そして、ロープを伝って崖を降りて行く。深い穴であった。ダンジョンの入口のようだ。
あら、私にも出来るような気がするわ。ロープを体に一回まわしてと、ロープを握る。降りてみた。ロープを送る手も、壁に突っ張る足もしっくりくる。これなら行ける。地上が近付いて来ましたわ。
下にはおサルさんたちが待っていらっしゃる。あら、なんと、封印の剣と賢者さんの杖ではございませんの。庭の茂みから見つけて来られたのですね。すると、これを持って行けってことですか。分かりました。愛しきラファエル様をお助けに参りましょう。
☆
結婚式は青空の下で行われます。国王の庭園を改装したと監視人さんはおっしゃっていました。貴族平民関係なく、多くの国民に祝ってもらえるようにとの王太子殿下のご配慮だそうです。
貴族平民が見守る中、愛しきラファエル様は長い長いバージンロードを歩くの。私も人を押し退けて進みますわ。もう、まさに大司教の前です。愛しきラファエル様がセリアさんのベールをお上げになって誓いのキスをなさろうとしています。私はバージンロードに飛び出しました。
「この結婚、許しません!」
あら、愛しきラファエル様の驚きよう。ベールから手を離し、私を指差すの。
「その女を捕らえよ!」
え? なんで?
まぁ、嫌だわ。近衛兵が私に群がって来ました。汚らわしい。私の体にベタベタ触るの。
離しなさい。そうきつく命じますが誰も聞く耳もってくれません。レディーに対して失礼ではございませんこと。
あら、空に一羽の鷹。やけに低い所を飛んでらっしゃる。あらまぁ、それが舞い降りてぇ、まぁっ!
セリアさんを襲いましたわ。セリアさんの顔に爪を立て、ベールを持ち去って行かれました。
セリアさんは痛がっています。どうやらベールと一緒に、目玉一つも持っていかれたようですわ。
セリアさんは悲鳴をお上げになられました。と、いいますか、怒ってらっしゃるようですね。大きな口を開け叫んでいます。あら、嫌だ。尖った歯がいっぱい。舌が長く伸び、その先は二つに分かれています。
驚きましたわ。私だけでなく、見物していた多くの貴族たち平民どもが硬直しています。
ところがセリアさん。何事も無かったように愛しきラファエル様の方にお向きになられました。もう目は治ってらっしゃる。キュートで笑顔の素敵なセリアさんが誓いのキスの続きをと、愛しきラファエル様にせがまれていらっしゃる。
だめ! 愛しきラファエル様は嫌がっています。お助けせねば。ちょうど私にベタベタ触っていた近衛兵もいなくなったことですし。
あら、まぁ。愛しきラファエル様とセリアさんの間に入るお方がいらっしゃる。蜘蛛の子を散らすように皆さん逃げ惑っていらっしゃるというのに、なんて勇敢なお方。
あの方は確か、ドラゴン騎士と異名を持つお方。名前は何とおっしゃったか。平民出の何とかってお方ですね。
ドラゴン騎士さんは剣をお振り上げになると踏み込まれました。縦に一閃。あら、素晴らしい剣技だこと。セリアさんが真っ二つ。
でも、くっつくのね。
セリアさんは頭から股にかけて斬られたというのにミミズのような触手が左右どちらからも伸びて絡み合って引き合うの。はい、元通り。元のキュートで笑顔の素敵なセリアさん。
ドラゴンのなんとかさんはお可哀そう。お顔をお掴まれになって、お首をへし折られてしまいましたわ。
愛しきラファエル様は動けませんの。またセリアさん、誓いのキスをせがまれている。あら、今度はカラス。なんとまぁ、にぎやか。大勢で来られましたこと。セリアさんにお群がりになり、もうセリアさんの姿は見えません。チョコレートでコーティングされたようですわ。
セリアさんとカラスがお戯れになられている間に、愛しきラファエル様を安全な所にお連れしないと。でも、カラスさん、セリアさんの叫びと共に散り散りになってどこかに行かれましたわ。姿を現したセリアさん。あらまぁ、真っ黒いヘビかトカゲになってらっしゃる。
翼もお持ちなのね。コウモリみたい。手を大きく広げると飛び立って行かれましたわ。
でも、お帰りにはならないのね。王都の上空を旋回し、何やら吐いています。タンでしょうか。ツバキでしょうか。さすが平民出ですわ。無教養で下品極まりない。
街中でタンを吐くのは百歩譲ったとして、人に迷惑をかけるのはいかがなものかしら。タンに触れたところ全てが溶けていきます。逃げ惑う人はもちろん、建物まで。
酸か王水みたいなものなのでしょうか。王都はもうぐちゃぐちゃです。
あちらこちらで凄い音ですの。それに汚らしい砂塵。肌と髪が台無しですわ。
あららぁ、石壁が溶けてしまってあの贖罪の塔までも倒れていきましたわ。見晴らしが良かったのにもったいない。
え? 愛しきラファエル様。どうしたことでしょう。大丈夫かとおっしゃって私を今、抱いてくれていらっしゃるの。私を守りに来て下さったのですね。そして、謝っていらっしゃる。
ああ、なんて気分がいいこと。夢心地………。
嬉しくて気を失いそうよ。そうやって前世も私を抱いてくれたのね。嬉しい。私ならこのまま逝ってもよろしいのですわよ。
あら、杖が光っている。みすぼらしい古びた杖が、光沢のある真っ白い杖に変わりましたわ。と思いましたら、杖の頭から一筋、光をお放ちになった。
光が差した先は空の向こう。あれはイーグル? あらまぁ、なんて大きな鷲だこと。
こっちに飛んで来ましたわ。そして、王都を旋回するセリアさんを襲いましたの。
二体は空でもみ合って、私たちの前に落ちて来られましたわ。イーグルさんがセリアさんのお首を大きなおみ足で地面に押さえつけていらっしゃる。
ああ、そういうこと。セリアさんのお首を私に斬れってイーグルさんはおっしゃりたいのですね。
分かりました。ちょっとお待ちになって。封印の剣をお持ちしましょう。あら、でも、セリアさん。よっぽどお首を斬られたくないようですね。私に例のツバキを吐きかけて来ましたわ。
ああ、愛しきラファエル。私を助けて下さるのね。間一髪のところで私を押し退けて下さいました。そして、私が落としてしまった封印の剣をお拾いになり、セリアさんのお首をお刎ねになられましたわ。
セリアさんは悲鳴を上げました。もう復活は致しません。燃えた灰が崩れるようにセリアさんは消えて行きましたの。
☆
あれからもう五年。王都は今のところ何事もなく平和ですわ。平民はいつもの通り、日々の糧を得るために右往左往していらっしゃる。そういうところですよ。だからちょっと施しを受けると騙されるのです。
私は平民どものために学校を造りましたわ。もう少し頭を使ってくださいとね。あ、そうそう。ガーフィールド卿には感謝しておりますわ。功労者ですもの。伯爵の地位をご用意させて頂きましたの。領地もございますのよ。王都の東の森。誰ももうガーフィールド卿の許し無くして木の枝一本たりとも切ることはかないませんの。
愛しきラファエルは今や国王陛下でございますのよ。偵察隊の結成をお命じになり、西方の彼方にあるリディアというところに人を送られましたわ。どうやら魔物の勢いが増しているようですね。必ずや彼らはここにやって来るでしょう。
剣と杖は大丈夫です。国宝として城の奥深く、近衛兵団の精鋭に守らせているわ。もちろん、私は愛しきラファエルと結ばれましたの。もう幻は見なくていいのですよ。頭の中でなく、実際に毎日そうやっておりますもの。
二人の子宝にも恵まれましたのよ。そうそう。この前、上の子のジョルジュサンクさんが私におっしゃったの。
「古き友よ。ありがとう。杖と剣を守ってくれて」
ですって。
お待ち申しておりましたのよ。でも、まさか私たちの子供に転生なさるなんて流石白の賢者ヒューゴさん、ベストチョイスじゃぁございませんこと。
《 了 》
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