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秋風スクエア  作者: 夏村 傘
#1 The Autumn Square
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#1 The Autumn Square 5

 秋津あかりの交友関係は非常に狭い上に珍妙奇天烈だ。好奇心が旺盛な性格だった事もあり、誰とでも打ち解ける器量を持ち合わせてはいたのだが、あかり自身のルックスや全体的な能力の高さもあってか、濃上桃子以外の周囲からは敬遠され、本当の意味での友人と呼べるような間柄があまり存在していなかったのだ。

 あまり人間関係に苦労はしない奴だと思っていた分、意外な話だ。

「――ま、ルックスや能力云々は全部桃子の勝手な想像だから」

「謙虚もまた罪、か」

 四季ノ宮の北方面、比較的おしゃれな店が立ち並ぶ区域の一角を並んで歩く二人を恋人と見紛う通行人も少なくはないだろう。夜市はいつもの和服姿にしても、あかりは今日の為に気合を入れてお洒落を決めているのだから。

 白が基調の、黒いボタンやラインで飾られたワンピーススタイルだ。露出は少なめ、大人っぽくて清楚なファッションである。小さな鞄も季節に合わせた銀杏色だ。実にあかりらしいな、などと素直に思った。

「で、今日は俺に何をしろと?」

 実は昨晩、あかりにいきなりメールで呼び出されてこの区画でデートまがいの行為に及んでいる訳だが、まだ彼女からは肝心な用件そのものを聞かされていない。

「しっしっしー、少し後のお楽しみー」

「いい加減教えてくれても良いじゃん」

「だーめー!」

 あかりがいたずらっぽく笑う。畜生、可愛すぎる。いますぐお持ち帰りしたいくらいだ。

 夜市が不埒な事を考えているうちに、小洒落たインテリアのショップに到着する。躊躇なく店内に入るあかりの後を追い、夜市も普段は絶対来ないような洒落者御用達の店内に足を踏み入れる。

 中の雰囲気は有り体に言って静謐だった。二人を出迎えたのは、普段なら絶対目にする事の無さそうなデザインの家具やインテリア達だ。変わった形の照明だったり机だったり、中にはアンティークっぽい皿や銀食器なども商品として飾られていた。

 夜市には美術の素養が無い。何がロココ調で何がモダンとか言われても一切ピンと来ない。こんな場面で気の利いた言葉を自分の彼女に羅列できるような男でなければ、はっきり言ってここはデートコースとして選ぶには難易度が高過ぎる。

 あかりは夜市の着物の裾を引っ張り、店の一角を指さした。

「立風君。あそこ」

「あれは……」

 二人が見つけたのは花瓶のコーナーだった。品物はそれぞれ材質が鉄製だったりガラス製だったり、色や形にしてもこれまた目に面白い構成の逸品達だ。

「さあ、お好きなものをどうぞ」

「ちょっと待て。今日の俺の手持ちじゃ、こんなの――」

「大丈夫。私が払うから」

 あかりが驚くべき宣言をしてのけた。

「払うって、正気か? 一つで大体二千円以上なのに?」

 置き型から壁掛け式のものまで、デザインからにじみ出る高級感ゆえに値打ちはかなり張っている。しかもこれは置き型に限るが、中には十万以上の代物まで鎮座している。少なくとも、全日制のバイト学生からすれば苦しい会計を乗り切る末路を辿るだろう。

 しかも男が奢る訳ではない。相手は同い年の女の子だ。なおさら気が引ける。

「っていうか、何で? 君にそうまでさせる程の何かがあったか?」

「ストーカー被害の慰謝料っていう名目じゃ、駄目?」

「おいおい……」

 さすがにこれには夜市も当惑する。名目が何にせよ、あかりがどういう心境でこういう提案をしているのかが理解できなかったからだ。本人が極めて軽めに申し出ている分、余計に裏を読んでしまいたくなる。

「あのー……秋津さん? 念のために訊きますが、本音は?」

「あとで立風君にお昼ご飯を奢ってもらう為の口実です」

「ここまで馬鹿正直だと、逆に嘘くさいな」

 もう何が何だか。

「ほらほら。さっさと選ぶ!」

「なあ。君は男のプライドって考えた事ある?」

「知らん。さっさと選べ」

 こっちの躊躇まで一刀両断である。明らかに将来は旦那を尻に敷くタイプだ。

「……じゃあ、これ」

「安いけど、オシャレだね」

 夜市が選んだのは勿論壁掛け式だった。透明な長短一枚ずつのアクリル板でステンレスのリングホルダーを前後に挟み、その中にガラス管を差し込んだ一品だ。水を替える時はガラス管のみを外せば良いだけなので手入れも簡単、背面の長いアクリル板の上部には画鋲用の穴も空いているので設置もお手軽だ。前後のアクリル板も色分けされており、全身が透明であったり、前が白で後ろがスモークのものまで、選び甲斐に関しても充分な要素を備えている。

 お値段は二千円ジャスト。奢ってもらうにせよ、あかりのお財布事情を最大限考慮して選んだ最良の結果ともいえる。

「じゃ、私もこれにしーよおっと」

「え? 君も買うの?」

「せっかくだからね。まあ、良いじゃん」

 あかりの意図は計り兼ねるが、彼女自身の私物となるものなら口を挟む道理はこちらには無い。

 結局、あかりの財布からはきっかり四千円が流通の世界へと旅立っていった。夜市が選んだ前が白と後ろにスモーク、あかりが選んだ前がスモークと後ろに白の壁掛け式花瓶がその対価としてこちらの手に渡り、丁寧に梱包され、お洒落な紙袋に収められていく様を、夜市は会計が終わるまでの間だけぼんやりと眺めていた。

 この後はただ目的も無く、本当のデートよろしく大人向けのイタリアンレストランで本場仕込みのピザやらパスタやらに舌鼓を打ち、昼食後の腹ごなしにあかりの希望で洋服店などをたくさん見て回り、最終的には大道芸が催されていた広場で足を止めた。

 いま話題の外人パフォーマンスコンビ「funnycats」。この広場を中心に活動する白人兄弟の大道芸人だ。巧みでブラックな話術を用いて聴衆を集め、魅力的かつ大胆な演目が客目を引く、視覚と聴覚を共に刺激してくれる新進気鋭の大人気コンビとはあかりの談だ。どうやらあかりも彼らのファンらしい。

 彼らはいまから丁度、先端に火が点ったトーチを使ったジャグリングを始めるところだった。白人兄弟の兄が客の中から誰かを指名してトーチを手渡して投げてもらい、自身も三本のトーチでジャグリングしながら客が投げたトーチを受け取って四本に増やす、という難易度の高いプレイを繰り広げる、という内容らしい。

 丁度、白人の兄が聴衆を見渡し始め――夜市と目が合った。

「へーい、そこの和服のお兄さん、もしかしてデートの最中?」

「え? いや、あの……」

「はい。これ、私の彼氏です」

 あかりがこちらの腕にがっしりと組み付いてきた。胸まで押し当ててくるのでドギマギするような場面なのだろうが、夜市は全く別の事に驚いていた。

「あっさり嘘ついたな、お前?」

「おーう、熱い熱い。しかしこのワタシ、こないだ十年付き合っていた彼女と別れたばかりでして。湧き上がるこの嫉妬をトーチの炎に込めて、二人纏めて火だるまにしてやりたいぜ。侍ボーイ&ピッチピチのJKの丸焼き、FOOO!」

「一方的な逆恨みか!」

 周りの聴衆が夜市と外人のやりとりにどっと笑う。「野郎、俺を笑いのダシにしやがったな」と忌々しく思わなくもなかったが、何よりあんなとんでもない嘘をついといて平然としているあかりの方が何となく悪人に思えた。

「じゃあ、お兄さん。これをワタシにぶん投げてっちょ。三本ジャグリングしながら、君の熱い一撃を待ってるぜ」

 こちらの意見も聞かずに、外人兄がトーチを手渡してきた。ああ、先端の炎で外人の丸焼きソテーを拵えてやりたい。

「ちなみに変な気起こさないで? 殺意全開のアタックをかますのだけは勘弁な。あそこに見えますでしょうか? そう、四季ノ宮警察署」

 あっさり釘を刺されてしまった。これで夜市は外人の調理を禁じられてしまった。

「じゃあ行くよ? お願いだから、そっと投げてね。全力でぶん投げたら、この三本を全力で投げ返すから」

「ダーリン、頑張ってー」

「誰がダーリンだ」

「カモン、ダーリン」

 今度は傍らでずっと静かに見守っていた外人弟までこちらを煽りにかかった。兄弟揃ってうぜぇ。あと、あかりはもう黙った方が良いと思う。

 夜市と外人兄が一定以上離れる。外人兄は予告通り点火した三本のトーチで見事なジャグリングを披露し、夜市が持つ四本目を待っている。

 夜市が多少脱力気味で投げようとした、その時。

「え? 鳩? ワオ!」

 外人兄の目前を横切る、超低空飛行の鳩が一匹。ここではさして珍しい事ではないが――いきなり目の前に現れた飛行物体に驚き、手からトーチが一本だけ勢いよくすっぽ抜け、なんと聴衆の中に飛び込もうとしていたのだ。

 危険物の行き先は、赤ん坊を抱いている三十代くらいの女性だった。

「やっべ……!」

 あまりの不手際に、さっきまで陽気だった外人兄の顔が蒼白に染まり、ジャグリングしていたトーチを三本全て取り落としてしまった。

「ちっ!」

 片や夜市は握っていたトーチの炎を自分の息で吹き消し、すぐさま疾駆。ファンブルされたトーチと親子の間に割り込み、掬い上げるようにして自分が持っていたトーチをスイング。打ち上げたトーチは回転しながら宙を高く舞い、既に居合の構えを終えていた夜市の目線の高さまで落ちてくる。

 そこへ、もう一閃。火が点いたままのトーチはまたも回転しながら、今度は兄を目掛けて綺麗な直線軌道で飛翔していった。

「お、おお!」

 外人兄が反応し、トーチをキャッチ。さすがはライセンス持ちの大道芸人だ。反射神経も運動能力も並大抵のものではない。

 外人兄はしばらく自分がキャッチしたトーチを驚きながら眺めるが、やがて正気を取り戻し、あからさまに大きな安堵を漏らした。

 外人兄がへこへこと親子に対して頭を下げ終わった後、今度は夜市に感激の眼差しを向ける。

「侍ボーイ、いまの本当に凄かったぜ!」

「ありがとう、本当にありがとう!」

 外人弟にまで手厚い礼を頂戴してしまった。そんなつもりは無かったのに。

 あれはただ、勝手に体が動いたからそうしただけだ。自分が生きている理由とさして変わらない。

 出来るから、やっただけ。いまも昔も変わらない行動原理だ。

「なに暗い顔してんのさ、夜市」

 あかりに肩を叩かれ、夜市が正気に戻る。

「自分の神業で人助けしたんだから、もっと誇っても良いんじゃない? 夜市がいなかったら大惨事になってたかもしれないんだよ?」

「俺の……神業」

 あんなの、チェンジアップの球を打つより簡単だと思っていたのだが、どうやら他の人から見たら案外そうでもなかったらしい。

 途端に、訳も分からず顔が熱くなる。

「秋津さん。行こう」

「え?」

「なんかバツが悪い」

 あんな派手な真似をしでかした以上、聴衆にとって夜市はいまや好奇の的だ。突き刺さる視線の数々が痛くて仕方ない。ここで衝動の赴くがままに鼻を高くして声高らかに自慢していられる程、立風夜市もエンターテイナーの柄ではない。

 夜市はあかりの手を引いて早足で群衆から抜け出し、人目の少ない通りに出る。ここまで来れば視線の圧力はもう届かない。

 夜市は一息つき、疲労を顔に出してぼやいた。

「全く……何から何まで番狂わせだ、今日は」

「まあ、私は楽しかったけどね」

 あかりが向日葵のように眩しく笑う。

「もしかしてつまらなかった?」

「いや、楽しかったよ」

「その割にはくたびれてるっぽいけど?」

「遊び疲れたんだ。久しぶりだよ、こんなの」

 はっきり言って気疲れだらけの一日だったとは思う。何故か女の子から花瓶を買ってもらったと思ったら人生初のデートに突入し、挙句の果ては剣の腕前を公衆の面前で晒す羽目となってしまった。

 終始気が休まる間も無かった。けれど、得たものもそれなりに多かった。

「やれやれ。しかし次はもっと平穏なピクニックにして欲しいもんだ」

「次は大きな公園で、ランチバスケットでも持っていく?」

「あかりの手料理か。楽しみだな」

 さっきさりげなく下の名前で呼ばれていたので、こちらも同じようにさりげなく彼女の下の名前を差し込んでやる。

 あかりはさして気にした様子も無くはにかんだ。

「サンドイッチに挟む具は早めに注文よろしくね、夜市」

 気づけば、すっかり日は暮れていた。



 帰宅してからのあかりは、誰が聞いても気色が悪いであろう笑い声を漏らし続けていた。

 新品の花瓶を奢るというのはただの口実だ。この日における本懐はデートでしかなく、彼との親密度を上げる為の工作は色々尽くしたつもりだ。パフォーマンスでのアクシデントは少々予想外だったが、あれはあれでお互いをファーストネームで呼び合える良い景気となった。あかりにとっては至れり尽くせりの一日である。

 桃子が天然の男たらしなら、あかりは知略で男を嵌める悪女である。全ては計略の範囲内。

不確定要素すら味方として従えられる。

 これを爽快と呼ばずして何と表そう。

「さてと……」

 あかりは本日仕入れた品を前にして、腕を組んで考え込み始めた。

 単にこれは夜市とお揃いという理由で衝動買いしてしまったものだが、考えようによっては粋な使い方も視野に入れられるだろう。例えば、夜市が飾っているツキミソウの隣に、何らかの花を挿したこの花瓶を置くとか。結果的に道場にこの花瓶を寄贈してしまう形になるだろうが、あかり個人の趣味と言い張れば無理はない。問題は、この花瓶にどんな花を挿すかだが――

「まあ、いいや。今度佐々木さんにでも訊いてみよ」

 たしか以前、あかりが逃げ去る際に「あなたにぴったりの花が」みたいな事を言っていたので、彼女が覚えてさえいればすぐにでも用意してくれるだろう。

 急いで考える話ではない。いまはこの花瓶の事は忘れ、明日の学校の為にさっさと寝てしまおう。

 などと考えていたら、スマホに着信があった。相手は桃子からだ。

「はい、もしもし?」

『あかり? あんた、大丈夫? 誰にも襲われてなんかいないよね?』

「why?」

 電話口の桃子の声色はあからさまに狼狽で染まりきっていた。

「襲われる? 何の話よ」

『……無事ならそれで良いんだけど』

「だから、どうして?」

『あんた今日、立風夜市とデートしてたっしょ? 違うクラスの友達が、たまたま大道芸のショーを見てて、あんたがその立風君を彼氏とか言ってたって』

 なんと狭い町だこと、こちらのプライベートが筒抜けである。

「あれは場を楽しませる為の嘘でーす。そんな事で襲ってくる人なんて聞いた事がありませんよーだ」

『実際いたんだってば!』

「はい?」

『いまから七年前の話でね。イタリアから留学してきた男の子が、定時制の女の子と付き合い始めた事が原因でいじめを受けて、挙句には自殺したっていう話があるの。当時の記事を図書館で検索すれば一発だよ』

「全日制と定時制の生徒が付き合い始めたってだけの理由で? んな馬鹿な。それに七年前の話なんだし、いまさら有り得ないって」

『結構有名な事件だったんだよ? たまたま七年間何も無かったってだけで、近いうちに同じ事が起きたらどうする気?』

「心配性だなぁ。近頃はいじめも相当深刻な社会問題な訳だし? まあ、別に何の問題にもならないんじゃない?」

『あんたは逆に呑気すぎんのよ! もしあんたに何かあったら……』

「だから大丈夫だって。何かあったら教育委員会やら警察やらに駆け込んで、何とかしてもらうからさ」

『……なら良いけど』

 あかりの図太さ全開な態度に、何らかの諦めがついたらしい、桃子が渋々引き下がった。何か納得のしかねるところはあるのだろうが、彼女の心配はきっと杞憂に終わるだろう。少なくともあかりはそう確信している。

「じゃ、夜も遅いし切るね。また明日」

『うん……また、明日』

 桃子の心配そうな声を最後に、二人は通話を終えた。


 いま桃子が言ったあかりと夜市の噂に関しては幸運にもあまり広まらず、騒ぎ立てる程の大事には至らなかった。しかし、これは単にあかりの運が良かったからであると、この時の彼女はまだ知る由も無かった。


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