第4話「ただひたすらに心配で」
「っ、はぁ」
まだ陽が昇り切っていない暗い冬の早朝、一つに結んだ美しい銀髪を揺らしながら、華奢な体付きの青年__アークは乱れた息を整えていた。
ここはメアと共に暮らしている住居の3階、アークの部屋。1人の部屋にしては中々広めであり、多少体を動かすくらいはできる。そのためアークは毎朝、筋トレをしたり体幹を鍛えたり、鉱石を使った訓練をしたりしているのだ。
「……やはりこれが限界か」
ベッドと本棚に挟まれた場所で、アークは片膝をついて座りこんだまま呟く。__今日は親友の鉱石である影鎖≪シャドーレリック≫を使い、床に手を当ててそこからどこまで細長い影を伸ばすことができるかやっていた。が、やはり前やった時と変わらずこの街を出る辺りで影が止まってしまったのだ。
身体的にもう成長は難しいということなのか、それとも鉱石の限界がここまでなのか__。そうだとしても、諦めるわけにはいかない。使い方が効率的ではない可能性もあるし、努力がまだまだ足りない可能性もある。明日からやれることをやってみよう、と考えてアークは一旦鉱石から手を離した。これ以上やると、今日の仕事に支障が出てしまうかもしれないからだ。
「……さて」
気持ちを切り替えて立ち上がった。今日はメアが楽しみにしていた暖炉をつける日で、更にメアが不安そうにしていた補佐官が来る日でもある。いつも無理はしないでと言われているが、今日は少しくらい格好をつけさせてくれてもいいだろう。
__アークは着替えを持つと、汗を流すために一階にある風呂場へと向かったのだった。
〜*〜
「あ、アークおはよう。今日も早いね」
やるべきことをやり終わりソファーでほっと一息ついていた時、二階から降りてきたメアが階段から顔を覗かせた。それにふっ、と笑いながら、冬にあると嬉しい“例のもの”を指差す。
「あぁ。メアが楽しみにしていた暖炉をつけないといけなかったしな」
「あっ!ほんとだついてる!」
残りの階段を駆け降りて、メアは美しい炎が揺らめいている暖炉へと向かった。煉瓦造りで少し古びているそれは、仕事で疲れた心身を癒すにはとても素晴らしいものだと言えるだろう。
「あったか〜い……」
今日は早朝から雪が降り出している。そんな日の暖炉は、寒さで凍えた体をゆっくりと暖めてくれる、まるでお日様のような存在だった。
「よし!顔洗ってくる!あ、朝ご飯まだだよね?すぐ作るから待ってて!」
「あぁ。急ぎすぎるなよ」
ばたばたと朝の準備をし始めるメアに苦笑しつつ、目を通していた書類に目線を戻す。__5日前のあの帽子の男の事件以来、仕事が急激に増加した。尋問の結果、アークが捕らえたあの男から、思ったよりも良い情報が聞き出せたのだ。
それからというもの、その情報を元にあの男の上司達が活動していると思われる場所をしらみ潰しに探していた。あまり大規模に捜索すると逃げられてしまう可能性があるため、アークとメア、それに他の刑特ペアが1組、それに私服警官が10人で捜索にあたっていた__そしてやっと昨日、男の上司達に繋がりそうな者を見つけたのだ。今日はその者を“使って”、本拠地に乗り込むつもりでいる。
ちなみに、下っ端達によってばらまかれた心の鉱石は政府によって少しずつ回収されている。……が、やはり全てを回収できるわけではないし、一度バラバラに砕かれた鉱石はもう二度と元には戻らない。それに元の大きさの二分の一よりも大きくないと、鉱石は特殊な力を発揮しないのだ__例外として政府だけが持っている鉱石圧縮技術で圧縮された、刑特が使うような鉱石は力を持ったままである。ばらまかれていたような4、5ミリ程度の鉱石では特殊な力によって何か事件が起こることは考えられない。よって、これは時間をかけてどうにか回収していくということで決着がついた。
……しかし、それでもこの事件は終わらないだろう。前々からずっと刑特が追っている組織の、ほんの一部を捉えただけなのだから。
「……忙しくなるな」
アークはほんの少しだけ息を吐いて、携帯を取り出す。するとちょうど、新しい補佐官からメールが届いたところだった。メールを開くと、あと2時間程度で着くという知らせ。当たり障りのない返事を返して、朝ご飯を運んできたメアに気づき、ソファーから食卓の椅子へと席を移動した。
「お待たせアーク!今日はこんな感じにしてみました!」
「おお……さすがメア、見た目もすごく綺麗だな」
「えへへそうかな〜」
「あぁ」
メアが作ったのは、綺麗な蜂蜜色をしたフレンチトースト、食べやすい大きさに切られた野菜のサラダ、それにメアが手作りした苺ジャムが乗せられたヨーグルト。そこにアークがいつも飲んでいるコーヒーとメアがいつも飲んでいる紅茶をつければ、完璧な朝食の完成だ。
調理器具の片付けを少しだけしていたメアが座り終わるのを待ち、アークは手を合わせる。
「いただきます」
「はーい!私もいただきます」
ナイフとフォークを優雅に使い、アークはフレンチトーストを口に運ぶ。その所作は身につけようとしてすぐに身につけられるものではなく、アークは染み付いた癖のようなものだと昔言っていた。それを唐突に思い出したメアは、アークに昔聞かされたことを確認するように問いかける。
「アークはその綺麗な食べ方、いつからなんだっけ?」
「ん、あぁ……16歳、だな。それまでも一応気をつけて食べてはいたんだが」
「そっか。私もこのぎこちない食べ方直さなきゃなぁ」
アークとは違い、メアのナイフとフォークの使い方はお世辞にも綺麗とは言えない。だが別に汚い食べ方をしているわけではなく、ただどこかぎこちないのだ。
「気になるなら俺が今度教えるが……。別に頑張って直すものでもないだろう」
「でも、ほら……新しい補佐官来るし、あんまり見苦しいところは……」
「気にするな。どうしても嫌なら、補佐官が来る時は食べやすいカレーやシチューにすればいいだろう?」
「あ、そっか……うん、そうだね」
アークの言葉にほっとした表情を見せたものの、まだメアの表情は硬い。
__やはり補佐官のことが気になるのか。
アークはいつもより元気のないメアの様子を見て、少し心配になった。仕事が忙しくなると、その分補佐官に頼ることが増える。これからずっとこうではメアが心身共に参ってしまう……。しかし、自分達の仕事について来られるような女性補佐官の空きは今いないし、補佐官がいない生活はそろそろ限界だ。
ならば……。
アークは心の中であることを決心し、とりあえず今はいつも通りいこうと決めた。
「やっぱり美味しいな」
「でしょ〜〜もっと褒めてくれていいよ?」
「調子に乗ってるとお前の分まで食べるぞ?」
「えっそれは……」
「冗談だ。本気で悩むな」
「も〜〜〜!」
ぷんぷんと小さく怒りながらも、メアの目は楽しそうに細められている。
__さて、俺達の仕事について来られるという優秀な補佐官はどんな奴だろうか。
アークは少しだけ冷めたコーヒーを飲みながら、どうかこの傷ついてしまった少女をこれ以上傷つけるようなことはしないでくれと、心の中で願うのだった。
〜*〜