第八話 昔から知っている
「うちの父曰く、一昨日の夜中に小男がうちの周りをうろついて裏口に手を伸ばそうとしてるのを見たって言うのよ」
私の話に守は林間学校の夜に怪談話を聞いている小学生のような不安そうな顔つきになった。
この兄弟にはよく駅前のバスロータリーでばったり会う。
「それでね、何してるんだ!って叫んだらそいつが逃げようとするから、うちの父親が片腕を掴んだらみぞおちをパンチしてきて、ひるんだ隙に近くに置いてあった自転車に乗って逃げていったんだって」
「おじさんはその男の顔をみたの?」
「あんまり覚えてないみたい。マスクをしてたし、パーカーのフードを深く被ってたからほとんど見えなかったって。私が思うに小さい男じゃなくて、女じゃないかと思うんだけど」
守はなんだか疲労感を浮かべた顔つきをして、また何か悪質な嫌がらせをしようとしてたのかなと言った。
仮にあんたが犯人で、うちの父親が向って来たらしりもちとかついちゃってすぐに参りましたって言うでしょうねと言った私は、彼がいつものようにそうだねと言って笑わないので、どうしたのだろうと思った。
「どうかした?」
言葉を発さずにぼんやりしている守の耳たぶを私は軽くつまんで引っ張った。
「あのさ・・・、何かあったら僕は真っ先に華ちゃんのところに飛んで行って助けるからね」
私を睨むかのように見つめると守はそう言った。
「それ本気?」
大真面目な彼の顔を見ていたら吹き出してしまい、笑いすぎて思わず失禁しそうになった。
「華ちゃん、笑い事じゃなくてさあ・・・」
津田さんと守の決定的な違いはここにあるなと思った。
女を手に入れるために津田さんはその手の言葉を軽く吐くだろうが、守はきっと見返りを期待しないで言っているのだろう。
「守さあ、そういうセリフはふつう大事な彼女とかに言うもんだよ」
すると守は大事な幼馴染には言っちゃダメなの?と言うので当然ダメよと言った。
それからしばらくの間会話がなくなってしまったので、私はたいして興味はないけれどという体を装ってどこで彼女と出会ったのかと訊ねてみた。
守は数か月前のことを思い出すかのように少し遠くを見つめた。
「ある日彼女の車におかまを掘られちゃって・・・」
「彼女、車運転するんだ」
「うん・・・。滅多にしないみたいだけど」
「それで、シートベルトを外して降りてきた美女に眩惑されちゃったわけ」
守は参ったなという顔をして、気遣いのできる女性だなとは思ったけど、と言った。
「それって計画的な犯行だったりして。男を落とすときによく使う手なんじゃない?」
そうに決まっているという私の意見を守は珍しく認めたがらなかった。
「彼女はそんな人じゃないよ・・・」
怒りに近い苛立ちを感じた私は、キレイな女性を前にしたら男の人は判断力が鈍ってしまうものなのよと言った。
「でも僕は直感でこの女性はいい人だなと思ったけど・・・」
私の顔を見ないようにして守がぼそりと言うので、コイツに直感が働くことなんてあるのだろかと疑わしく感じた。
「僕の要求にもちゃんと答えてくれたし、わだかまりが残ることなく示談したんだ」
その後も連絡を取り合っているうちにいつの間にか彼女と付き合うことになったのだと守は言った。
「なんか、エレガントな女性だよね。エステとかネイルサロンに通ってそう」
「ど、どうだろう」
「あんたさあ、使い捨てカメラ見たいに捨てられないようにね」
しまりのない顔をした守はいつかそんな日が来るかもねと言った。
あっけなく人のものになってしまった守を見ていると、不思議なことにまた抱かれたいなあ、と思った。
好きでしょうがないわけでもないのにどうしてなのか自分でも訳がわからなかった。
「華ちゃんは今付き合ってる人に、なんていうか自分でのめり込んでるなとか思う?」
「どうだろう。彼との言葉のやり取りは好きだけど、ちょっと一言では説明できない関係だな」
と言いつつも、頭の中には『快楽』の二文字が浮かんでいた。
「華ちゃんは・・・、どうしてあの日僕とああいうことをしたの?」
まるで面接官が会社の志望動機を訊いてくるような訊き方をしてくる守に、そうだね、どうしてだろうと私はぼんやり反芻した。
守は一直線ですね~