ミノタウロスの憂鬱
ミノタウロス達は悩んでいた。
集会所の中では牛の頭の屈強な身体をした獣人が集まり、角の生えた頭を悩ませていた。
「どうしたもんなんかのぉ」
「まったく、今更、言われてもなぁ」
集会所の空気は重い。集まったミノタウロス達はポツポツと意見を交わすが、現状に対して有効なアイディアというのは、なかなか出てこない。それが簡単に出てくるようなら、牛の顔が集まってウンウンと悩む事態にはなってはいない。ムキムキの獣人が集まった集会所は暑苦しい。
ミノタウロス、牛頭人身の獣人。身体の頑丈さ、筋力、スタミナと肉体面で優れる種族である。その頑健さを生かし、彼らは土木作業や建築業で活躍している。筋肉が立派なことで、ボディビルダーの憧れでもあり、昨今はムキムキ好きな女性ファンも獲得し、コアな人気がある。
そんなミノタウロス達は、今、ひとつの問題を抱えていた。
「取り合えず、どうすればギリシャから文句を言われずにすむのか、これを検討しようか」
「いや、ギリシャの人はそんなに気にして無いぞ。発祥はギリシャのクレタ島でも、文句つけてんのは、日本の変な自称知識人で」
「でもそれで肖像権侵害とか、産地偽装とか言われちまってんだ。なんでミノタウロスなんだって」
ミノタウロス。ミノス王の牛、という意味がある、迷宮ラビリントスの牛の頭の怪物。もとはギリシャのクレタ島の伝承から発祥している。ピカソが絵のモチーフとしたことから、ミノタウロスの名は世界に広まった。
その後、ゲームや小説で牛の頭の獣人はミノタウロスと呼ばれるようになる。今や牛頭のモンスターと言えばミノタウロスのことを言う。
このことから、『あれ? ミノス王と何の因縁も無いのにミノタウロスなの?』『権利侵害じゃない?』『種族偽装だろ』『名前は? 八坂 牛頭丸? 日本産でギリシャ出身でも無いじゃん』『なんだ詐欺か』と、言われ、ネットで叩かれるようになった。
「俺達がミノタウロスって広めた訳じゃ無いのにな」
「知名度として和名の牛頭よりミノタウロスの方が、定着してしまっただけなのに」
「皆が間違った方を使いなれたことに、俺達に責任があるのか?」
「和製英語と同じだよ。ワイシャツみたいなもので」
ワイシャツ。もとはホワイトシャツのことで、ホワイトシャツをワイシャツと聞き間違えたまま、日本で広まり定着した言葉。英語圏では存在しない、日本生まれの和製英語である。
和製英語は無学に由来する外国語の誤用・濫用であって、日本人特有の病理的現象とも非難されている。
ガードマン、アフレコなど、英語圏では意味が違うもの、意味が通じないものが日本語として取り込まれ、これを日常的に使う人達は違和感を持たない。
カタカナという文字を使い外来語を取り入れる日本では、こうして間違えたまま広まる言葉が多数にある。
「名称なんていい加減なもんだよ。間違ってても皆が使ってるから、それでいいやってなっちゃう」
「でもここまで定着してるものをどう変えればいいんだ? それって日本人全員を洗脳しろっていうことか?」
「そんなん無理だろ。俺達で牛頭キャンペーンとかやっても、皆、ミノタウロスって呼ぶのに慣れてんだからー」
一度広まったものはなかなか変えることは難しい。
士農工商といった身分制度も、本当は無かった、ということが歴史研究で解っても、子供の頃に学校で教えられた知識は定着し、なかなか変わりはしない。一度、憶えた知識を疑うことは難しい。
既にミノタウロスと呼ばれている彼らの種族名を、今から変更するのは不可能に近い。それなのに語源のミノス王を持ち出されても、どうすればいいのか。
この集会所の中には、日本出身でギリシャに行ったことも無いミノタウロスもいるのだ。
「タウロス、で呼ばれるならまだいいのだが、ミノタウロスとなると、ミノスのタウロスだし」
「そうか、ミノをどうにかすればいいのか?」
「ミノ? ミノをどうするってんだ?」
「ミノタウロスが既に広まり変えようが無ければ、ミノの部分に違う語源とイメージをでっちあげる、というのはどうだ?」
「でっちあげって、何するんだ?」
「簑を被るってのはどうだ? 簑を被って簑タウロス、腰簑つけて簑タウロス、だ」
「お? 意外といけるか?」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。俺は営業の仕事してんだぞ? 仕事中はスーツとネクタイだ」
「そこを種族的に腰簑で、なんとか」
「無茶言うなよ。腰簑一丁で得意先の会社に挨拶に行ったりできるもんか」
現代日本では、ミノタウロスも生活の為に仕事をしている。ここに集まったミノタウロスも、サラリーマン、タクシードライバー、中にはホストといった仕事についている者がいる。
「だいたい今の日本で、ミノタウロスだからといって腰簑一丁で外歩いてたら、警察に捕まるだろうが」
「それもそうか」
「それに、腰簑つけて簑タウロスって、確か小説のネタになってたぞ。俺達がそれを真似したら、パクリ呼ばわりされる」
「うお、危ない。著作権侵害になるところだったのか?」
「簑タウロスって、もうあったのか?」
「その小説じゃ、ブリーフ穿いてブリーフタウロス。ブーメランパンツでブーメランタウロスだ」
「それじゃ、越中フンドシなら越中タウロスで、六尺フンドシなら六尺タウロスなのか?」
「俺達って何なの?」
「でもその小説じゃ、ミノタウロスは活躍してるんだ。ミノタウロスのイメージアップになってる」
「それじゃ、お礼言わないと」
「「二ツ樹五輪 先生、『その無限の先へ』でミノタウロスを活躍させてくれて、ありがとうございます!」」
「とにかく、腰簑つけて簑タウロスは二重にヤバイ。却下だ却下」
「それじゃどうすんだよ。このミノタウロス問題は?」
良いアイディアの出ない会議は、時間が過ぎる度にストレスが溜まる。煮詰まる程に発案というものは出にくくなる。
ミノタウロス達はお茶を飲みつつ、イライラとしないように雑談を交えて解決策を探る。
「本来の家付き妖精とは姿形の変わったイメージで広まった、コボルドやホブゴブリンよりはマシなのか?」
「あー、ホブゴブリンは『ゴブリンなんかと一緒にすんなあっ!』って、ミルク飲んで暴れてるからなあ」
「ロビンフッドがホブゴブリンだ、と言うのも知らない人が多いらしい」
「コボルドもなー。フェンデミューレン城のコボルドも、引き込もって外に出てこないらしい。『犬顔じゃないもん』って、泣き暮らしているって」
「俺達、ミノタウロスはまだマシな方なんかもしれん」
「それもこれも全部、テレビゲームのせいか?」
「ゲームのRPGで広まったのは確かだ」
「それな、昔、クーフーリンがキレてたわ」
「クーフーリンが? なんで?」
「昔のファミコンのゲームって容量が少ないからさ。同じ画像で色違いで別のモンスターとかにしてたんだよ」
「ゴブリンとホブゴブリン。シルフとフェアリーとか。名前とステータスは違うけど、絵は同じで色が違うってな」
「格闘ゲームの2Pカラーか」
「そんな感じ。それでクーフーリンとタムリンがおんなじ絵で色違いで出てて、クーフーリンが『俺をあの強姦魔と一緒にすんじゃねえ! ゲイボルグ!』って、叫んでた」
「あー、なんだそれ、リンしか合ってねーじゃん」
「これも風評被害なのか?」
「とにかく、ミノだ、ミノ。ミノをなんとかすればギリシャのクレタ島の人達にも迷惑にならない」
「ミノか、ミノ、ミノ……」
「ミノ虫、アメリカのロケット……」
「みのりたん、みのっち、みの太郎……」
「みのさん、ファイナルアンサー……」
「……美濃地方?」
ひとりのミノタウロスの呟きに、集会所のミノタウロスがザワリとして注目する。
「……美濃地方、だと?」
「美濃出身のタウロスで、美濃タウロス、いけるか?」
「こじつけになるが、住民票を移すことで美濃のタウロスを名乗ることは、可能か?」
美濃地方。美濃国に由来する岐阜県の南部地域のことである。
「よし、さっそく美濃市に話をしに行こう」
「おい、待て! 美濃牛、というタイトルの本が講談社から出ているぞ? また、パクリにならないか?」
「なんだって? く、いいアイディアだと思ったが、先に考えてる者がいたか」
「こっちは飛騨牛になれなかった美濃牛が絡む推理小説らしい」
「なんだそれは? だが、俺達が美濃地方に引っ越しするだけなら、いいんじゃないのか?」
「そうすればミノス王とは無関係に、ミノタウロス、いや、美濃タウロスを名乗れるのか」
「本家本元に何か言われても、『いやー、俺達は美濃タウロスですから』と、誤魔化せるか」
「語源に煩く言う輩も、この理屈には文句は言えまい」
「よし、皆で美濃地方に引っ越ししよう。住民票を美濃地方に移して、美濃のタウロスになろう!」
「「おお!」」
長時間の会議で正常な思考ができなくなったミノタウロス達は、こうして美濃市へと集団で移動した。住民票を移し、晴れて美濃タウロスを堂々と名乗るようになった。
美濃市では突然のミノタウロスの集団移籍に戸惑ったものの、なんとか受け入れた。また、ミノタウロスを使って美濃地方の名産をアピールすることに。
ミノタウロスが美濃市のイメージキャラクターとなった。ミノタウロスが美濃和紙の宣伝をする動画をユーチューブに投稿するなど、美濃市はミノタウロスを使い市を盛り上げる方向を模索するようになった。
こうして、ミノタウロスの名称問題は美濃タウロスとこじつけることによって、一応の解決となった。
その後、しばらくして、また別の場所で。
「……どうしたものかしらねぇ」
「それはまぁ、元祖からクレームがつくようなものも増えちゃったから」
「でも、一度広まったものはそう簡単には変わらないし……」
集会所の中、きらびやかな鎧に身を包んだ女性が集まり、頭を悩ませていた。
彼女達は戦乙女。もとは北欧神話由来のものだが、様々な作品に使われることで数が増えた。今では戦乙女はワルキューレにヴァルキリー、ヴァルキリアなど呼び方も様々であり、ときには歌手グループやジョブの名称ともなっている。
彼女達は困っていた。
戦乙女を対象にした十八禁の作品に対して、ついに本家の戦乙女からクレームが出てしまったのだ。
北欧神話のワルキューレと、和製戦乙女とは無関係である、としなければ国際問題となる。
「私達も困ってるんだけどね。バルキリーならガウォーク形態に変型してみろよー、とか言われても、私が超合金に見えんのかってのよ」
「戦乙女は銀河の歌姫じゃ無いってのよ」
「ジョブがヴァルキリーでやたらと数の多いのもあるし」
「いやまぁ、本家がもとになってはいるけど、ここまで派生が増えちゃうとね」
「でもさー、それって、あたしらのせい?」
「肖像権侵害とか言われちゃうと、どうしたものかしらね」
「……ちょっと、真面目に話してるのに、あなた何スマホいじってんのよ?」
「なんとかならないか情報を探してるのよ。これなんかどう?」
「どう? って何よ」
「最近、ミノタウロスが名称問題を解決したんだって」
「「えぇ?!」」
「これ、真似してみたらいいんじゃない?」
「私達が真似するっていうと、」
「『戦』って名称のある土地に住民票を移すのよ」
「そうすれば、『戦』地方出身の乙女で、戦乙女に」
「「よし、それで行きましょう!」」
こうして特定の地域に特定の種族、特定のジョブが集まるようになっていった。
美濃市はミノタウロスの住むところとなり、住民との小さなトラブルはありつつも、現在はそれなりに上手くいっている。
名称の語源から発生したこの問題が、日本の地域の過疎化に歯止めをかけて、地方を活性化させたのは、皮肉な話である。