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秋風スクエア  作者: 夏村 傘
#2 夜を薙ぐ風
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#2 夜を薙ぐ風 3

「いまどき果たし状だぞ、果たし状」

 夜市はユリア・ザハロフから送られてきた筆文字の書面を、あかりの前でひらひらさせて言った。

「しかも相手はユリアさんと来た。いつかこうなるって分かっちゃいたけど、あんま相手にしたくないんだよなー、あの手合いとは」

「そう言わないの。全日の道場の借用手続きだってユリアさんが全部やったんだから」

「何の気休めにもなってねーぞ、それ」

 バイトの帰り際に送られてきた夜市からのメールを見て、あかりはすぐにママチャリで夜中の学校へと爆走した。どうやらこれから、夜市とユリアによる一騎打ちが始まるらしい。どういう経緯でそんな事になったのかはさっぱりだったが、夜市の話によると今日突然、授業前に果たし状を手渡されたらしい。夜市の方はともかくとして、ユリア個人に何かしらの心境の変化でもあったのだろうか。

 ちなみにここは四季ノ宮高校剣道部の道場である。定時制には剣道部が無いので、事実上は全日専用の部室となっている。夜市とあかりはその隅っこで座り込み、相手となる剣客を待ち構えていた。

「それにしてもユリアさん、遅いなぁ」

「女の子は着替えに時間が掛かるってか? 手前で呼び出しておいて、随分と図々しいこった」

「誰が図々しいですって?」

 まるで計ったかのようなタイミングで、ユリアが道場の女子更衣室から姿を現す。白い道着に黒い袴姿。道着越しからでも浮き上がる豊かな胸から腰つきのライン、木製の薙刀を握るたおやかな指までの全てを含め、どこか官能的であり静謐な出で立ち。

 これがユリア・ザハロフという剣客なのか。

「存外似合ってるじゃん。さっすが剣客様」

 夜市が挑発的に感想を漏らして立ち上がり、彼女の正面へと歩を進めながら、学校から借用している鍔が付いた木刀の柄を右手で握った。

 やがて道場の中央にて、二人の剣客が向かい合う。

「やれやれ、どういう心境の変化かな?」

「剣客の一刀は千の言葉に勝る。全ては太刀風の中で語り合いましょう」

「嫌だと言ったら?」

「言わせない」

 ユリアの素早い横一閃が、夜の静謐な空気を薙いだ。夜市は片手に携えた木刀で、その一撃を軽々と受け止める。まるで、扉でもノックするような気軽さだ。

 しかし、次の刹那、夜市の体が急にバランスを崩した。

「ん……?」

 夜市は慌てず騒がず、力を受けた方向へと体を流し、ユリアの斬撃による衝撃を最低限に抑えようとした。しかし、夜市の体はただ流れるばかりか、ついには大きく吹っ飛ばされてしまった。

 あかりの目が思わず丸くなる。

「うそっ?」

 本当に、嘘みたいな力だった。ユリアの細腕から繰り出される薙刀の一撃ぐらい、夜市だったら薙刀ごと切断して対処していただろうに。まさかあのバカ、油断でもしていたのだろうか?

 ユリアの猛攻は続く。体ごと回転し、縦横無尽に薙刀を振り回し、一定の間合いを保ったまま夜市をひたすら殴りにかかっている。一方、夜市はただ相手の攻撃を受け流しているだけで、一向に反撃に転じる気配が無い。

 別にどっちを贔屓している訳でもなかったが、あかりの中では徐々に苛立ちが募り始めていた。

「夜市、何でさっきからやられっぱなしなのさ!」

 あかりがいよいよ堪らなくなってブーイングを垂れる。しかし、夜市の表情から先程までの余裕が消えているあたり、ただやられているだけでは無いらしい。

 もしかして、反撃してないのではなく、反撃できないのでは?

「一体何が……」

 あかりは目を凝らして彼女の動きに注視する。

 打撃の瞬間、足運び、呼吸、彼女を中心として円を描くような薙刀の軌道――そうした全てを集中して観察する事で、あかりは徐々にユリアの力の正体を明かしていった。

 まず、初撃から発揮されていた彼女の異様な剛力である。同い年とはいえ腕力や体重、体格差は男女で大きく違う筈なのに、ユリアが夜市以上の膂力を発揮している理由とは何か。

 簡単な話だ。薙刀はただリーチが長いだけの武器ではない。普通の大太刀と比べ、斬撃の時に発生する遠心力の伝導率も大幅に薙刀が上回る。夜市が最初に喰らったあの一撃は、その原理に依るところが大きいだろう。

 だが、それを鑑みてもユリアの動きは何かがおかしい。

 彼女と初めて出会った際、自分をナンパ男から助けてくれたあの時。彼女はまるで当然のように奪われた薙刀を奪還し、ついでのように奪った男の体を、ただ触れただけで遠ざけてみせた。あのような芸当を自然と可能にする武術なんてあったか?

 そもそもあかりは武術に関して明るい訳ではない。だが、いまもユリアがあの時と似たような技を使っている事だけは、素人目にも判然としていた。

「ちょ、タンマ! お願いだからちょっと待って!」

「待てと言って待つ果し合いが何処にあるの?」

 夜市が泣きそうな顔になりながら攻撃をかわし、ユリアが能面のような無表情で荒々しい太刀筋を振るっている。滑稽な絵面と言われればそれまでだが、あんな嵐みたいな斬撃を目の前にしている夜市からすれば堪ったものではない筈だ。

 更に言うなら、見ているこっちもはらはらする。

「面白い事になってるじゃん」

 突然、あかりの横に見覚えのある全日の女子生徒が現れた。気配どころか音も無くいきなり横に座っていた彼女を見て、あかりは思わずぎょっとなる。

「わっ! い、いつからそこに」

「たったいまよ。忘れ物があって、取りに来ただけなんだけど……」

 女子生徒――二年生の野桜緑子は、少しだけ愉快そうに言った。

「まさか、定時制の生徒同士がガチンコバトルとはね」

 野桜緑子。四季ノ宮高校全日制の女子剣道部におけるエース的存在。インターハイでの優勝経験もあり、中学時代では全国大会個人戦で三連覇を成し遂げた、まさに最強の女剣士とも言える有名人である。ルックスもスタイルもユリア同様に抜群と、アイドル性も高い事からこの学校ではそれなりの人気を築き上げている。

「ねえ、あなた。秋津あかりさんよね?」

「あ……はい。そうですけど、どうして私の名前を?」

「今年の一年生の中で、一番モテる女子って触れ込みなのよ、あなたは」

「そんな嘘ばっかり~」

「そこぉ! ガールズトークしている暇があるなら俺を助けろ!」

 夜市がそろそろ本格的に涙目になってきている。しかし叫ぶ余裕があるくらいなら反撃に転じてしまえばいいのに、と思わなくもないから無視してやる。

「で、何であの二人は一騎打ちしてるの?」

「あっちの女の子の方から、突然申し込まれたらしいですけど……」

 当のユリアは未だに眉根一つさえ動かしていない。

 緑子はそんな彼女を見て、心底楽しげに述べる。

「彼女、面白い技を組み合わせているのね~」

「組み合わせ?」

「薙刀だけが脳じゃないって事。あの黒い羽織の子が反撃に転じられないのも、全部彼女の体術と剣術の所為だったりするの」

「彼女はどんな体術を?」

「見た感じ、システマね」

「デンター?」

「それ違う」

 緑子がぴしゃりと否定する。いやだって、システマって言ったから。

「システマはロシア発祥の格闘技ね。実戦を想定した軍隊式格闘術。基本的には体の使い方や呼吸法が中心になって全ての技に作用する。あのロシア人の子の顔を見て。とってもリラックスしてるでしょ?」

 もはや以下略と流してしまいたい程、やはりユリアの面持ちはリラックスしていた。

「あの子はおそらく、薙刀術とシステマを両方極めてる。もしあの男の子が反撃に転じようものなら、速攻で受け流され、薙刀のリーチを利用した一撃を喰わされる」

「そんな事が可能なんですか?」

「ええ。常にリラックスして、相手の攻撃を受け流すように構えを作るのがシステマの基礎。しかもあの武術独特の、『力を対象に押し込むような打撃』も薙刀術と組み合わせている以上、その威力は通常の打撃の倍以上。反撃に転じる事すら困難を極める」

 だから夜市はユリアの攻撃を最初からいまに至るまで受け止めきれなかったのか。たしかに、一撃の中に遠心力とシステマの打撃力を同時に込められては、並大抵の男だったら簡単に押し切られてしまいそうなものだ。

 そう、並大抵の、なら。

「いい加減に、しろっ!」

 夜市もとうとう堪忍袋の尾が切れたか、横薙ぎに飛んできたユリアの一太刀を無理矢理弾き返す。この勝負で初めて強い反抗心を見せた夜市に驚いてか、ユリアが一旦後退して距離を取った。

 一連の流れを見て、緑子が眉をひそめる。

「あの二段構えの打撃を打ち返した? マジで?」

 そうだ。夜市は並大抵の剣客ではない。それはあかりが一番よく知っている。

 彼の全てに惚れかけてしまった自分だからこそ、危ない程に。

「さてと。こうなったらもう仕方がない。道着を斬られて素っ裸になるか。大事な薙刀が真っ二つになるか。君が選べる道は二つに一つだ。さあ選べ。どっちがいい?」

 夜市の目つきがようやく剣客としての色を帯び、場の空気が一気に引き締まる。これが彼の殺気というものなのだろうか。

 ユリアは彼の覚醒を目の当たりにして、口元が少しだけ緩んだ。

「いいわ。あなた、凄くいい」

「ほざいてろ」

 二人が同時に踏み込み、激しく木刀同士をかち鳴らす。

 ユリアが片足のつま先を軸に回転し、動の美を薙刀の鋒で演じているのと反対に、夜市は繰り出される刃の乱舞を、まるで風に舞う落葉のようなステップで静かにかわし続け、かわしきれない攻撃も的確に木刀で捌いている。

 夜市の強さは凶悪な斬撃のみならず。むしろこの掴み所の無い体捌きこそが、立風夜市という剣客が有する最大の奥義とも言える。

 しかしそれはユリアも同じだ。システマという格闘術の性質上、回避や防御に関しては夜市と互角かそれ以上。いくら夜市が回避を続けながら一撃を加える隙を伺おうと、あの冷徹なまでに安定した面持ちを崩せなければ、いくら手を出したところで絡め取られるだけだ。

 これでは膠着状態も良いところだ、と思った。しかし、案外転機はすぐに訪れる。

 ユリアの動きが突然鈍くなった。遠心力を得物に与え続けるような動作をハイテンポで繰り返したばかりに、彼女の体には思ったより疲労が蓄積しているらしい。

 反対に、夜市の動きはまったく鈍らない。ユリアから一方的な打撃を受け続けて体力を消耗しているかと思ったが、思いの他そうでもなかったらしい。

 ユリアの足がもつれる。その隙を逃す夜市ではない。

 夜市が木刀を逆袈裟に一閃。ユリアは薙刀の柄で一撃を受け止めようとするが、結果的に失敗した。彼女の体は大きく飛ばされ、背中を強かに床へと打ち付ける。

 彼女が即座に立ち上がろうとする。しかし、夜市がすかさず彼女の目の前に木刀の鋒を突きつけた事で、この勝負の天秤は一気に傾いた。

「……参ったわ」

 ユリアが意気消沈して頭を垂れる。

「何で薙刀を斬ろうとしなかったの? あなたならすぐにでも……」

「唯一無二の相棒なんだろう? 俺にはとても斬れないさ」

 夜市は柔らかい笑みを浮かべ、彼女に手を差し伸べる。

「人の大切なものを斬る剣なんて、とっくの昔に捨ててるのさ」

「……優しいのね」

 ようやくユリアの面持ちが綻び、差し伸べられた手を取って立ち上がる。近年希に見る爽やかな光景だった。

 あかりと緑子は二人の見事な戦いに、無駄口一つ叩かずに賞賛の拍手を送るのであった。

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