若者よ選挙に行けって言われても高齢者主義の政治に何を期待すればいいのさ
コロナと言われたら太陽表面のあれのことを連想するタイプの人間です
社会人だとビールを連想する人が多いんですかね
とまあコロナウイルスの感染が広がっておりますが、今日のエッセイにはコロナウイルスは全く関係ないです
なんというかコロナウイルス騒動を通して国民の情報リテラシー不足を痛感しました
というわけでしっかりと効力が証明されている次亜塩素酸の作り方です
1…食塩水を電気分解する
以上
とまあ炭素棒2本と食塩と水と電源さえあれば自宅で作れるそうです
食塩って万能さが鬼がかってますね
前書きに関係のないことを書きまくりましたごめんなさい
老人を敬う理由が全く理解できない。
歳を重ねたことが敬意を払う理由になるとは到底思えないからだ。
もちろん優秀な老人ならば敬われるのも理解できるが、ただただ歳を重ねただけの人間を敬うことはできない。
人間はある程度歳を重ねると能力が低下する。
記憶力や判断力は衰えるし、体力だって低下する。
なのになぜ多くの法的な年齢制限は下限ばかりで上限はないのだろうか。
* * * *
ご存知の通り選挙権は18歳になると得られる。
これは18未満は判断力とか劣っているから、正しい判断ができる年齢になるまでは制限するということらしい。
たしかにこの制限にはある種の合理性はあるだろう。
しかし同じ理論なら高齢者にも当然選挙権の制限がかけられるべきではなかろうか。
100歳の老人より15歳の中学生の方が判断力も思考力も高い。
話が逸れるが車の免許も同じだ。
高齢者の事故が騒がれているのだから、免許自主返納を呼びかけるのではなく、年齢制限をかけたり高難易度の認知症テストをクリアしないと免許が更新できないようにした方が事故は減る。
* * * *
筆者には幼い頃に疑問に思っていたことがある。
今の政治の責任は誰が負うべきなのだろうかと。
政治家は票になる高齢者層に都合のいい政策しか作らない。
しかしそれは刹那主義的なものであり、必ず未来にツケが回ってくる。
そのツケを発生させたのは選挙権を持つ大人たちなのに、なぜツケを当時決定権を持たなかった未成年たちが負わねばならないのだろうか。
もちろん選挙に行かなかった結果そうなったのなら自業自得かもしれないが、選挙に行く権利すら認められずにツケだけを払わされるのはあまりにも理不尽だ。
だったら刹那政治を断絶させるためにツケを払わない高齢者の選挙権を制限するか、もっと若い世代にも選挙権や被選挙権を与えた方が合理的ではないだろうか。
刹那の快楽を求めて未来を犠牲にするのが今の政治だ。
そんな政治をしているやつらに
「若者よ、選挙に行け!」
などと言われても響くわけがない。
だったらいっそのこと
「老人よ、選挙に行くな!」
というプロパガンダを広めてはどうだろうか。
しかしそんなことをしたら政治家は当選できなくなる。
だから政治家は高齢者の言うことにロボットみたいにハイハイしたがっている。
こんな国の政治なんかに期待する若者がどこにいる?
若者たちの未来を諦めさせているのは誰だ?
こんな自浄作用のない国が母国とはなんとも恥ずかしい。
でも突然期待できる政治家が出てきても困る気がします(ヒトラー的な感じになりそうという意味で)