独奏
ーーハイルの森 戌ノ初刻
日が昇っていた時とは森の表情は正反対になり、冷たく静かな闇に包まれている。野道の草は人々の足を掴むようにベッタリと絡みつく。
ハイルの森を照らすのは美しい月と一面に広がる星々の光のみで地形を知らないものは迷い込んでしまう。
風が吹き抜ける音を聴きながら、夜空を見上げている少女が一人。
真っ白な清潔感あるセーラー服は土で汚れ、リボンは少し傾いている。
傷だらけの足を大きく伸ばし地面に仰向けで寝そべっていた。
『腹減った......』
力のない声を漏らすと目を瞑り、今日何度目かという溜息をついた。
ただ一直線に駆け抜けていただけのはずだったが気づいたら森の迷路に迷い込んでしまった。
森の荒い地形に何度か転倒し体力をかなり奪われ、そのまま日が沈み暗闇の中力尽き今に至る。
梟の鳴き声、湿っていく地面と土の嫌な臭いのせいで美しい夜空も迫り来る不気味な闇に感じる。
『ここで死ぬのかなぁ』
半ば諦めがついたような笑みを浮かべる少女は家族のことを思い出していた。
少女は自分の家族のことがあまり好きではなかった、複雑な家庭環境で父と母には鬱陶しい存在として扱われていた。
反対に弟には純粋な愛を注いでいた両親、少女の家族は少女以外の三人で完結していたのだ。
家に居場所はなかった、学校も居心地がいいとは言えず今日のようにお腹を空かせながら夜の公園で一晩を過ごすこともあった。
それでも生きようと家のに帰り食事に手をつけた日には生に執着する自分に嫌悪すら抱いた。
『あの時、死んでればなぁ......いやここはもしかして天国だったりして』
静かな夜に寂しい笑い声が響き渡る。
少女はゆっくりと立ち上がり歩き始めた、目的地はない、歩けなくなるまで歩いてやろう。少女にはこの闇が意外と慣れ親しんだ心地良いものだった。
鼻歌を奏でながらスキップを始めた、肌に感じる冷たい風も涼しく感じる、少女の明るい金髪は闇の中を照らしてるように輝く。
『なんか楽しくなってきちゃった! このまま1人で私を誰も知らないところまで......』
楽しい闇夜の独奏を無理矢理にぶった切るように急に強風が吹く。
『きゃあっ!!』
風は物凄い勢いで少女吹き飛ばした。
そして地面に叩きつけられた身体の中を揺らすような地響きがなり、木の枝が吹き飛んでいく。
少女が一度閉じた目を開く。
『ーーーえ、なに......嘘でしょ』
驚嘆する彼女の前には一匹の竜が闇に浮かんでいた。
大きな二本足を地に着けて猛々しい角を空に突き立てている、眼光は闇の中に浮かぶ蒼白い炎のように揺れている。
自分よりも何十倍も大きい竜に彼女は声を失い、震えていた。
『キサマハシンジダイノカミカ? 』
耳の中に直接語りかけるような低い声に少女は耳を疑う。
『これはあなたの声?』
震え上がった弱々しい声で竜に問いかける少女。
『ソウダ、キサマハシンジダイノカミ?』
竜からの返答に少女は確信する、言葉が通じると。
『あなたは敵? 私を食べる? 』
少女は今にも抜けてしまいそうな腰を必死に両足で支え膝に手をつきながら正気を保っていた。
『キサマガカミナラバオズノモトニツレテイク、チガウナラバコロス』
恐怖に押し潰されそうな少女は相手の言っていることを正確に聞き取れなかった。
少女は恐ろしく禍々しい気配に本能が身の危険を感じ考える間も無く反対方向に一直線に駆け抜けた。
鉛のように重く感じる足を必死にあげながら逃げ続ける少女。
背後の竜はゆっくりと両翼を大きく伸ばし、鋭い鉤爪で空を水かきするように動かしている。
『なんなの、あれ!? 竜!? 』
少女の頭の中は混乱していた。
竜はゆっくりと空中に浮き、少女の方へ一直線に飛んでいく。
そのまま少女を追い越し大回りをし少女の前にまた降り立つ。
少女は切り返してまた逃げようとするが突風に背中を突き飛ばされるような形で吹き飛んでいく。
『うっ! 痛い......』
彼女は地面に這いつくばりながら、必死に逃げようと四肢を必死に動かすが力が入らず視界は霞んでいくとしていく。
『醜態を晒す行為は神として相応しくない、貴様は用済みだ散れ』
朦朧とした意識の中、少女は初めて竜の声をしっかりと聞くことができていた。
それと同時に完全に諦めていた。自分はここで死ぬと悟っていた。