ミッツ
殺せと言われたから殺した。
実行犯の僕は、罪に問われないものなのだろうか?
僕は罪に問われることが怖いのか?
何を恐れて、何が怖いのだというのか。
罪に問われなかったとして、それで本当に、僕は僕を許すことができるのだろうか。
認められたのだから構わないのだと、人が僕を認めたのだから構わないのだと、そんなふうに僕は言えるのだろうか。
それこそ”声”が僕の心を苛むものではないか?
「殺してやれ。殺してやるのが情けだ」
任務を最低限に終えて、帰ろうとした僕に後ろから囁く。
”残サレタ者ノ、響キ渡ル悲鳴”
これを殺すのか。僕が。どうして。
わからない。この行為にどのような意味があるのかもわからない。
この世界だとか、そう広く哲学的で難しいことを考える身分にもない僕は、言われたことを言われたままにやるのみだけれど。
それが僕だから、僕は僕でしかないから、僕は殺す。
”届カナイ、……距離。ダレモ苦シンデイルンダ。殺セ、ソシテ死ネ”
殺せというのは命令だった。
死ねというのは、だれの声か。だれの言葉か。だれがそれを僕に促すのか。
それに従う道理を僕は持ち合わせていない。
命令されたままに動くのが僕で、命令でもないものに従う僕であるものか。
助けてくれとの声を残虐に無視をする。
そんな声は無視をするのだ。助けてくれなんて、助けてほしいだなんて、命じられたままに動くだけの僕に声は届かないのだから。
そうだ。僕に”声”は届かないのだから。
黙れ。黙れ。黙れ。僕に声は届かないんだ。
”何度目ダロウカ? アノ日ノ悲劇ガモウ一度”
殺されと言われたら殺すけれども、必要があるというのならば殺すのだけれども、殺してやるのが情けだという理論が僕にはわからなかった。
理論を認識しようということが僕には相応しくないことだ。
罪なき人を殺すのが僕。
いや、僕ほど罪のある人はいないのに、なぜ罪なき人と言えよう。
目の前で繰り広げられている惨劇を、瞳に映して反射する。
見たらいけない。命令よりも”声”を優先することを選んでしまいそうになる。
惨劇の全てを反射して、頭で理解することを避ける。
だから理解をさせないでくれ。
飛び散るものが血だと理解させないでくれ。
人が殺されているのだと、そしてこの人たちにもそれぞれがあったのだと、僕に教えてくれないでくれ。
だれも僕に教えてくれはしないでくれ。
”惨状ヲ惨劇ヲ見ロ。コレヲオマエガ引キ起コシテイルノダ”
煩い! 五月蠅い!
叫んで、走り出した。
僕の叫びは声にはなっていなかった。