第12話「昔とは違う、あたたかさ」
「……友人、か。そうだな。俺も……キリィ、お前とは刑特と補佐官としてだけじゃなく、友人として、プライベートも仲良くしていければと、思う」
「アーク……!」
「私もだよ、キリィ。ふふ、心配して損しちゃった。新しい補佐官がこんなに素敵な人だなんて思わなかったよ」
「メア……」
キリィは二人の言葉に、自分と同じ思いでいてくれていることを感じて目尻を下げ微笑んだ。
「そうだな。また俺がメアを守らなければ、と思っていたんだが」
その必要はなかったな、とアークはもう冷めてしまったコーヒーを飲みほした。
「“また”……?」
前回にも同じことがあったような口振りで言うアークに、キリィは眉を顰めて聞き返す。
「あぁ。……今までの補佐官はみんな男でな。悪気はなかったのかもしれないが、メアの地雷を踏んでいく奴が多かった。もしくは書類作業についてこれないか」
「そうだったのか……」
「うん。……あのね、キリィが話してくれたから、私も少し自分のことについて話したいんだけど、いいかな?」
「え、……いいのか?話しても」
メアにとって、あまり話したくない話のはずなのでは。キリィはそう思って、メアに聞く。が、メアはもう覚悟を決めた様子ではっきりと答えた。
「うん。キリィには隠さなくてもいいなって思うの。むしろ知っておいてほしいなって。……全部は、もう少し待ってほしいんだけど」
「もちろん、待つ。ありがとうメア、これでもっとメアの役に立てるようになって、友人に近づけるんなら嬉しい」
「うん!」
えへへ、と笑うメアにアークが笑いかけ__と言っても、多少口角が上がっているだけだが__、髪を撫でる。
「よかったな、メア。……なぁ、キリィ」
「ん?」
「俺も……お前に“個人として”許される範囲で過去を話そうと思う」
「……!わかった。是非聞かせてくれ」
そのキリィの言葉に、アークはこくりと頷く。先ほどコーヒーを飲み干してしまったため、話の供としてコーヒーのおかわりをマスターに頼んだ。このお店は__他にもそういう所は多いだろうが__コーヒーや紅茶は二杯目から安くなる。そうであろうとなかろうと、最初から全員分を払う気でいたアークはそういえば言ってなかったなと思いながら口を開いた。
「あぁ、そういえば今回の支払いは俺が持つから、遠慮せずに頼めよ」
「やったぁ、さすがアーク!マスター、私もおかわり!」
良い笑顔ですぐ紅茶のおかわりを頼むメアとは違い、キリィは迷っている様子で、
「え?い、いいのか?」
「当然だ。連れてきたのは俺だぞ」
「……わかった。じゃあ俺もおかわりで。次はミルク入りでお願いします」
「はい。少々お待ち下さいね」
マスターはにっこりと笑って慣れた手つきでコーヒーを淹れていく。コーヒーの良い香りに、少し張りつめていたような空気が和らいだ。みんな、知らず知らず気を張っていたのだろう。
3人分のおかわりができ、一口飲んだところで__メアが口を開いた。憂いを帯びた瞳は美しくはあったが、どこかその瞳の中にどす黒い“何か”が潜んでいるようにも見えた。そんなメアに、キリィは息を飲む。
「……私はね、お父さん……ううん、パパ一人に育てられたの」
「……離婚してたのか?」
「その時は別居かな。今は離婚してるよ」
ぽつりぽつりと紡ぎ出されるメアの言葉に、キリィはこれからされる話の重さを悟った。
「パパはね、私が必要だって、お前にしか頼めないことだって言って、私に物心ついたくらいの時に鉱石を渡してきたの。……そして私は小さい頃から鉱石を使ってパパのために働いた。人を傷つけたり、だましたり、子供だから、女だからって油断させて取り入ったり。……たくさんの悪いことをした」
メアは紅茶を口に含む。こくり、と軽く一口程飲んでから、でもね、と続けた。
「その時はね、悪いことだなんて思わなかったの。むしろパパに逆らうことがいけないことなんだって。パパの言葉は絶対に正しいことなんだって思ってたの」
「……洗脳か」
「そんな感じだね。ううん……そう、そうだね。私は生まれた時から12年、洗脳されてたんだと思う」
12年、だと?キリィは心の中で確かめるように呟いた。メアは19歳、つまりその半分以上をそうやって過ごしてきた……?
ぶる、と身震いした。寒気がした。
実の親からの愛情が欲しくて、ただ親に愛されたくて、褒めて欲しくて……ただそれだけを考えていた我が子を、自分の道具のように育てるなんて。
「狂ってる……」
そう思わずにはいられなかった。
「……うん、パパはおかしかった。だから小さい頃の私でも少し気づいた。こんな生活はおかしいんじゃないかと思って、それとなく言ってみたの。……そうしたら、どうなったと思う?」
メアは悲しそうに笑んだ。そして自分の痣の残った腕を、もう片方の腕でぎゅう、と掴んだ。
「……まさか。メアの、その傷は……」
「うん。パパに怒られたの。失敗したり、パパの意に沿わないことをすると、暴力を振るわれた」
「……!!」
ぎり、とキリィは奥歯を噛みしめた。そんなキリィとほんの少し震えるメアを見て、アークは目を伏せた。マスターはずっと、微動だにせずいつもの顔で話を聞いている。マスターも、詳しい話を聞くのはこれが初めてなのだ。
「……なんで、それでも逃げなかったんだ?」
「逃げられるなんて思わなかったし、それに……パパはね、暴力を振るった後に優しい声と顔で謝ってくれたの。“ごめんな、でもこれはお前のためなんだよ”って。私のためにすることなら耐えなきゃって思ったの」
「…………それは、」
確かに逃げられないな、とキリィは納得してしまった。他の優しさやあたたかさや考え方を知らないメアには、その父の言葉は“絶対”で、“たった一つの救い”だったのだ。
「私のことを想ってくれるパパが唯一の心の拠り所で、救いで、……大好きだった。でも、それは全部嘘で、パパは私のことなんて道具としか、なのに、私は……ッ」
「もういい、メア。……そこまででいい」
アークは席を立って、メアの後ろに立つと寄り添うようにして頭を撫でた。
「あ、れ……?」
メアはそこで気づく。……泣いていたのだ。いつの間にか。
「あ、ごめん、泣くつもりじゃ……やだ、私、なんで」
ぽろぽろと流れる涙を手で拭う。でもどうしてか、涙は止まってくれなかった。アークの頭を撫でる手が優しいからだろうか、それともキリィが心配そうな顔でこちらを見てくれているからか。マスターが何も言わずにタオルを差し出してくれたから?__全て、なのだろう。
最初の悲しい涙とは違い、今はあたたかい何かで胸が一杯だった。こみあげてくるこの感情は、パパといた時にはわからなかったものだ。
「うぅ、ありがとう……」
泣き顔を隠すように、アークに優しく抱きつく。アークはそれに応え、優しく壊れ物を扱うかのように抱きしめ返してくれた。とんとん、と背中を落ち着くように一定のリズムで叩いてくれる。__あぁ、安心する。何もかも投げ出してこの胸に体を預けていられたら、どんなにいいだろうか。
「もう大丈夫」
マスターが出してくれたタオルで目元を拭って、アークとキリィ、マスターに笑いかけた。それを見たアークは静かに笑って、自分の席に戻る。__アークに、この人に助けてほしいと、もう逃げてしまいたいと願えばきっとどうにかしてくれるのだろう。……でも、それでは駄目なのだ。自分で決着をつけなければ。
__それに、逃げてしまえばアークとはもう一緒に歩めない。アークの“祖国を救う”という大きな、とても大きな目標を達成するためには、そんな自分のことから逃げてしまうような者ではついていけないのだ。
ふう、と。温かい紅茶のカップを両手で持って、香りをかいで一息ついた。さあ、次は__。
「今度は、俺の番だな」
感情の読めない瞳で、アークはそう言った。
〜*〜