第3話「紛れ込む悪」
走り、走り、目的の場所までもう少しというところで。
「これ何かしら?」
「コーヒー豆とは違うみたいだけれど……」
小さく白い袋を2つ持ちながら、朝の散歩を楽しんでいるらしきマダム達が話す声がアークの耳に届いた。それを聞いて、アークの頭にある一つの考えが過る。
「……まさか……」
ここはコーヒー通り。観光客の来る街。人通りの多い場所。商売をするにはもってこい__だからこそ、コーヒーや紅茶の試供品を配っている者達が多くいる。そしてその試供品と共に、店の広告や他のオススメの商品などを配っている者達もいる__。
平静を装ってマダム達に近付くと、アークは綺麗な微笑を浮かべて告げた。
「すみません、少しお話を伺っても?」
「あら!あなたのような人になら喜んで。何かしら?」
「そちらの袋はどなたから戴いたものかお聞かせ願えれば、と」
「あぁ、これね。帽子を被った男の方から戴いたの。最近できたお店のバイトだとおっしゃっていたわ」
女性は先程何か気になって触っていた袋の封を開け、中に入っているものを取り出しながらアークの言葉に答える。そして中のものを取り出した瞬間目を少し見開いて、もう1人の女性も一緒に驚いた。
「綺麗……」
「まぁ……」
__入っていたのは、透き通り光り輝く綺麗な石の粒。それを見た途端、アークは若干顔を強張らせる。普通の石ならば何の問題もないが、もし、もし違うのならば……。
「申し訳ないのですが、お一つ戴いてもよろしいでしょうか……?」
「ええ、いいわよ。なんなら全部差し上げるわ」
「え、いやしかし……」
「気にしないで。あなたのような綺麗な人を見れたのだから、もう十分主人へのお土産話はできたわ」
「……有難う御座います」
さすがマダム。アークの要求に応えつつ、自分達側にもメリットはあるのだから大丈夫だと、此方に気を遣わせないような配慮までしてくれる。……いや、たくさんの経験をしてきたであろうマダム達だ。もしかしたら、アークが政府に属する者だとなんとなくわかってしまったのかもしれない……。
「本当に、年上というのは……尊敬せずにはいられない」
優雅に笑って去っていったマダム達を見送り、アークは苦笑して独りごちた。
そして譲ってもらった袋を開け、先程マダムがやっていたように一つ摘んで太陽の光に当ててみる。やはりそれはとても綺麗で、それでいてとても……儚く、美しかった。アークはそう思った瞬間、走り出す。
喜び、怒り、悲しみ、憎しみ、鉱石を扱える者だけにほのかに伝わってくるこれは、この石の持ち主の“生前の感情”。__そう、アークの考えた通りこれはただの鉱石ではない。これは人の、心の石だ。
「それを……!ばらばらに砕いて配り回るだと……?」
ばらまいた鉱石に惹かれる人は、鉱石を扱えない人でも何故か一定数いる。そんな人達はまた大通りでそれを配っている人を探し出し、今度は砕かれた鉱石だけでなく、元の大きさの心の鉱石までにも手を伸ばし、買い求めてしまうようになる。例えそれがどんなに高価であろうとも、法律で禁じられていようとも。
人が遺した鉱石の魅力に取り憑かれてしまう人は多い。__だから、刑特の仕事は決してなくならない。
静かな怒りが、アークの綺麗な碧色の瞳をドス黒い沼のような色に変えてしまう。……許せない、こんなことは絶対に許してはならない。政府に属する者として、鉱石刑吏特務官として、ただ一人の人間として。
だが、こんな目をしていては今から話しにいく者に怖がられてしまう。すっと怒りの感情を胸にしまい込み、いつもの自分を捨て……“演じる”。そうしてアークは路地に入っていった。
「あの、そこの帽子の方」
「ん?……俺か?」
アークがずっと追っていた男は、急いで去るわけでもなく路地で煙草をふかしていた。人の良い笑みを浮かべ、大人しく脆弱そうな青年を演じるアークに視線を向ける。
「この袋に見覚えはありませんか?多分あなたが落としていったような気がするんですが……」
「え、あ」
そんな失態をしているわけはないと思ったのか、帽子の男は持っていた籠の中身を慌てて確認する。指を折って残したはずの袋の個数を数え終わると、先程と同じように落ち着いた微笑を浮かべて口を開いた。
「いやぁ、それは俺のではないな。確かに袋は一緒だが、そんな袋この辺りじゃいろんな奴らが配ってるだろ」
「そうですか……。……あ、ではこれは?」
一つだけ袋から抜いておいた石を男に見せる。
「……ッ!」
と、男の表情が凍りついた。
__ビンゴ。やはり石を配っていたのはこの帽子の男で完全に間違いないようだ。こんなわかりやすい反応をしているところから考えるに、こいつは下っ端だろう。……となると、この男が次に取る行動は……。
「そ、それは俺の店のところのものだな。地面に転がっていたんだろ?そんな汚いもの持って帰らせるわけにはいかないし、俺が持ち帰ろう」
出た。焦るあまりに早口になって無駄なことまで喋ってしまう奴。アークは今までに何人もこのような下っ端を見てきている。
そしてその下っ端は……。
アークは大人しそうな顔から一転、残酷な笑みを浮かべて。
「残念だったな」
__ガシャンッ!!
__すぐに捕まえるのが、定石だ。
「なっ!なんだお前っ!?」
「なんだとはなんだ。なぜ俺がお前の質問に答えなければならない」
アークの親友の心の石である影鎖≪シャドーレリック≫の能力の一つ、具現化した鎖によってぐるぐるに巻きつけられてしまった男は、がしゃがしゃと鎖を鳴らしながらバランスを崩して地面に倒れ込む。
__ちなみに、アークのズボンのポケットに影鎖≪シャドーレリック≫が入っており、それに触れることによって能力は発動するのだ。発動対価は発動者の体力や精神力である。
「鎖……特殊の石か!ッ、まさか刑特の……!」
「さぁな」
焦る言葉を一刀両断。無駄な情報は与えない。
まだ安心していい状況ではないからだ。
「……」
周りを見渡せ。敵の仲間は。街の住民は。観光客は。
耳を澄ませ。攻撃は。足音は。話し声は。
……。全てを確認し息を吐く。
「危険はないな」
「おい!離してくれ!俺は他の奴に儲かる仕事があるって言われて、それで……っ!」
「嘘をつくな」
「っ!!」
アークの鋭い声に、男は安物の茶色いスーツに包まれた体を小さい子供のように竦ませる。
「下っ端は下っ端でも、古株だろう。でなければただの石を見せられただけであんなに狼狽えはしない。石が心の鉱石だと知っているな?」
「〜〜っ!!」
「そして儲かる仕事があると勧められたのはお前じゃない、逆にそう言って勧めていたのはお前じゃないのか」
そんな証拠はないが、帽子の男の青ざめた顔を見るに当たりのようだ。なんともわかりやすい。
「ちっ、違う!!離せ!!クソッ、餓鬼のくせに……!」
「うるさい。……それに、俺は餓鬼じゃない」
ぎゃーぎゃー喚く男を手刀で気絶させ、持っていた携帯で政府に連絡を入れる。__ちなみに、政府に繋がるメールアドレスや電話番号は定期的に変わるためセキュリティ上の問題はない。
そして次に警察に連絡を入れ、応援を要請。男を運ぶこと自体はアーク一人でもできるが、もし男の仲間が近くにいたとすると、襲撃を受けるとアークはまだしもこの男の命が危ない。口封じに消されかねないのだ。……それほど、下っ端の命は軽い。
だからこそ人手が必要だ。警察に男を運んでもらい、アークが署までそれを護衛すれば何の問題もないだろう。
帰りが遅くなることを予感し、アークはため息をついて3回目の連絡を同居人に入れるのだった。
〜*〜