新玉 1
「掛けまくも畏き某神社の大前に瑞穂豊恐み恐みも白さく新しき年の新しき月の朝日の豊栄登
に御賀の寿詩仕奉ると豊御食豊御酒を始めて海川山野の種種の物を献奉りて
拝奉る状さまを・・」
本殿内に響くのは、宮司たる瑞穂豊の祝詞。
新年を迎えて間もない日の国の各神社では、新年を祝う祭事、歳旦祭が行われる。
江戸を中心に多くの信仰を集める稲荷神社の総本山、豊秋原稲荷大社でもその儀は粛々と行われていた。
新年を祝う祝詞を読み上げる彼の真正面では、一段高くなった床に当神社の祭神たる宇迦之御魂神、灯華が目を閉じたまま座り、彼の祝詞を静かに聴いていた。
普段着ている桃色の着物ではなく、真っ白な衣に身を包んだ彼女は、髪や手、足には多くの装飾を付け、顔には隈取が施している。
そんな彼女の左右には神仕である刀羅と鏡夜が座り、豊を見据えていた。
彼らは同じ意匠の白の衣を着、顔には隈取を施して、刀羅は刀を、鏡夜は鏡を両手で恭しく掲げている。そして豊の後ろ、本殿の入り口の脇には巫女である瑞穂実が控えている。
厳粛にて神聖な空気で満たされてた空間で動くものと言えば、四方に置かれた明かりの揺らめきばかり。
「・・世の人人の幸福を進めしめ給ひ子孫の八十続五十橿八桑枝の如く立栄えしめ給へと恐み恐みも御賀の寿詩仕奉らくと白須」
祝詞が終わると、床につかんばかりに頭を下げた。一拍置いて灯華はゆっくりと目を開けると、ふわりと微笑んだ。
「新年に相応しい、立派な祝詞ね。ありがとう、豊」
「この日の為に、頑張って練習しましたから」
ひょいと顔を上げた豊からは先程までの厳かな雰囲気など微塵も残っておらず、その表情にはいつもののほほんとした表情があった。
「練習も何も、毎回きちんと祝詞をあげるのが仕事だろ。前みたく笑い出してたら、殴ってたからな」
開口一番物騒な単語を吐いたのは、灯華の左側に座っていた刀羅である。
「でも、あれはびっくりしたよねー」
足が痺たのか正座を崩し、膝を伸ばしてぷらぷらと足首を揺らしながら鏡夜が口を挟む。
そして、「ねー」と豊と声を合わせて意気を合わせている鏡夜と豊を、刀羅は眉を潜めて睨んだ。
「びっくりしたで済んでなかっただろ。告曜様はあれであばら骨折ったんだぞ」
刀羅が口にしたのは、ほんの数日前に行われた祭祀の最中のことだ。
「大祓」という、1年の間に負った穢れを祓う神社にとっては非常に重要な祭祀であり、そこには厄を司る禍津日直昆神も同席するのが習わしとなっている。
そこでの祝詞奏上中、何がツボになったのかはわからないがあろうことか豊は突然爆笑したのである。
元より彼が笑い上戸なことは承知していた稲荷大社の面々は左程驚かなかったが(祝詞奏上中に笑う
ということ自体には多少驚きはしたが)、告曜と宵月は別である。
突然に笑い出した彼に、宵月は「何か悪い物でも食べたのか」としきりに心配し、告曜はそのあまりにも快活な笑い方に思わず吹き出してしまったのだ。しかし、各地で行われる大祓で厄を限界まで負っていた彼の体は、相当脆くなっていたらしい。吹き出すのを堪えようととっさに身を屈めた瞬間、あばら骨が一本折れてしまったのである。
1年で最後の大祭においてそんな珍事を犯してしまった豊は、本来であればしこたま叱られるところであったが、灯華も告曜もそれについては一切お咎めをすることはなかった。代わりに彼らの神仕、刀羅と宵月には散々叱られたのだが。
「だから、あれはさすがに反省したってば」
豊は祝詞の書かれた紙を懐に戻し、ふぅ、と深く一度息をついた。年末の一件があったため、彼なりに相当気を張っていたらしい。そうでなくとも、祝詞の奏上は想像以上に集中力や精神力を摩耗する。
しかしそれを表に出さないのが豊である。疲れなど一切見せず、いつものように柔らかな笑みを見せた。
そして、周りに座る灯華、刀羅、鏡夜、実を順々に見まわすと、大きく一度、柏手かしわでを打った。
パン、と乾いた音が本殿内に反響する。
「というわけで、皆様改めて、あけましておめでとうございます!今年1年も、宜しくお願いします!」
「宜しくね」
「宜しく」
「よろしくー!」
「よろしくお願いします」
口々に挨拶を交わし、かくして彼らの新年は始まった。