イツツ
それじゃあ僕はどうしたらいい。
何をどうしたらこの声から逃げられるのだろうか。
”モウ耳ヲ塞イデモ、逃ゲラレナイ。避ケラレナイ。逃ゲラレナインダヨ”
必死に耳を塞いでいるのに、それを擦り抜けて声が届いてくる。
それが声の告げるように避けられない逃げられないという事実を、思い知らせて来るようだった。
やめろ。やめろ。止めてくれっ!
僕の叫びが届かないこともまた、痛いくらいに思い知らされる。
首を振っても否定できない。
耳を塞いでも逃げられない。
何をどうしようはずもない。
何もどうしようもできないなら、逃げられないならどう逃げる。
逃げられないと言っているのに。
”屈スルコトハナク。屈セズモ同ジ運命ヲ彷徨イ歩ク”
それの何がいけないというのか。
知らないうちに僕がお前に寄せられたのか、知らないうちにお前が僕に寄せられていったのか。
お前みたいなことを言う。
屈することもなく、そのままで同じ運命を彷徨い歩く。
ああ確かにそうだね。
同じ運命を歩くのだけれど、それだって屈したくはないという気持ちがあるのだ。
屈していることと何が違っているのかはわからないけれど、屈していないと思っていることが僕には大切に思われるのだ。
”勝ツマデ、勝ツマデダ”
勝つまで? それじゃあ勝ったら僕は解放されるのか。
勝たなければ解放されない? 勝ったら解放される?
勝つまでって、どういうことだ。
勝たなければならない。僕は勝たなければならない。
勝つ。勝つって何?
勝つ勝つと五月蠅い、僕は何と戦っているんだ。
一体、僕は何と闘っているんだ……?
だけれども、僕は勝たなければならないのだ。
”悲劇ノ中デマタ目ヲ覚マスノダ。負ケタラマタ何度デモ”
嫌だ。そんなのは嫌だ。
それじゃあ勝たなければならない。
声に従うのは嫌だったけれど、繰り返しから抜けられないのもまた嫌だった。
彷徨うことへの諦めに近い覚悟は用意したが、繰り返さなければならないことが、声に従うことをも超えてまで嫌だということに違いはない。
絶望しないためにも、妥協点を用意したに過ぎない。
負けたらまた何度でも。