第9話「信頼と葛藤」
「__カフェ・アウル?」
きょとんとしたような声が、アークとメアの家に朝から打ち合わせをしに来ていたキリィの口から紡がれた。
「あぁ。もちろん打ち合わせと仕事が終わってからだが。よかったら行かないか?」
「え、あ、おう。アークがそう言うなら行くけど」
本音でぶつかり合って多少距離は近づいたものの、まだキリィはアークとメアに遠慮しているような感じだ。タメ口名前呼び捨てになったとはいえ、それでもまだ付き合いが数日であることに変わりはない。
「行くのは夕方くらい、だな。それまでに書類作業をできるだけ進めてくれるとありがたい。無理はしなくていいからな」
「あぁ、もちろん。体調崩したら後日結局仕事が遅れてくしな」
「それがわかっててよかった。前の補佐官の人ですごく無理しちゃう人いたんだよね」
「へぇ、そうなのか」
確かに補佐官は真面目に仕事をこなしていくタイプが多いかもしれない、とキリィはメアの言葉に納得した。
「それで、俺はこの書類を終わらせればいいんだな?」
「あぁ。俺は少し外に出る。が、メアは残していくから何か困ったことがあったら聞いてくれ。昼食までには戻る」
コーヒーを飲みながらアークは一枚の書類を見つめて、メアに目配せした。メアはアークに向かって頷き、キリィの方を向いて微笑む。
「アークは少し他の人と変わった仕事をしてるから、たまにこうやって出かけるんだけど……そういう仕事の時大体私は残ってるから、色々聞いてね」
「わかった。変わった仕事……か」
「……悪い。これはまだ話せない」
「いやいや!気にすんなって!色々事情があるんだろ?話せるようになったらでいいよ」
申し訳なさそうに眉を下げたアークに、キリィは焦ってわたわたと手を振り否定する。こんな数日で全てのことを話してもらおうなどとは思っていない。もちろん仲良くなりたいしはやくもっと信頼されるようになりたいが、……まだ自分の事情すら話せていないのだから。
「……ありがとう」
「おう!じゃあ早速書類片付けるか」
「だね。私もできるやつはやるよ!アークもう行く?」
「あぁ。行ってくる」
アークは用意してあったコートを羽織って、小さめの鞄を持つとすぐに玄関に向かった。
「コーヒー持った?」
「あぁ。さっき確認した」
「はーい。じゃあ行ってらっしゃい!頑張ってねー」
「アーク、気をつけてな!」
「メアもキリィもありがとう。……行ってきます」
__ぱたん。ざく、ざく、ざく。
アークが靴で雪を踏みしめて歩いて行く音がする。それが遠くなって聞こえなくなったくらいのところで、
「……あー。アークかっこいいな」
「わかる。紳士すぎてつらい」
数日前に“アークかっこいいし紳士すぎてしんどい応援したい同盟”を結成した二人は、アークのあまりのかっこよさに机に突っ伏した。あの美しい銀色の髪に黒いコートはよく映える。し、二人の心配に対し“ありがとう”と返す様は本当に紳士だ。
二人がこうなるのも、無理はない。
「……あのさ、キリィ」
「ん?」
そこは本職の特務補佐官、突っ伏したと思ったらすぐに立て直してもう書類作業に取り掛かっていた。メアは仕事をしているキリィに少々申し訳ない気がしつつも、自分も少し書類に目を通しつつ話した。
「アークってちょっと表情とか話し方から本当に考えてることがわかりにくかったりするけど、でもアークはすごく良い人だから……。良かったら、アークの味方になってくれると嬉しいな」
「……?当然だろ。実はメアが拘置所で操作の石を使った後、俺がアークにキレたんだけど……」
「え?なんで?」
一度も聞いたことがない話に、メアは驚いて書類から目を離し顔を上げる。同じく顔を上げたキリィはそれを見て、恥ずかしいのかがしがしと頭を掻き、あー、と声を漏らすと少し大きい声で話した。
「メアの気持ちちゃんと考えてないんだと思ったんだよ!……でも、違った。きちんとメアの気持ちも、市民への影響も考えた結果、だったんだな。……だから俺はアークのことを信じてるし、味方になりたいと思ってる。だって相棒や市民のことをきちんと考えられる人だぞ?どうやったら嫌うことができる?」
「……ふふ、そうだね。ありがとう、キリィ」
メアは自分のことを考えてくれて、更にアークのことをきちんとわかってくれる人ができたためか、とても綺麗に笑んだ。今までの補佐官にここまで理解してくれる人はいなかったのだ。__所詮、仕事だけの関係だった。
なのに、キリィは。
たった数日でこんなにも自分達の深くに入ってきてくれるのかと、メアは少しだけ、ほんの少しだけ……泣きそうになった。
「……いや、刑特を支える補佐官として、アークの友人……として、当然のことだからな」
友人、と言って照れたように笑うキリィは、とてもアークのことを嫌っているようには見えなかった。本当に本心から、アーク、そしてメアを慕っているのだろう。
__それからも書類作業を進めつつ、たわいのない話から仕事の話まで、メアが昼食を作りに行くと言うまでたくさんの話を二人でしたのだった。
〜*〜
一方、二人の話題になっているアークはというと。
「〜〜〜」
「だから、〜〜〜〜」
男達数人で行われているとある取引現場を、近くのコンテナに隠れながら監視していた。
さらりと流れる銀髪も、人目を引くその整った容姿も、今は親友の遺した石__影鎖≪シャドーレリック≫の影の効果によって少し目立たないように工夫されている。ここまでの芸当は、そこらの石使いにはできるまい。
「…………」
隠密行動より前線で戦うのが得意なアークだが、一応昔とある人に一通りのやり方は仕込まれている。未だ息を潜めて取引の様子を伺っているアークに気づく者、気づきそうな者は誰一人としていない。
しばらくすると取引が終わったのか、男達はそれぞれ二手に別れて去って行った。暴力沙汰にはならないほど円満に終わったようだ__闇取引にしては、珍しいことだなとアークは心の中で思う。
男達が完全に去った後、アークはそれでも警戒を解かずに“依頼者”へとメールで連絡した。どの組織からどの組織へどんな品物が渡ったのか。どんな会話をしていたのか。取引をしに来ていた人達の特徴は。などなど、たくさんの情報を余すことなく送る。セキュリティ上の問題で、一応何通かにわけて異なる人に送っておいた。これで万が一メールの内容がどこからか流出しても最悪の事態は免れるだろう。
「……は、……」
小さい息を一つ、零す。
あぁ、自分は、なんて無力なのだろう。
__サリア様、ライア様……こんなことでしかお二人のお役に立てない私を、どうかお許しください。
アークは空を見上げてそう心の中で語りかけると、静かにその場から去って行った。
サリア様__サリアル・ツェン・フォンテルガイア。ライア様__ライアル・ツェン・フォンテルガイア。
前者はこの国、クレトローネの北に隣接する大国、“ロスセヴィア王国”の前王。そして後者は、その国の現王である。何故アークがその二人の名前を呼んだのか。それは__。
__アークが、ロスセヴィアの王、ライアルの勅命によってこの国で働いているからである。
もちろんこの国の政府は、それをわかっていてアークを受け入れている。クレトローネとロスセヴィアは、友好関係にあるのだ。
アークの使命は、ロスセヴィアの現王、ライアルを救うこと。__そして、傀儡国家と成り果てているロスセヴィアを、救うことだ。
ロスセヴィアほどの大国が傀儡国家となっているのは、ロスセヴィアの上層部、そして操っている“反乱軍”しか知らない。つまりアークは__ロスセヴィアの“上層部”と言っていい程の立場に居たということだ。
だからこそ、まだ、キリィには言うことができないのだ。信頼している人には言って協力してもらうようにして、仲間を増やすということもアークの目的ではあるのだが、__それでも。キリィを巻き込んでしまうことに、まだ迷っているのだ。本当に、キリィはそれでいいのか。キリィの将来を潰してしまうことにはならないのか__。アークの苦悩は、まだしばらく続くことだろう。
〜*〜