満点屋
「やっほー。タマキ、おっすー」
「あ、アミ。おっすー」
「ねぇ、聞いてよぉ~。昨日彼氏がぁ~・・・」
私は旗屋タマキ。大学二年生だ。またどうでもいい話を聞かなくてはならないのか思うと憂鬱になる・・・。彼女は私が所属するグループの一人、北条アミだ。
「えぇ、また彼氏の話ぃ!?」
「ホントね~!アミは学校に来たら開口一番〈彼氏がぁ〉しか言わないんだから~(笑)」
そう反応するのは西野サツキと小早川カナだ。基本的に私は彼女達を含めた四人グループに属している。この学校はお嬢様率が高く、中・高一貫校からそのままエスカレーターで大学に進学してくる子達の割合が多い。アミとサツキもエスカレーター組で、特にアミにいたっては良い所のお嬢様感がムンムンだ。
同時に、こういったお嬢様が多い環境だからなのか、見栄やらステータスやらを気にする子も多い。誰とツルむか、どのグループに属しているか、見えない部分で誰もがポジション争いをしている。「ステータスの高い人間とくっついていたい」、「クラスヒエラルキー上位の人達と一緒に居たい」などという、「承認欲求」のためだけに本当の自分とは違う誰かを演じ続けるのだ。
私自身は外部入学だったということもあり、当然そんな内情があるとは入学当初は全く把握できていなかった。しかし、入学当初にたまたま話しかけてきてくれた同じ外部入学組のカナが、「実はそんな内情がある」という事を教えてくれた。どうもカナのお姉さんがこの大学出身のOGだったらしい。
とまぁ、そんな話を入学早々に知ってしまったからには、始めの友人作りは気合を入れて行わざるを得なかった。「毎日つまらない、クラスの端っこにいる様な大学生活には絶対にしたくない・・・!」、そう思ってしまったのだ。「なるべくイケてそうな、最低でもクラスヒエラルキーの中位以上の子達と一緒に居なくては自分の思い描いている様な大学生活は送れない・・・!」。こんな焦りの気持ちに駆られ、躍起になってしまった自分がいた。今思えばこれが間違いだったのだろう。
しかし、そんな入学直後の友達作りへの情熱も、時が経つにつれ陰りを見せてくる。そして、そこで作り上げた関係性が果たして本物だったのか、はたまた上辺だけのものだったのか、徐々に明らかなってくるのだ。それを本人達が自覚しているか否かは置いておいて。
「でさぁ!ホント彼氏が酷くってぇ!」
「あはは!ウケるー!」
「アミ、今度彼氏にガツンと言ってやりなよぉ~!(笑)」
互いが互いをジャッジして自分の居場所を確保する。そして、私自身もいつの間にか本来の自分とは違う誰かを演じてしまっている。そんな違和感を自分自身で感じていながらも、本来の自分に戻ろうとはしない。それはきっと、本当の自分を見せて独りになってしまうのが怖いからだ。そんな毎日を生きてしまっている事にウンザリする。でも一番嫌いなのは・・・。
〈それを自分の日常として受け入れてしまっている‘私自身’だ〉
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「ただいまぁ・・。疲れたぁ・・・」
バイトが終わり家に帰るともうクタクタだ。一人暮らしで家には誰も居ないことは分かっているはずなのに、帰宅時の「ただいま」と、家を出る際の「いってきます」は癖になっていて中々抜けない。実家に居た時からの習慣で、これが条件反射というやつなのだろう。
疲れていてベッドに飛び込みたい気持ちは山々なのだが、今日はやらなければならない大学の課題も残っている。先週の講義で出されていた課題のレポートにまだ手を回せずにいた。
「あぁ・・!もうイライラする・・・!」
どこかムシャクシャした気持ちが収まらない。最近はこの正体の見えないモヤモヤした感情にずっと付き纏われて続けている。
「名の知れた大学に入って、学校じゃそれなりに人気者・・。それなりにモテだってする・・・!他の子達から見たら誰もが羨ましがる理想の大学生活じゃない・・・!なのにどうして・・・? どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないの・・・!?もう毎日が苦しいよ・・」
〈ピリリリリリリリリッ〉
携帯の着信音が鳴った。着信を見ると母からだった。
不思議なことに、私が酷く落ち込んでいたりする時は何故か母から電話がかかってくることが多い。私がまだ実家に居た時も、私が母に何を話すわけでもなくふさぎ込んでいたりする時は、それを察してか母はよく気にかけてくれていた。私が一人暮らしを始めてからは、当然私の姿は見えていないはずなのに不思議なものだ。母に直接言う事はないが、こういった電話には幾度となく救われている。
「もしもし。お母さん?」
「あ、タマキ?あんた元気にやってる?ちゃんと野菜はしっかり食べてるの?」
「うん、元気だよ。ご飯もしっかり食べてる」
母から電話がかかって来る時は、決まって「野菜はしっかり食べてるの?」という質問から始まる。一人暮らしを始めて一年の娘を気に掛ける気持ちは分かるし有難いが、もう少し違うバリエーションも欲しいと思わなくもない。
「そう、それならいいけど。まぁ、あんたのことだからちゃんとやってると思うけど、無理だけはしないでね。勉強とバイトの方はどう?」
「大丈夫だよ。去年一年間通しても成績は全然悪くなかったでしょ?」
「そうね。二年生になって段々気が緩んでくる頃かと思って少し言ってみただけ(笑)。それと・・ごめんなさいねタマキ・・・。その・・家の事情とはいえ、学生をやりながら奨学金のためのアルバイトをしてもらうことになってしまって・・・。お母さん・・本当に申し訳なくて・・・」
「何でお母さんが謝るの?大学に行きたいって言ったのは私だよ?家の事情も理解してる。だったらそのために自分で学費を稼ぐのは当たり前の事だよ」
私には父親がいない。実家にいた頃の私は完璧とまではいかなくても、そこそこ母親の期待には応えてきた「しっかり者」で通っている。父親がいない分、母親に迷惑はかけられないと、周りの同年代の子達に比べても自立心が芽生えるのは早かったと思う。そういった部分が功を奏してか、「私がしっかりしているから、お母さんは私を一人で留守番させて安心して仕事に行くことが出来る。逆に私がしっかりしていなければ、お母さんは不安になってしまう」という事を幼いながらに理解していた。
そんな感じで幼少期から母と共に過ごしてきた私は、母を安心させるためにも「しっかり者のタマキ」で居続けなければならない。
でも体は正直だ。奨学金を稼ぐためにバイトのシフトに入り過ぎて体を壊してしまったこともあった。しかしこれはあくまで肉体的な問題だ。シフトの調整をすれば少なくとも改善させる事は出来る。だが一方で、自分ではもうどうしようもなく参ってしまっている事もある。物理的はどうすることも出来ない〈私の内側の部分〉だ。それは、「自分と周りを比べてしまう事」。これが私とっては何より辛くて苦しい・・・。これが私が精神的に参ってしまっている一つの要素でもあった。
「他の子達は親が学費を出してくれてるんだろうな・・」、「バイトすらする必要性も無いんだろうな・・・」、「そりゃあ、周りはお嬢様ばっかりだもんな・・・自分とは違うから・・」、などといった様な、様々な〈劣等感〉や〈妬み〉の感情を抱いてしまう事が日々多くなってしまっていた。自分で言うのはなんだが、これまでの私は「他人と自分を比較してどうだ」とか、「どっちが優れていてどっちが劣っている」、などといった考えや価値観とは無縁の人間だった。しかし、それが今ではどうだろう。大学に入学して以来、こんなに浅ましく、自分を恥じたくなってしまう様な感情を抱くのが当たり前の生活になってきてしまっている・・・。
(お母さんにはこんな事言えないよ・・・)
「じゃあ元気でやるのよ」
「うん・・。電話ありがとうね」
大学受験時こそは〈夢のキャンパスライフ〉に憧れ、「奨学金をバイトで稼ぎながら学業も両立させてみせる!」という強い覚悟を持っていた。本当は学費面の事を考えて国立大学を志望していたのだが、その夢は叶わなかった。でもそれは自分の責任だ。
出来るだけ良い会社に入ってお母さんに楽をさせてあげたい。ならば、「高校を出てすぐに働きに出るよりも、私立でも良い大学に入った方が長期的に見て良い選択のはず」、「浪人という働きに出るのが遅くなってしまう選択肢は取れない」。ならばと、私立の中でも「高い就職率」、「高い偏差値」、「大学のブランド力」の三拍子を誇るこの大学を選びもした。この選択に対して何の後悔もしていない。
しかし、いざ夢の大学生活が始まってみると、そこで待っていたものは想像していた華やかなものとは違っていた。「お嬢様学校に通いながらも奨学金を返すために必死にバイトをする自分がいるという現実」。そして何より、「薄っぺらい人間関係の中で独りにならない様に自分の居場所を確保し続け、自分とは違う誰かを演じ続けなければならない日常・・・」。色々な事に心が疲れ始めていた。
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「はぁ・・課題やるの疲れた・・・。少し息抜きしないと・・。あ、メールのボックス整理しなきゃ」
メールのボックス整理は割と小まめに行っている。というのも何かしらのショップに登録している事が多いため、数日間なにもしないまま放置しておくと次の日には、〈受信ボックス:100通〉などとメルマガで一杯になってしまっている事が多い。一気に削除してもいいのだが、小まめに削除していく方が私の性には合っている。それに、節約のため普段は中々手を出すことが出来ない洋服や雑貨のメルマガに目を通していると、時間を忘れて自分がそのアイテムを身に付けている様な気分になれる。現実に戻ると少し虚しい気持ちにはなるが、ある種の良い気分転換にはなっている。
(これだけのアドレスが在ってよく被らないよなぁ)
メルマガに目を通しながらふとそんな事を考えた。「これだけの数のアドレスが存在しているなら、一つくらい同じアドレスが被っていてもおかしくなさそうなのに・・・」。そんな単純な疑問だった。
車のナンバーや携帯の電話番号に対しても同じ事を感じたことがある。「これだけの数の車のナンバーが世の中に存在しているのなら・・・」、「これだけの数の電話番号が世の中に出回っているのなら・・・」。
まさにそんな感覚に近かった。
(適当にアドレスを作って送ったら誰かに届いちゃったりして・・・)
〈カタカタカタカタ〉
何て事のない只のふとした思い付きだった。だがどうにも気になってしまう。気付くと指は勝手にキーボードを叩き始めていた。
「こんな感じのアドレスなら実在したりするんじゃないかなぁ?(笑)どうだろ、あはは」
〈melancholy-feelingxxxx@xxx.com〉
「憂鬱な気分」。今の自分の気持ちを表してこんなアドレスにしてみた。
(まぁ、届くわけないし・・・)
そう思いながらも指はキーボードを叩き続けている。特に書く内容を決めていたわけではない。にもかかわらずキーボードを叩き続ける指は止まらなかった。
「誰に届くわけでもないメール」という事は分かっていながらも、いつの間にか「その誰か」に救いを求める様に、自分の今の気持ちをそのまま綴ってしまっていた。
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件名:どこの誰か知らないアナタへ
本文:「今、どうしようもなくやるせないい気持ちで一杯です・・。毎日毎日、周りの顔色を伺って、演じて・・・もうウンザリです・・。周りの子達はお嬢様ばっか・・・。何の苦労も知らないで毎日毎日のうのうと・・・。
でも「他人は他人」、「自分は自分」、そんなの分かってます・・。生まれだって、家庭の環境だって皆人それぞれ・・・。比べたって何の意味もない・・。そんなの分かってる・・・!分かってるはずなのに・・知らない内に比べてしまっている自分がいるんです・・・。今まではこんなこと考えたことすらなかったのに・・・。
そう思うと、自分って一体何なんだろうって思えてくるんです・・。これが私の本性なのかな・・とか、自分は酷い人間なのかもしれない・・、とか色々考えてしまう・・・。そんな自分がどんどん嫌いになる・・・・
最近は本当に耐えられない・・。毎日毎日こんな感情に支配されてます・・・。
このメールが届いたアナタ、いきなりこんな事ごめんなさい。訳が分からないですよね・・・。でもお願いします・・・どうか助けてください・・。
旗屋タマキ」
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(はぁ・・何書いてるんだろ私・・・)
〈カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・・〉
時だけが進んでいく。唐突な訳の分からない感情に身を任せてメールを書いてしまったものの、ここからどうすればいいのか分からないでいた。
打ち終わったメール画面を見つめていると、部屋の時計が秒針を刻む音が聞こえてくる。夜中、中々寝付けない時に陥る現象だ。普段全く意識していないはずの秒針の音なのに、一度意識してしまうとそれを意識外に外すのは難しい。それがまた、より寝付けなくなる原因にもなってしまうやつだ。暫くそんな状態が続いていた。
無意識に書き始めてしまったメールではあったものの、「日々、自分が感じている感情を文章化したもの」、という認識して改めて読んでみると、「自分はこんな事を普段から感じていたのか・・・」と実感する。「こんな事を感じていたんだな・・」という純粋な気持ちもあれば、同時に情けなく、恥ずかしくもなった。なんて「弱い人間なんだろう」と思い知らされてしまう。
(ここからどうしよう・・・)
いざメールを書いてみたはいいものの、「こんな自分の恥を曝したメールを本当に送信してしまっていいのだろうか・・?受け取った側はどう思うのだろうか・・・」という思いと、「そもそも、このアドレスに届くかすら分からないのに悩む意味もない。だったら送信ボタンをとっとと押してしまえ!」、そんな考えと考えが交錯してしまっていた。
日常の何気ない選択肢であれば、「やってから考える」という選択をするのが私なのだが、今回はどうにも躊躇ってしまっていた。
「ええぃ・・!」
〈カチッ〉
悩んでいても仕方ない。それにせっかく書き上げてしまった文章だ。それを無駄にするのも何かもったいない様な気がして、覚悟を決めて左クリックを押した。
「すぐに送信エラーで戻ってくるでしょ・・・」
10秒・・。30秒・・・。1分が経過した。
「あれ・・?戻って来ない・・・?」
宛先の間違っているメールを送信した場合、そのメールはエラーメールとして比較的すぐに戻ってくるはずだ。しかしなかなか戻ってこない。
「届かない時って確か、〈エラーで送れませんでした〉ってすぐに返ってくるよね・・・?もしかして・・本当に届いちゃっ・・たっ・・・てこと・・・?」
何処かの誰かに届くことを心のどこかで期待していながらも、いざ本当に届いてしまったのかと思うと突然不安が押し寄せて来てしまった。
(え・・ウソ・・・。あんな訳の分からないメールが本当に届いちゃったの・・?受け取った人絶対困るやつじゃん・・・。というか困る以前に気持ち悪いと思うよね普通・・・)
それもそのはず。冷静に考えれば、いきなりあんな訳の分からない内容のメールが送られてきたのが自分だったらと考えると、「何だこの気持ち悪いメール・・・」と思うのが普通の感覚だろう。唐突な思い付きと自分の感情の高ぶりに流されてしてしまっての事ではあったが、「なんてメールを送ってしまったんだろう・・・」という後悔の気持ちが今更になって込み上げて来た。
「でも・・たまに結構遅れてエラーメールが返ってくる時もあるし・・時間がかかってるだけだよね・・・きっと・・」
何かに理由を付けて落ち着こうとしている自分がいた。
「・・ってヤバい・・・!こんな事してたらもうこんな時間になってる・・!課題まだ途中だったぁ・・。あぁ・・もう・・・!」
ふと時計を見ると既に23時を回ろうとしていた。突拍子もない思い付きに大分時間を割いてしまっていた様だ。急いで課題に取り掛からなければならない・・・。
「あぁ・・疲れたぁ・・・」
やっとのこと課題のレポートを完成させ、風呂から上がったらもうグッタリだ。
「あぁ・・やっと寝れる・・・」
ベッドに勢いよく飛び込んだ。一日における様々な活動を行う中で、「あとはもう寝るだけだ!」という状況ほど幸せなものはない。もし大学生活の悩みなどなく、次の日の朝を楽しみに出来る自分がいたのなら、それはどれほど幸せな事だろうか。たまにそんな事を考えてしまう。
(あ・・そういえばさっきのメールどうなって・・・。まぁ、返ってくるわけないか・・。いいや、疲れた・・もう寝よ・・・)
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〈ピピピピピピピピピピピピッ〉
「んっ・・んー・・・。眩しい・・」
目覚まし時計の音で目を覚ました。カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。どうやらもう朝の様だ。
「あれ・・?今7時・・・?いつもはあまり寝むれなくて6時頃には勝手に目が覚めちゃうのに・・・。今日は久々によく眠れた気がする・・」
最近は大学生活の悩み事がベッドに入ってからもなかなか頭から離れず、あまりよく眠れない日々が続いていた。目覚まし時計を7時にセットしていても、いざ翌日になると目覚まし時計が鳴る前に勝手に目が覚めてしまう。自分の体はまだまだ寝足りずに睡眠不足だということを訴えてくるのだが、そのあと寝ようとしてもなかなか寝付けない事ばかりだ。しかし今日は珍しくきっかりセットした時間まで眠ることが出来ていた。
「珍しいな・・。んーーーーーっ、あぁぁ・・久々にちゃんと眠れた気がする・・・」
いつもより寝不足ゆえの体の重さも少なく感じる。
「あ・・そういえばメール・・・」
結局あのメールは届いたのだろうか。無性に気になりメールをチェックしてみることにした。
(あんな適当に作ったアドレスだし届く訳ないよね・・。でも昨日はエラーで返って来なかったし・・・。でもきっとただの時間差で遅かっただけだよ・・。うん・・・)
「・・え・・・?」
しかし受信画面を見て驚愕した。返信が返って来ていたのだ。それはどう見てもエラーメールの返信内容ではなかった。
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差出人:満点屋
件名:毎度ありがとうございます。
本文:「毎度ありがとうございます。あなたのお悩みに何でも対応、あなたの人生の満点を目指す〈悩み事・受付代行 満点屋〉でございます。この度はご利用いただき誠にありがとうございました。
昨晩ご相談いただきましたお客様のお悩みの件ですが、こちらでお預かりしたことをご連絡させていただきます。お客様のお悩みが迅速に解決されるよう、尽力させていただきます。
また、こちらでお預かりしたお客様のお悩みの発送は明日以降となります。
この度はご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。
「満点屋 一同」
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(え・・何このメール・・・。イタズラ・・?)
まさかの展開に頭が付いていかないでいた。只でさえ適当に作ったメールアドレス宛にメッセージが届いていた事に驚いているのに、そんなメールに対して返信まで来ていたことに動揺を隠せない。ましてやそれだけならまだしも、加えて返信内容があまりにも突拍子のない意味不明な文章だ。この状況下に居ながらも平静を保っていられる人間がいるのであれば見てみたいものだ。
「満点屋・・?悩みをお預かり・・・。よく分からないけど、本当に誰かに届いちゃったってこと・・・?」
〈カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・・〉
まさかの想像だにもしていなかった展開に一切の思考が上手く回らずにいる。
(夢じゃないよね・・?まさか私まだ寝てるんじゃ・・・)
右側の頬裏を思いっきり噛んでみた。
「痛っ・・・!」
どうやら現実の様だった。自分の歯で右側の頬裏をしっかり噛んだ感触がまだ残っている。噛まれた頬裏も、まだ〈ジーン〉とした地味な痛みは消えていない。
「本当に届いて返信が来ちゃったんだ・・・」
本心では「何処かの誰かに届いて欲しいと」いう願いは確かにあった。そこで「何かしらの救いがあったら・・・」いうと淡い思いも有りもした。しかし現実問題、仮に私のメッセージが誰かに届いたからといって、そこからどうこうなるだなんて事は想像すらしていなかった。
だが、現実に私宛に返って来たメッセージには、「私の悩みを預かった」と書かれている。一体どういう意味なのだろうか・・・。やはり只のイタズラで、「それっぽい事を書いておけば送り主をからかいつつも、それっぽい返信が出来る」と返信主も考えたのかもしれない。それが考え得る中で一番可能性が高いだろう。
〈カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・・〉
「は・・・!今何時!?」
どれだけの時間が経っただろうか。時計は既に8時を回ろうとしていた。
「・・・・!ヤバい!学校遅れる!今日一限からだった・・・!」
慌てて支度をした。一限の講義に間に合わせるためには遅くとも8時20分の電車に乗らなければならない。寝ぐせを直したり朝食を食べている時間はもうない。化粧も適当だ。
「いってきます・・・!」
こんな時でさえも律儀に「いってきます」と言ってしまう自分を褒めてやりたい。習慣の賜物だ。
「あぁ・・もう・・・!駅間に合うかなぁ・・!?」
「三番線のドア閉まりまぁす」
「あ・・・!待って!!!」
〈ダダッ・・・!〉
「駆け込み乗車はご注意くださぁい」
「はぁ・・はぁ・・はぁ・・はぁ・・はぁ・・」
何とかギリギリ8時20分の電車に乗り込むことが出来た。全力疾走してきたせいか、体はもう汗でビショビショだ。
(疲れたぁ・・・もう汗ビッショ・・)
ここまで全速力で走ったのは高校の部活以来だっただろうか。かつての陸上部の練習が懐かしく感じる。大学に入ってからは殆ど運動という運動はしていなかったが、これまでの部活で培ってきた「体力貯金」なるモノがもしあるとするならば、今この時、その貯金を全て使い果たしてしまったと言っても過言ではないだろう。それぐらいの速度で全力ダッシュをして来てしまった・・・。
とまぁ、大袈裟な言い回しで全力ダッシュしてきたのは本当だが、間に合った一番の理由は住んでいるアパートが割と駅に近かったからに他ならない。これほど駅の近くに住んでいて良かったと深く実感する機会もそう多くはないだろう。
「この先、電車が揺れますのでご注意くださぁい」
通勤ラッシュの電車の中で押し潰されそうになりながらも、届いていたメールの事を考えていた。
(本当に何だったんだろう・・あのメール・・・。それに満点屋って・・何・・・?)
単なるイタズラだろうと思いつつも、どうにも不気味な感じが拭えなかった。
―――――――――――――――――――
〈シューーーーーーーーーーーーッ〉
「これでよし!臭くないよね・・?」
無事学校に辿り着くことが出来た。全力疾走でかいてしまった汗の処理をしようと、そそくさとトイレに駆け込み制汗スプレーで痕跡を消していたのだ。身だしなみや清潔感には普段から気を使ってはいる方ではあるが、ここはお嬢様学校だ。より気を配らなければと気を使ってしまう。
「タマキー!遅い遅い~、遅刻ギリギリだよ~。席こっち確保済み~」
「あ、カナ。うん、今日寝坊しちゃってさぁ・・・」
一限目の授業開始にもなんとか間に合った。教室のドアを開けると、席を取っておいてくれたカナが手を振って呼んでいる。アミとサツキも既に席に座っていた。
「おはよ、タマキ。今日提出の課題やった?」
「おはよ。うん、やったやった。大仏のヤツ、先週も課題出したばっかなのに今週もとか課題出し過ぎだよね・・。ホント面倒くさい・・・」
大仏とは一限目の教授の名前だ。日本経済史の講義の担当なのだが、体型といい顔といい髪型といい、とにかく何もかもが大仏にそっくりなのだ。なので学生達の間では「通称:大仏」で通っている。
「だよねぇ~。私この単位落そうか考え中ー。ねぇ、アミ!一緒に落としちゃおうよ、大仏の単位!別にアイツの単位いらなくね!?」
サツキがアミを唆している。サツキは割と不真面目な子で、面倒くさい講義の単位はことごとく落としがちだ。そして大体アミを唆し口説き落とすことが多い。
「えぇー、どうしよっかなぁ」
「いいじゃんいいじゃん!アミ、確か一年の時多めに単位取ってたし余裕っしょ!それに私らまだ二年の前期だし、三年の前期までに巻き返せば問題ないってぇ!一番遊べるのは二年なんだから、この時期を棒に振ったらマジで損損!」
「それもそうだね!マジでそうする!?確かにこれ落してもぶっちゃけ支障ないしなぁ。後期で楽そうな単位取りまくればいっか!サツキがそうするならいいよ!」
案の定、アミもサツキと結託することにしたらしい。まぁ割と見慣れた光景ではある。これがエスカレーター組と外部組との感覚の違いなのだろう。こういった彼女達のやる気というか、責任感の無さにはイラっとすることも少なくないのだが、これは個人の問題だ。要領が良く、取るべき単位をしっかり取って難なく卒業する者もいれば、その逆もいるだろう。この二人がそのどちらだろうと私には関係の無い事だ。
「ちょっとまたぁ~!?今期落とす単位これで三つ目だよ~?二人とももう少し頑張ろうよ~(汗)」
と、そんな中引き留めようとするのはカナだった。こう言っては何だが、カナは外見に反して真面目な子で、自分が取った授業の単位は落としたことはなかったと思う。サツキとアミの二人が単位を落とすことを決め途中離脱しても、カナと私だけはいつも継続して講義に出続けていた。
「いやいや、カナさん・・・。無理っす。この講義・・もうキツいっす(笑)」
「私も同意っす(笑)」
〈キャハハ〉
「もう~、まったく~」
カナの引き留めも虚しく、二人の中では既に大仏の単位は落とすことに決まってしまった様だ。
そんな時だった。
「タマキはどうなの?大仏の単位落としちゃう?タマキもそうしちゃうー!?」
サツキとアミがニヤニヤしながら私の顔を覗いている。
(はぁぁぁ・・・)
怒りの感情と共に、思わず深いため息をつきそうになった。
(自分で学費を払ってないからそんな事が平気で言えるんでしょ・・・!?私もそれに巻き込むわけ・・・!?)
最悪だ・・・。朝からまた憂鬱な気分になりそうだ・・。私はエスカレーター組の様なお嬢様ではない。学費だって奨学金を借りて、少しでも将来が楽になる様に今バイトをして頑張っている。そんな軽々しく単位を落としてヘラヘラしているだなんて・・・。
(許せない・・・!)
「ちょっと何言って・・・。タマキはそんな事しないよ~。ねっ、タマキ~?」
しかし、その問いに対して私の口から自然に出てきた言葉は、自分でさえ全く理解しがたい言葉だった。
「あっ、私もそうしちゃおっかなぁ!この講義かったるいもんねぇー(笑)」
気が付くといつもの自分だったら絶対に言わない言葉を発してしまっていた。
(私は今、一体どうしてこんな言葉を言っているのだろう)
普段なら絶対に有り得ない自分の言葉に驚きながらも、何故か違和感は感じてはいない。
〈本心で、自分が素直に思っている感情をそのまま口にした〉
まさにこんな感覚だった。サツキやアミに対する怒りの感情さえ感じていない。むしろ心から同調している感覚だった。
これまでの自分であればサツキやアミに対する怒りの感情を何とか抑え、やんわりと断っていたはずだ。にもかかわらず、そんな気持ちは今の自分の中には一切なく、本心から「大仏の単位は落としてもいいや」と思っている。
本当にどうしてしまったというのだろう。日々の悩みが募り過ぎてとうとう感覚がおかしくなってしまったのかもしれない・・・。
「そうしよ、そうしよ!なになに!?タマキ今日ノリ良いじゃん!いつもなら絶対断るっしょ(笑)ぶっちゃけダメ元で言ってみただけだったのにぃ(笑)まさかノってくるとは・・・!」
「えー、そうだっけぇ?(笑)」
「そうだよ!いつも必ず断るじゃん(笑)。タマキもやっと私達のノリに付いて来れる様になったかぁ、うん。感慨深い・・・!(笑)」
〈キャハハハッ〉
「え、ちょっと・・。タマキ、本気~・・?私はこの単位落とさないよ~・・?」
自分で学費を払っているという自負があるせいか、どんなに退屈で課題が大変な講義であろうと、これまで単位を落としたことは一度もない。今日の私はどうかしてしまっている。
「とまぁ!そういう事で私達はこの辺で~。次の二限まで結構時間あるね、カフェテリア行こっ、カフェテリア!カナも気が変わったらおいでよぉ(笑)。じゃあまた後でねぇ」
「カナごめん・・。今回は私もちょっと・・・(苦笑)」
カナとはこれまでいつも同じ講義を取り続けてきた仲だ。申し訳なさを感じつつも、自分の中の「大仏の単位を落とす」という意思に変わりはなかった。
「う・・うん・・。私は別に大丈夫だけど・・・」
「まさかタマキが単位落とすのにノッて来るとはねっ(笑)。超意外~」
「ねっ!私も思った!」
サツキとアミの二人から見た普段の私とはやはり違うらしく、しばらく経ってもイジられてしまっていた。それもそうだろう。私自身も自分の行動に驚いているのだから。
「あはは。たまには・・・ね?」
「まぁ、人生真面目過ぎてもつまらないからね!こういうのもイイと思うよ?タマキ君!」
「タマキ‘君’って・・・(苦笑)」
「あ・・・!そういえば明日からマルジュウで大きいセールやるらしいよ!明日カナも誘って皆で行こうよ!」
「あ、いいねぇ!」
「タマキは大丈夫?バイト忙しかったりする?」
「明日はシフト入ってないし大丈夫だよ!行こ行こ!」
「お、いいねぇ。タマキここん所ずっと‘忙しい忙しい’ばかりで全然遊べてなったからさぁ」
「ごめん・・・(汗)」
基本的に私は大学が終わればバイトバイトの日々で、あまり大学生らしい遊び方は出来ていなかった。入学当初こそは交流を深めようと四人で遊びに出かけたりもしていたのだが、その機会も時が経つにつれ少なくなっていっていた。何より居心地が良くなかったからだ・・・。だというのに明日一緒に出掛ける約束まで・・・本当に私はどうしてしまったのだろう・・・。
「じゃあ明日決まりね!」
―――――――――――――――――――
「ただいまぁ!今日もバイト疲れたぁ・・。でも今日学校楽しかったなぁ!それに明日学校帰りに皆で買い物かぁ!楽しみぃ!今日は課題もないしゆっくりしよっ」
(・・あれ・・・?)
ふと冷静になった自分がいた。
「楽しかった・・?楽しみ・・・?」
(あれだけ毎日の生活を嫌っていた私が・・・?)
しかし心は正直だった。心はスッキリしていてとても軽い。胸にあった重たさも感じない。昨日まで毎日感じていたイライラや憂鬱な気持ちは何処にもなかった。
「え、どうしちゃったんだろう私・・・?」
そんな疑問とは裏腹に、湧き出る高揚感は抑えられないでいる。
「本当にどうしちゃったんだろ私・・・。でも全然嫌な気持ちじゃない・・。むしろ凄く心地良い様な・・。あー!なんか全てがワクワクする!今までの憂鬱な気持ちがまるで嘘みたい・・・!」
今日を振り返ってみても普段より良く眠れたからか体も軽かった。それはただ単に睡眠時間の問題かと思っていたが、どうやらそれだけが原因ではなかった様だ。肉体的な部分だけではなく、心の部分も普段とは明らかに違っていた。そんな自分の変化に戸惑いを感じつつも、この〈体と心の変化〉を素直に受け入れたがっている自分がいた。
―――――――――――――――――――
〈次の日〉
「休憩しよっ!疲れたぁ・・!でも皆結構イイ買い物できたんじゃない?」
一通りの買い物を終えた私達はカフェで休憩することにした。今日の大学の講義は、本来四限まであったのだが、急遽その四限目の講義が休講となり早い段階で買い物に向かいう事が出来ていた。セール初日だったということもあり人で溢れかえっている。早い時間帯から来れたのはラッキーだったかもしれない。私も欲しかったワンピースや小物類を沢山ゲットできて上機嫌だ。
「サツキ、それ前に欲しいって言ってたサンダルだよね?いいなぁ!サイズ違うのあれば私も同じの欲しかったよぉ!」
「へへ、いいでしょ?でもアミのそのポーチも可愛いじゃん!それ確か今年の春限定のやつだよね?よくこのセールの時期まで残ってたよねぇ!かなり割引されてたし、めっちゃラッキーじゃん!」
皆思い思いの目当ての物を買えたみたいでテンションも最高潮だ。私自身も前々からメルマガでチェックしていたアイテムをかなり格安でゲットすることが出来ていた。
「タマキのそのワンピ超かわいい!」
「えへへ、ありがとサツキ!」
「もうワンサイズ上があれば私も買いたかったなぁ・・・」
「あはは!サツキはタマキと違ってガタイいいもんね!(笑)」
「うん、そうそう・・・って!ちょっとアミ!それヒドーイ!(笑)。っていうかタマキが細過ぎるだけだから!私は普通!それにアミだって私と体型ほとんど変わらないじゃん!(笑)」
「確かに・・・!」
「‘確かに・・・!’って、それをタマキが言っちゃう!?そこで同意するのは本人の私じゃなきゃダメでしょぉ!(笑)」
〈キャハハハ〉
そんなくだらない話で盛り上がっている時だった。
「ってか、どうしたのカナ?なんか大学出てからずっと大人しくない?それに全然買い物してなかったし、欲しい物なにもなかった?」
そう気付いて声を掛けたのはアミだった。確かに言われてみれば大学を出てからカナの口数が減った様な気もする。カナは普段から大人しいタイプの子ではない。テンションが上がっていたせいか、そんなカナの変化にも気付けずにいた。
「ウンザリするのよ・・・」
「え・・・?」
唐突なカナの言葉に皆が顔を見合わせた。
「ウンザリすんのよアンタ達には・・!友達ごっこはもう沢山・・・!こんなのに何の意味があるっていうの・・・!?いつも誰かとツルんでなくちゃ不安で・・。それなのに相手の深い所まで知ろうともしない!表面的にイイ部分だけを互いに演じ合って・・偽りだらけの関係・・・。もうこんなの沢山なのよ・・・!」
〈ズキンッ・・・〉
胸の辺りが何故か痛んだ気がした。
「・・ん?何なに?どうしたの・・・?」
「何・・?ケンカ・・・?」
あまりの声の大きさに他の客もカナの方に目を向け始めてしまった。
「はぁ!?何よそれ!アンタ今までそんな風に思ってたわけ!?」
とアミがすぐさま反応すれば、
「マジ意味わかんない!だったら何で私達と一緒にいるのよ!?そう思ってるなら一緒に居なければいいじゃん!もう明日から私達の所に来ないでくれる!?」
と、サツキも返す。
「ちょ・・ちょっと・・、皆落ち着いて・・・」
何とか場を収めようとしたのだが、三人の怒りと興奮は収まらない。
「そのつもりよ・・・!!!」
そう言うとカナは荷物をまとめ始めてしまった。
「ちょっとカナ落ち着いて?落ち着こっ?ねっ・・?」
「ほっといて・・・!」
「ちょっと待っ・・、カナっ・・・!」
必死にカナが行ってしまうのを制止しようとしたが、それも虚しくカナは私達の誰とも目を合わせずに行ってしまった。
〈ザワザワザワザワザワ・・・〉
「うわぁ・・・。怖っ・・ケンカ・・・?」
「嫌ねぇ・・・。ケンカするのはいいけど、もうちょっと場所を考えてもらいたいわ。此処は公共の場よ・・?」
事の成り行きを見ていた他の客達もざわめき始めてしまった。
「お客様、大丈夫でしょうか・・?」
「あ・・はい・・。大丈夫です・・・。本当にごめんなさい・・。ご迷惑おかけいたしました・・・」
そう言って店員と周りの客に頭を下げた。
「ほっときなよタマキ!あんな奴!」
「ってかタマキも何か言ってやればよかったのに!」
「う・・うん・・・。でも・・」
カナはいきなりどうしてしまったのだろう。何より、あの状況で他に何か出来る事はあっただろうか・・・。そんな事を考えてしまう・・。
「なんかシラけちゃった!帰ろ帰ろ!」
「マジでシラけたぁ!楽しかった空気台無しぃ・・!」
私自身、確かにいきなりのカナの変貌ぶりには戸惑いを隠せなかったが、何故か怒る気にはなれなかった。それどころか、カナの爆発させた感情はどこか、「自分の知っていたモノ」の様に感じられてならなかった。
――――――――――――――――――
〈次の日〉
講義が始まる教室の前で、中々教室への一歩を踏み出せずにいた。昨日のカナの件があったせいか、昨日の今日でどんな顔をして会えばいいのか分からないでいたのだ。
「昨日はあぁいった事になってしまったが、カナはいつも通り学校に来ているだろうか・・?」、「来てはいても、私達とは違う席に一人で居たりするのだろうか・・・?」、そんな不安と心配の感情で一杯だった。
しかし此処で二の足を踏んでいても埒が明かない。それに講義ももう少しで始まってしまう。
(教室入るか・・・)
教室に入るとサツキの姿が目に入って来た。
「おはよー、タマキ。こっちこっち」
「あ、サツキ。おはよー」
やはりカナはサツキとは一緒にはいない様だ。どこにいるのだろう。それともまだ来ていないだけだろうか。それにアミの姿も見えない。アミはやる気がなさそうな割には、何故かいつも席を取るのだけは私達の中で一番早い。そのアミが今日はまだ来ていない。珍しい事もあるものだ。
「見て、あそこ。カナ」
サツキが顎で前の方の席を指した。サツキの顎が指す方に目を向けると、カナが一人で席に座っているのが見えた。私達とはかなり離れた席に座っている。やはり昨日の今日で、「いつも通り皆で同じ席に」という訳にはいかない様だ・・・。
「まぁいいんじゃない?昨日あんないきなりキレ出して文句言われたんじゃ、こっちの腹の虫も収まらないよ!無視無視っ」
「う・・うん・・・。そうだね・・」
サツキはまだ怒りが収まっていない様子だ。
「そういえばアミはまだ来てないんだね。いつもやる気ない割には何だかんだ一番に席取ってるのに。サツキが一番乗りなんて珍しい(笑)」
「まぁ、正確に言うと私より先にカナが教室に来てたから、私が一番乗りではないんだけどね(苦笑)。・・・にしても珍しいよねっ、アミが来てないの。どうしたのかな?風邪かな?」
「それはないない(笑)」
「だよねー(笑)。ちょっと連絡入れてみる」
結局この日、アミには連絡がつかず、学校にも来なかった。
―――――――――――――――――――
「お疲れ様でしたー」
(あぁ、バイト終わったぁ・・・)
結局、今日大学でカナと話すことはなかった。何度かカナの所に話しかけに行こうともしたのだが、「何を話しかければいいのだろう・・」、「話しかけても無視されたらどうしよう・・」と二の足を踏んでしまって行動に移せずに一日が終わってしまっていた。
(カナ大丈夫かな・・?それにアミも連絡取れなくて結局学校来なかったし・・・。二人に電話してみようかな・・・)
そんなことを考えながら携帯を手に取った時だった。
「え?着信10件!?誰からだろ・・・?」
着信はサツキからだった。何かあったのだろうか。普段サツキから電話がかかって来る事はあまりない。それに着信数10件という数が不穏な気持ちに拍車をかける。嫌な予感がして電話を折り返した。
〈ルルルルルルルルルッ・・・ルルルルルルルルルッ・・・〉
〈ガチャ〉
「あ、もしもしサツキ?電話出れなくてごめん、今までバイトで・・。で、どうしたの?何回も電話くれたみたいで」
「あ、タマキ!?遅くにごめんね。それがね・・・?その・・大変なの・・・!アミ・・!
学校辞めることになるかもって・・・!」
「え・・!?何で!?」
余りに唐突な話に驚きを隠せない。今日アミが学校に来なかった事と何か関係があるのだろうか。
「今日アミ・・学校に来なかったじゃない・・・?その理由が実は・・お父さんの事業が失敗ちゃって結構な借金ができちゃったらしいの・・・。そのせいでゴタゴタしちゃってたらしくて・・それで今日学校にも来れなかったらしいんだ・・・」
「そう・・だったんだ・・・」
「うん・・・。さっきアミから連絡があってさ・・・」
アミとサツキは同じエスカレーター組で、私やカナより付き合いが長い。アミも真っ先にサツキに連絡したのだろう。
「そっか・・・」
「う・・うん・・・。それじゃあ一応・・連絡したから・・・」
「・・うん。わざわざありがとうね・・・」
何ということだろう。あまりにも想像だにしていなかった出来事に、軽い放心状態になってしまっていた。
〈ピリリリリリリリリッ〉
(!)
サツキとの電話を終えるや否や着信音が響き渡った。軽い放心状態だったという事もあり、あまりにも不意を突かれた形で、驚きのあまり体が飛び上がってしまった。完全に気を抜いている時にかかってくる着信音ほど驚くものはない。着信を見ると母からだった。
「あ、タマキ?今電話大丈夫?実はタマキに伝えておきたいことがあってね」
「お母さんか!ビックリしたぁ・・。驚かさないでよ、本当にもぉ・・!」
「え?何かタイミング悪かったかしら?ごめんなさいね(笑)。で、今電話大丈夫かしら?もしタイミング悪いならかけ直すけど・・・」
「ううん、大丈夫だよ。いきなりお母さんから電話かかってきて驚いただけ。で、どうしたの・・・?」
どこか改まった様な雰囲気を感じて少し身構えた。普段何気ない感じでかかって来る電話の雰囲気とは少し違っている様に感じたのだ。
「それならいいけど・・。でね?じゃあ本題なんだけど、タマキも知ってる通り、お母さん、今お付き合いしてる人がいるのは知ってるわよね?」
「うん、マサヒロさんでしょ?」
「お母さんね・・・。再婚することになったの・・・!マサヒロさんと!」
「・・うそ!おめでとう!」
母とマサヒロさんの関係はそろそろ四年位になるだろうか。私が高校二年生位の頃からの付き合いで、とても誠実で良い人だ。母の事を思いやってくれて、私にも沢山気をかけてくれる。「こういう人と一緒になればお母さんも幸せになれそうだなぁ」といつも感じていた。その二人が結ばれるというのなら私も心から嬉しい。
「結婚と言ってもまずは籍を入れるだけなんだけどね(笑)。お互い年も年だし、式を挙げるのはどうしようかって話してるの(笑)。あ、それでね?これも大切な話で・・、前々からずっとマサヒロさんが提案してくれていた事ではあったんだけど・・・」
「うん・・。なに・・・?」
一体何の話だろうか。
「今タマキが必死に頑張って稼いでくれてる奨学金のお金ね・・・?マサヒロさんが、〈結婚するからにはタマキちゃんはもう僕の娘なんだから、娘の学費ぐらい僕に払わせてくれっ!〉って言ってくれてね・・?タマキちゃんも自分の楽しみのためにバイトして欲しいって!そう言ってくれてるのっ・・・」
「え、そんな・・悪いよ・・・」
「うん・・お母さんも始めは、〈これはウチの問題だから〉と言って断ってたんだけど・・マサヒロさんが断固として譲ってくれなくて・・・。是非そうしたいってマサヒロさんが・・」
「そっか・・・。じゃあ・・マサヒロさんにお礼伝えなきゃね・・・。それにお母さんをよろしくお願いしますって・・。今マサヒロさんそこにいるの?」
「いるわよ。じゃあ代わるわね」
「もしもし、タマキちゃんかい?久しぶり!元気してるかい?それと・・さっきお母さんから聞いたと思うんだけど僕たち・・・」
「うん・・!結婚おめでとうマサヒロさん!あの・・これからウチの母をよろしくお願いします・・・!二人が結ばれてくれて本当に良かった・・・!」
「あはは、ありがとう!照れちゃうなぁ(苦笑)。もちろん!お母さんとタマキちゃんは僕が幸せにするから!」
「あ・・それと・・・学費の件・・・。本当にいいんでしょうか・・?その・・私・・・申し訳なくて・・・」
「いいに決まってるじゃないか!お母さんも始めは頑なに断っていたんだけどね、結婚するとなればタマキちゃんは僕の娘だもの!父親が娘の生活のサポートをするのは当然の事じゃないか!ははは!だからこれからタマキちゃんは、自分の欲しいものを買ったり、行きたい場所に行ったり、そういう自分の楽しみのためにバイトをして欲しいんだ!」
「本当に・・本当にありがとうございます・・・マサヒロさん・・。じゃあ・・お言葉に甘えさせていただきます・・・。本当にありがとう・・マサヒロさん・・・」
「あはは、気にしなくていいんだよ!それより今しかない大学生活を楽しむんだよ、タマキちゃん!今この時期はかけがえのない時間なんだから!それじゃあ頑張ってね!応援してるよ!勉強も遊びも両立させて!じゃあお母さんに電話代わるね」
「もしもし。マサヒロさんとお話できた?」
「うん。ちゃんとお母さんをよろしくお願いしますって事と、学費の件ありがとうございますって伝えさせてもらったよ」
「そう、良かった。じゃあ、タマキも体調に気を付けて勉強頑張るのよ!バイトの方は、これからは学業に差し支えない程度に抑えていいんだからね?応援してるわね!」
「うん、ありがとう。じゃあまたね、お母さん」
電話を切り帰り道を歩き始めた。昨日から立て続けに色々なことが起こり過ぎて頭が疲れてしまいそうだ。
「でもお母さんホントに良かったぁ・・・!マサヒロさんとなら大丈夫なはず!」
この上ない朗報に心が温かい気持ちで一杯になった。小さい頃から女手一つで育ててくれた母がやっと報われる。それが何より本当に嬉しかった・・・。
しかし、同時にアミとカナの件が頭をよぎった。こんな幸せな出来事と同時に起こってしまっている悲しい出来事に、どうもやるせない気持ちで一杯になった・・・。
「アミ大丈夫かな・・。それにカナの事だって・・・」
(・・ってあれ?・・待って・・・?)
少しの違和感を感じた自分に気付いた。
(そもそも私って・・何であの子達の事こんなに心配してるんだろ・・・?ついこの間まで嫌で嫌で堪らなかったのに・・。それに昨日の買い物だって・・あんな額いつもなら絶対に使わないはず・・・)
―――――――――――――――――――
「ただいまぁ・・」
自宅に着くまでこの疑問は一切頭から離れなかった。この数日の間の、〈自分の中で一体何が起きているのか〉という奇妙な感覚がどうにも拭えない。この奇妙な変化が起こり始めたキッカケが何かあるはずだ。どんな些細なキッカケでもいい。その原因を探ろうと、ここ数日の出来事を思い返してみた。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
(・・・・・!)
「確かあの変なメール・・・。あのメールが届いてから何かおかしい様な・・・」
思い当たるのは〈あのメール〉しかない。どうにも気になり、あの〈満点屋〉から届いたメールを見返してみることにした。急いでパソコンを起動させメール画面を開いた。
(あれ?別のメールが来てる・・・。何だろう・・?)
満点屋からまた新たなメールが届いていた。
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差出人:満点屋
件名:毎度ありがとうございます。
本文:「毎度ありがとうございます。あなたのお悩みに何でも対応、あなたの人生の満点を目指す〈悩み事・受付代行 満点屋〉でございます。この度はご利用いただき誠にありがとうございました。
昨日お預かりしたお客様のお悩みの件ですが、本日無事発送された事をご連絡致します。
この度はご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。
「満点屋 一同」
――――――――――――――――――――――
「このメール・・昨日届いてる・・・。どういう事・・?悩みを・・・発送・・?」
〈カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・〉
必死に考えを巡らせた。ここ数日の私の変化は確実にこのメールが届いてからのものだ・・・。そして一通目の〈私の悩みを預かった〉という記述。そして今回の〈私の悩みを発送した〉という記述。この二つの情報から考え得る全ての可能性に頭を働かせた。
(!)
(カナがいきなり感情を爆発させてしまった事・・・。そしてアミの実家の件と私の学費の件・・・。もしかして・・・!?)
その瞬間、一つ考えに辿り着いた。只の勘ではあるが、ここ数日の出来事と、それらに伴った本来なら有り得ない私の感情の変化を照らし合わせると、納得できてしまう答えが浮かんだのだ。
しかし同時に、「そんな非現実的な事があり得るわけない」という疑念も生まれてしまう・・・。
「何かこの店に連絡する手段は・・・」
唯一の手掛かりはこのメールだけだ。他には何もない。メールを隅々まで必死で読み漁った。
(あった・・・!)
〈満点屋 本店 東京都○○区xxxx―xx〉
電話番号は書かれていなかったが、幸い住所はメールの隅に記載されていた。しかし、そもそもこの住所が本当に存在しているのか、していたとしても本当にこの店がこの場所に在るのかすらも分からない・・・。実在していない住所を適当に書いているだけの可能性も大いにあるはずだ。
〈カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・カチッ・・〉
時計を見ると時刻は24時に差し掛かろうとしていた。それでも、「もし、自分の考えが当たっていたら・・・」と考えると居ても立ってもいられなかった。もし私の考えている通りの事が起こっているのなら、この事態の原因は私にある事になるのだから・・・。
―――――――――――――――――――
「ここだ・・・!」
タクシーを捕まえ、何とか目的地に辿り着くことができた。ここが本当に〈満点屋〉なのだろうか・・・。記載されていた住所に辿り着くと、確かにその場所には一軒の大きな建物が建っていた。しかし、その建物は見るからに怪しく、大きな洋館の様相をしている・・・。
そんな雰囲気に吞まれてしまったのか、暫くの間、その怪しげな空間に圧倒されてしまっていることに気付けずにいた。
(はっ・・・!)
やっと我に返り、広い庭に足を踏み入れた。
「ここか・・・」
目の前には大きな玄関の扉が聳え立っている。物凄い威圧感だ・・・。一瞬怯みそうになるが、勇気を奮い立たせてインターホンを鳴らした。
(お願い・・!誰か出て来て・・・!)
〈ギィィィィィィ・・・〉
「はい・・。どちら様で・・・?」
大きな扉が開くと共に声が聞こえてきた。中から出て来たのは細身な長身の老人で、見るからに執事の様な身なりをしている。
「あの・・こちら満点屋さんですよね・・・?夜分に遅くにすいません・・。でも、どうしても・・どうしても来なくてはいけなかったんです・・・!」
「お名前は?」
「旗屋・・旗屋タマキと申します・・・!」
「旗屋・・・。あぁ、なるほど。ではどうぞ中に・・・」
いきなりの訪問に始めは断られるかと肝を冷やしたが、何故かすんなりと中に入れてもらうことが出来た。私の名前を聞いて反応が変わったという事は、私の事は少なくとも認識をしているという事だろうか。おそらく此処が〈満点屋 本店〉で間違ってはいないだろう。
「旦那様の所へご案内致します」
(旦那様・・?)
旦那様とはいったい誰なのだろうか・・・。この老人の身なりからしても、「おそらく誰かに仕えている人なのだろう」ということは推測できる。
広く長い通路を進み、突き当りの大きな扉の部屋の前に案内された。屋敷の中はまさに「洋館そのもの」といった感じで、大きな部屋や高そうな装飾品がいくつもあり、同時に重苦しいい不穏さも感じる。
〈コンッ、コンッ、コンッ〉
「旦那様、旗屋様をお連れ致しました」
「ん・・?旗屋・・・?あぁ・・・どうぞ」
「それではどうぞ中に」
そう言って長身の老人は扉を開け中に招き入れてくれた。
「それでは私はここで。失礼致します」
そう言い残し長身の老人は行ってしまった。
そこは書斎の様な部屋で、老人が一人大きな椅子に腰をかけていた。先程の老人とは打って変わり、背も低めで少しふくよかな体型をしている。一見優しそうな人にも見えるが、同時に言葉では言い表せない威圧感の様なものも感じる・・・。
「あ、あの・・!こちら、満点屋さんで合っていますよね・・・?」
「はい、いかにも」
「いきなり夜分遅くにすいません・・・。私こちらにメールを送ったと思うんですけど、それから何か変で・・・。それにあのアドレス・・私のただの思い付きで、適当に打ったら届いちゃっただけなんです・・・!」
「あぁ、ごく稀にいるんですよ。アナタみたいな方が。我々の連絡先を知るお客様はそう多くはないんですがね」
「あの・・!聞きたいことが・・・。送られてきたメールに〈私の悩みを発送して届けた〉って書いてあったんですけど・・それってもしかして・・・」
「そう、届けたんです。アナタのお悩みを」
「私の友達に・・・?」
「その通りです」
やはり私の推測は間違っていなかった様だった。こんな非現実的な事はあり得ないと思いながらも、この数日の出来事に整合性を持たせるにはこの考えに行き着くしかなかった。
メールにあった〈悩みを預かって発送した〉という記述。これは私の中にあった悩みを取り除き、それを〈何処か〉に移動してしまったのではないかと考えた。そして、その〈何処か〉とは、〈誰か〉かもしれないという推測に至っていたのだった・・・。
「我々は通常お客様からお悩みを伺い、それをお預かりし、発送します。大きくまとめると今回のアナタのお悩みは二つでした。一つは上辺だけの人間関係への嫌気。そしてもう一つは、自分と周りを比べての劣等感。お金関係の問題ですかね。その二つのお悩みを今回はお預かりし、発送致しました」
「〈発送した〉というのはやはり・・・」
「はい。アナタの悩みが届けられた方々には、アナタのお悩みを引き続き受け継いでいただくことになります」
「・・やっぱり・・・。どうしてそんな・・・」
私の推測は完全に当たってしまっていた・・・。
「だってそうでしょう?手放したのはアナタです。本来在った悩みそのものを無かった事にしたのです。その悩みは消えることなく、誰かに引き継がれる事になります」
「そんな・・。どうしたら・・どうしたら元に戻りますか・・・?」
こんな事は非現実的だという疑念がありつつも、実際に起きている現実がこの老人の言う様になっている。カナがいきなり感情を爆発させたのも、アミがお金関係で大変な事になっているのも、私の悩みを彼女達が受け取ってしまったからだ。その代わりに私はこれまで苦しめられていた悩みから解放されてしまっている。
「それは出来ません。一体何が問題なのですか?アナタの悩みの大元は取り除かれ、発送され、それらの悩みはアナタの中から無くなったはずだ。それに悩みが取り除かれた以上、その悩みに伴い存在していたあらゆる記憶も形を変え消えていくでしょう。実際、ここ数日は悩みを持っていた状態のアナタとは違う発言や行動をしていたはずだ。〈元々そんな悩みは自分の中には無かった〉。そんな状態になれるのです。それに何より、そんな苦しい悩みからの解放を心から望んでいたのはアナタ自身のはずだ。違いますか?」
確かにその通りだ。私はそんな悩みに押しつぶされそうな毎日が嫌で嫌で堪らなかった・・・。あの子達が大嫌いで大嫌いで仕方なかった・・・。心が壊れそうになる程に、こんな毎日が一体いつまで続くのだろうと思い悩み続けていた・・・。
でも・・そうする事で誰かが・・・、自分のせいで苦しむ人が生まれてしまうのなら私は・・・。
「そんなの・・そんなの要らない・・!いくら自分が悩みから解放されようと、他人にそれを押し付けて・・・背負わせていいはずがない・・・!だってこれは・・私の・・・私が向かい合っていかなければならない悩みだったんだから・・・!人は誰だって何かしらの悩みを抱えているはずです・・・。それがどんなに大きいモノでも小さいモノでも・・何かしら抱えて生きているはずです・・・。
だったら・・だったら私は・・・。悩みを誰かに押し付けて消してしまうんじゃなくて・・・理解してもらいたい・・・。〈自分は今こんな事で苦しんでいて、大変な思いでいるんだ・・辛くて悲しいんだ・・・〉って、その悩みを誰かに知ってもらい・・!分かってもらいたい・・・! そして・・・もし相手にも辛い悩みがあるのなら、私もその悩みを知って・・分かって・・・理解してあげたい・・・!」
老人は表情を変えず私を真っ直ぐに見つめている。どこか自分の心を見通されている様な感覚になる・・・。
「そうですか」
老人は一言そうつぶやくと続けた。
「分かりました・・・。どうやらアナタ様は相当な頑固者の様で・・・。アナタの悩みをアナタ自身の元にお返しする方法はあります。それは〈返却手続き〉です。ただし、アナタの悩みの発送により、アナタの悩みを既に受け取ってしまった方々がいるのは事実。これは私達の力をもってしても変えようがありません。
よって、アナタにはアナタの悩みを受け取った方々が持つ〈一番大きな悩み〉を一つずつ引き受けていただきます。アナタが持っていた今までの悩みに加え、他者の悩みを更に引き受ける事になるのです。相当苦しいと思いますよ?それでも〈返却手続き〉を行いますか?そのご覚悟はお有りですか?」
不思議と迷いはなかった。
「構いません。怖いけど、それって私のせいでカナやアミに背負わせてしまった・・・味あわせてしまった〈悩み〉を私も味わうってことですよね?」
「はい。そういう事になります」
「大丈夫です。〈返却手続き〉・・やってください」
老人は変わらず私の目を真っ直ぐ見続けている。
「承知致しました。ではこれから返却手続きを進めさせていただきます。ここから先はお客様に出来る事はございません。・・・もう夜更けです。お気をつけてお帰りになられますよう」
―――――――――――――――――――
「ん・・眩しい・・・」
どうやらもう朝の様だ。自分の姿を見る限り、着替えずにそのまま寝てしまったのだろう。気を張り詰め過ぎていたせいか、昨日の夜の事は記憶が曖昧だ・・・。確か長身の老人がタクシーを呼んでくれて、そのタクシーに乗った所までは何となく覚えている・・・。その後はそのままベッドに倒れ込み寝てしまったに違いない。
〈ズキンッ〉
その瞬間、突然胸の辺りに覚えのある痛みと重さが蘇って来たのを感じた。
「そっか・・・。私の悩み・・戻ってきたんだ・・・」
「はは・・やっぱ重くて苦しいや・・・」
―――――――――――――――――――
「おっすー、タマキー」
アミの声だ。
「おはよ~」
こちらはカナだ。サツキもいる。いつもの、今まで通りの光景がそこにはあった。
今までの私が持っていた悩み。そしてカナとアミの持つ悩み。それら全てと向き合い、これからは生きていかなければならない。
〈自分の悩みは自分自身で解決して、一歩一歩進んで行かなくてはならない〉
生きているとこんな言葉を耳にすることもある。しかし一方で、「誰かを頼り・その悩みを知ってもらい・理解してもらい・助けてもらう」、そんな事だってきっと出来るはずだ。何より、〈そんな事を受け入れてくれる人なんていない・いるわけがない〉と、勝手に思い続けてきたのは私だ。そうしようとすらして来なかったのも私自身なだけなのだ。
〈悩みは誰のものでもなく自分自身のもの。でも、その悩みを、自分の弱さを誰かに見せて、相手に自分を知ってもらう。上辺だけではない、深い部分も知ってもらう。これからはそうやって生きていきたい〉
そんな覚悟を胸にして言葉を放った。
「おはよー!」
―――――――――――――――――――
「よかったのですか?昨日のお客様の件」
「何がだい?」
「何って返却の件です。本来返却手続きを行った場合、引き受けなければならない悩みの数は、悩みを引き受けてしまった人間一人につき三つ。今回の場合ですと、合計六つの悩みを旗屋様はお引き受けにならなければなりませんでした。それを〈一人につき一つ〉にするなんてサービスが過ぎませんか?」
「ははは、いいんだよ。彼女は今回の件で悩みとの向き合い方を学んだ。その覚悟も。自分の悩みさえ解決すれば、〈後は何処で誰がどうなろうと知ったこっちゃない〉とする不埒な輩とは違う。まぁ、彼らも後にそれ相応の対価を払ってもらう事になってはいるが、彼女は全く別の生き物だよ」
「とはいえ贔屓し過ぎでは・・・?そもそも通常、悩みの発送先はどこの誰に届くか分からないランダムになっているはずです。にもかかわらず、今回のケースでは敢えて彼女の身近な人物に発送先を割り当ててらっしゃいましたよね?」
「はは。只の気まぐれというやつだよ。ウチに直接メールを送ってくるお客様なんて久しぶりだったからねぇ。そういう意味では贔屓したかな?ははは」
「まったく・・・」
「それに彼女が引き受ける事になった友人二人の悩み。それもすぐに解決されるだろう」
「どういうことです・・・?」
「簡単に言うと、彼女が今回の返却手続きによって引き受ける事になった友人二人の悩み。これらは元々彼女自身が抱えていた悩みと本質は全く同じものだったという事さ。
まずカナという友人。彼女は大学生活に溶け込む事と友人グループから孤立しない事。これらに必死になってしまっていた。高校時代は中々周囲と馴染めず、ずっと孤立してしまっていたことがかなり堪えてしまっていたのだろうね。そして大学に入ってからは高校時代の二の舞にはなるまいと、いつの間にか本当の自分とは違う自分を演じてしまっていた。
最終的には本来の自分とは違う自分を演じ続ける事へのストレス、そしていつの間にか〈周りの人間も自分に対して偽りの演技をしているのではないか〉という考えに憑りつかれてしまっていた。周りの人間はみんな本心を隠して、偽りの演技をしている。〈本心では自分は嫌われていて、溶け込めていないのではないか?〉とね。
そしてアミという友人。彼女は一見お金持ちのお嬢様の様に振舞っている様だが、それは真実ではない。確かに数年前までは結構なお金持ちだった様だが、ここ数年で一気にご両親の事業が傾いてしまった様だ。
彼女の学費も両親が娘のために必死に働いたお金と、彼女自身が人知れずこっそり稼いでいるお金で学費を払っている。まぁ・・それも自分の体を売ったりして得ているお金であって、決して褒められるものではないがね・・・。身に付けている高そうなブランド品も、そういった所から貢いでもらったり得ているお金で賄っている様だ。しかしそれは彼女の本意ではない。そうと自分で分かってはいても、これまでの〈自分はお嬢様〉というレッテルが剥がれて、周りにバレてしまう事に大きな恐怖感があるのだろうね。
まぁ、そんな訳だ。彼女が引き受けた悩みを彼女たち三人で共有し始めるのも時間の問題だろう。悩みはたった一人で自分の中にだけ留めておくことも出来るが、それを分かち合い、皆で共有し助け合うことも出来る。そこから相手をより深く知っていく事もね。勿論、これからどうしていくかは彼女たち次第だが」
「では今回の件は始めから分かっていて・・・」
老人は答えない。
「それより、今回の返却手続きの件だがもう済ませておいたよ。手続き完了のメールも私が送っておいた。さぁ、この件はもうこれで終わりだ」
「旦那様が自ら・・・。かしこまりました」
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差出人:満点屋
件名:毎度ありがとうございます。
本文:「毎度ありがとうございます。あなたのお悩みに何でも対応、あなたの人生の満点を目指す〈悩み事・受付代行 満点屋〉でございます。
昨晩はご来店いただき誠にありがとうございました。お客様よりお申込みいただきました返却手続きの件ですが、滞りなく全ての手続きが完了致しました事をご連絡させていただきます。
またのご利用はお客様にはお勧め致しません。
何故なら、今のアナタにはもう我々は必要ないのですから。
「満点屋 一同」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
終わり。