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秋風スクエア  作者: 夏村 傘
#2 夜を薙ぐ風
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#2 夜を薙ぐ風 2

 強者との戦いを望む割には夜市に対してあまり戦意が湧かないのは、傍に秋津あかりという存在が控えていたからだろうと、ユリアは勝手に解釈していた。きっとあかりと出会う前に夜市の強さを目の当たりにしたら、同じ事は思わなかっただろう。

 定時制の夜の授業。いつも通り眠気を誘っては周囲の喧騒で気が散らされるような空間の中、少し前の席に座る黒い羽織の背中をじっと見つめてみる。

 うん。やっぱり、何の欲求も湧かない。

 たしかに、昨晩に突如として現れたスーツ姿の不審者によって見せつけられた夜市の強さには興味がある。いつも通りのユリアなら、果たし状を送ってまで放課後に彼を呼んで一勝負と洒落込んでもおかしくはない。

 けど、あの呑気で一風変わったような感じの少女と、どうしても組み合わせて彼を見てしまう。

 いまのユリアを支配するのは、湧き上がりそうな闘士と、それを削ぐような虚脱感のせめぎ合い。どちらかが無くなれば、どちらかにメーターの針が振りきれる。

 教室のスピーカーから、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。生徒達が全員席を立ち、下校するなりその場でお喋りに興じるなりで、思い思いに振舞う。

 こちらも帰り支度を済ませると、夜市がごく自然に傍まで歩み寄ってきた。

「ユリアさん。一緒に帰ろうよ」

 日本に来て初めて、足並みを揃える類の下校に誘われた。たった一夜共闘しただけの仲だというのに、夜市は全然こちらを警戒していないようだ。

「ええ。丁度こっちも質問したい事があったし」

「奇遇だな。俺もなんだわ」

 どうやらお互いに解消しない疑問がわだかまっているらしい。なら、早いうちに解いてやった方が後々楽である。

 二人はさっさと靴を履き替えて校門の外へ出る。さすがに今回は近場で厄介事を起こすような輩はおらず、平和的に学校から離れる事が叶った。

「さて、何から話す?」

「昨日言ってた、ここの全日制と定時制の関係から」

「オーライ。実はあかりが調べて、俺にメール送ってくれたんだよね」

 夜市はスマホの画面にあかりから送信されてきたメールを表示し、ざっと目を通してから話し始める。

「大体が昨日の君の読み通りさ」

 そう切り出して、夜市は事の次第を話し始める。

 都立四季ノ宮高等学校は元々全日制だけだった。いまも昔も有名進学校としての地位を保っており、生徒のレベルも非の打ちどころが無いとされていた。しかし、家庭の事情だったり特殊な環境下に身を置かれている少年少女らの為に、敷地面で比較的余裕があった四季ノ宮高校に定時制を設立する事になった際、様々な問題が浮き彫りになって色々なところで一悶着があったそうだ。

 例えば、定時制の生徒というと、統計的に素行の悪さが目立ってしまう点について。バイトと学業をバランス良く両立させる生徒達がいくら頑張っても、ごく少数の不良学生の横行の方がどうしても目立ちやすいからだ。これも集団心理の妙だ。

 全日制と定時制の生徒のニアミスも課題の一つだ。昨日あった、あかりの一件が良い例である。あれはたまたま、事を大きくせず速やかに荒事を対処できる戦闘の達人が二人もいたから双方無傷で済んだのだが、あのようなラッキーが二度三度と続く確率は限りなく低い。

 あとは文化祭や体育祭にかかる経費の分配、学生食堂の営業時間、定時制専用の教室の増設――挙げれば底を見るには時間が掛かる、まさに問題点のオンパレードだ。

「何より教育委員会が心配したのは、優等生だらけの全日制の生徒達に与える精神衛生上の問題だった。そいつが解決すれば、後の面倒は丁寧に解決するだけで終わる」

「で、それの何をこじらせたら、彼らのあんな態度に繋がるの?」

「簡単な話さ。懸念している問題を解決する為に、どっかのお偉いさんが設立する際の条件付けを校則に付け加えたのさ。ちなみにあかりはその校則が何処に書いてあるのかまでは知らないって言ってたけど、実は答えが俺達の懐に潜んでた」

「……なるほど。灯台の下はいつも暗いって言うものね」

 ユリアは鞄に仕舞っていた生徒手帳を抜き出して小口を開き、ページをめくって校則の書いてある欄に目を通した。夜なので小さな手帳の小さな文字が見づらかったが、夜市が隣からスマホのライトを点灯してくれたので問題は無かった。

「生徒の安全に関わる校則ね。『定時制の生徒が全日制の生徒と何らかの衝突を起こした場合に限り、先んじて定時制の生徒が身を引くものとする』……何、これ?」

 自分で読み上げておいて何だが、大概馬鹿馬鹿しい校則である。あからさまに定時制の地位を貶めているようなものではないか。

「全日制の生徒手帳にはこれが書いてないから、あかりはこの事を知らなかったんだ。ただ、伝統的に全日制と定時制の格差が暗黙の了解として双方に広がっていれば、一年長く在学している全日制の生徒には必ず伝わってる」

「じゃあ、昨日の彼らがああ言ってたのって」

「おそらく奴らはあかりよりかは上級生って事さ。それにこの条項は校則のページの最初に書いてあった。暇つぶしに定時制の誰かが見ていれば、その校則の意味を種にネタが広がり、最終的には定時制から全日制に敵意を持ち、その逆もまた然りの状態に繋がる。校内でまさかの冷戦とは、優等生だらけの教育機関が聞いて呆れる」

 どうりであのナンパ男が、まるで壊れたジュークみたいに全日の優位性を語る訳だ。

「とんでもない曲解をしてくれたものね。迷惑にも程がある」

「全くだ。しかし、なんかまだ引っかかるところがあるんだよなー」

「今度は何?」

「いや。あかりはともかく、昨日何であんな場所にあんな集団がいたのか、とか」

「それは考えても栓の無い事よ。それより、楽しい話をしましょう」

「何だ、いきなり?」

 突然変わりそうになる話題に、夜市がかすかに警戒の仕草を見せる。単に面白そうだからという理由だが、ここは一気に畳み掛けるべきだろう。

「あなた、秋津さんの事、好きなの?」

「いきなり乙女っぷりを発揮しても、俺は断じて慌てないぞ?」

 意外と立風夜市の牙城は硬くて高かった。

「つまらない男ね。少しは興が乗っても良いじゃない」

「能面みたいな面相で言われたかないね。君のスリーサイズを教えてくれたら、気分良く話す気になるかもしれませんがね」

「アー、ワテクシ、ニホンゴ、ワカラナイ」

「この腐れアマ」

「殺して良いかしら?」

「…………」

 夜市が苦虫を噛み潰したような顔をして押し黙った。バカめ、私を謀ろうとするからこんな目に遭うのだ。

「でもまあ、気になるのは本当なの」

「俺とあかりの事? 聞いても楽しい話じゃないぜ、多分」

「そうかしら。相思相愛のオーラが漂っているのだけれど」

「世の中がいつもそうやって回転してりゃ、少子化問題は即解決だ」

 聞くからに馬鹿らしいと吐き捨てるような物言いだった。これが日本人一流のブラックジョークなのだろうか。だったらきっちり覚えておこう。

「あの子はちょっと特殊なんだよ。性格というか、性癖というか。とにかく、好奇心旺盛と片付けるには何かが惜しい」

「でも、気に入ってはいるのよね?」

「まあ、な」

 夜市は満更でもないといった顔をすると、一旦立ち止まって道の一角を指さした。

「ちょっとコンビニ寄るから、俺はこっちな。また明日ね」

「ええ。今日はありがとう」

「お安い御用さ。じゃ」

 彼は適当に手を挙げて会釈して、ユリアと帰路を分かった。彼女は少しの間だけ夜市の背中を見送ると、いつも通り自分の家に向けて歩き出す。この時間になると人通りも無く閑散としており、自分に何かの魔が差してちょっとした奇行に走ったとして、見咎める者は誰一人としてここにはいない。

 ふいに、街路樹から舞い落ちる、赤茶けた落葉が目に止まる。

「……」

 立風夜市はたかが木刀の鋒で人の皮膚を、木製の武器を切断した。

 私にも、出来るか?

 ほんの少しの興味に駆られ、ユリアは長年付き添った全身木製の薙刀を絹の袋から取り出して、静かな所作で刺突の構えを作る。

 丁度良い位置に落ちてきそうな葉が一枚。ゆらりゆらりと風に流されて踊るその様は、まるであの映像の中で夜市が踏んでいたステップを彷彿とさせた。

「ふっ!」

 刺突一閃。刃の射程範囲に入った落葉に直撃。

 しかし、葉は刃の周りを一度だけ旋回して通り過ぎ、舞い落ちる。

 斬れなかった。あんな薄い葉っぱ一枚ですら。これでは立風夜市が放った人斬りの業には到底及ばない。

 この時、ようやくユリアの中で、闘争心のメーターが振り切れた。

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