#1 The Autumn Square 4
「立風夜市。想像以上の遣り手らしいZE?」
脳天から大太刀の串刺しになった坂東勲の屍を尻に敷き、ドレッドヘアーのラッパーみたいな浅黒い男が陽気に言った。彼の名前は鏡星影夢。親の頭がアレでこんな名前を授けられた挙句、自分自身の素性でさえアレな感じになったという、もうなんだか名状しがたいアレ尽くしな人物である。我ら兄弟の中では三男だ。
「木刀に切れ味を与える程の太刀捌き……噂は本当のようですね、旦那?」
優雅な仕草でメガネを拭いていた、明るいグレーカラーのスーツを纏う細身の男こと真柴健吾が、白い着流しを着こなす禿頭の大男に尋ねる。
彼こそは井綱弦志。我ら殺人三兄弟『三叉槍』の長男である。
「腕が立つのは奴だけと限らんやろ。他に誰がおる?」
「唐沢一家の雅・ヒューイットとエリオ・ベルガメリ。ロシアのユリア・ザハロフと剣道小町・野桜緑子は同じ学校に通っているが、全日と定時で通ってる時間帯が違う。聞いた限りだといまのところはその程度ですかね。ま、後から続々増える予定なんでしょうが」
「まるで剣客のパラダイスだYO!」
星影夢がさらにハイになってブレイクダンスを始める。騒がしくするなら腰骨もブレイクしてしまえと思わなくもなかった。
次男坊の健吾は、二人を当たり障りも無く促した。
「記録は充分取れました。さあ、ここから早く離れましょう」
「この死体はどーすんだYO?」
星影夢が串刺し状態の坂東勲の死体をスマホのカメラで撮影しながら訊ねる。
「構わん、吹き飛ばせ」
「実は準備も万端だZE」
星影夢はあらかじめ用意していた、既に電源がオンになっている時限発火装置付きのダイナマイトを、転がっている勲の枕元に放り込む。
元々は夜市の実力を知る為に見繕った男子高校の剣道部主将だ。やらなければ恋人を殺すと言い含めて強制的に戦わせ、後になって脅迫を受けたと警察に駆け込まれる直前で始末した――完璧な筋書きだ。もっとも、この死体が後にもたらす更なる利益を、健吾はこの時まだ知る由など無かったのだが。
三人は何事も無かったかのように、あらかじめ決めていた路地裏のルートを辿り、街路樹の楓が舞う大通りに抜け出した。
「三、二、一――ほい、起爆」
星影夢の秒読みが終了。設定された時間通りに時限発火装置が作動し、起爆。
遠くで爆発音が轟き、炎と煙が立ち昇った。
秋津あかりの家庭が泥沼から脱却して早三年。両親の離婚は、あかりが神奈川の小学校を卒業した直後のサプライズだった。何を荒れていたのかは知らないが、父親が一方的に母親に対して暴力を振るっていたのがそもそもの原因だ。
あかりと母親は夜逃げ同然の様相で家を飛び出した。とはいえ、慰謝料やその他養育費についてなどの示談を弁護士の仲介によって済まし、離婚届も役所に提出して正式に受理されたその日の夜に飛び出したので、単にいきなり逃げ出した訳でもないのだが。
夜のバイトが終わった後、帰り道で偶然出くわした下校中の夜市にこの話を聞かせると、彼は少し苦そうな顔をしてこう訊ねてきた。
「そのクソ親父、中学三年間の君の養育費はどうやって捻出してたんだ?」
「払ってないの。自己破産したって」
「だろうな」
夜市がさもありなんと頷く。母への暴力に対する慰謝料を借金か何かで一括払いした時点で、あの暴力野郎の財布は既に塵一つ残っていなかったのだろう。だから自己破産して生活保護を受ける道しか選べなくなり、あかりへの養育費を踏み倒す口実を得られたのだ。
「俺の親は離婚こそしちゃいないが、親父はアメリカでソフトウェアの開発に勤しんでて、お袋はドイツでデザイナーをやってる。俺が中学時代までは、俺が義務教育課程にあるからって理由で日本に残ってくれたが、中学卒業して定時制への進学が決まった途端に、多忙と出世を口実に高飛びしやがった。四十超えてなおドリーマー気取りさ」
「大人になっても夢を追いかけられるなんて、ある意味凄いよね」
「てめぇのガキをほったらかしにしなければ、の話だがな。ボロアパート住まいの俺への仕送りは基本的に家賃と最低限の生活費だけ。他は自分で稼げって言ってた。さすが、資本主義国家で夢を追いかけるだけはある」
夜市は夜市で、親に対して何かを憂う心境に立ち入っているらしい。
「ま、世の中はそんだけ厳しいって話なのかね。君の場合、厳しいにしてもやり過ぎって感じはするけどな」
「全くだよ。私だって本当は定時制に入って、バイトと学業を無理なく両立させたかった。けれど、お母さんが「全日制に入れ」って言ったせいで、厳しくなっちゃった」
母親曰く、「大人の問題に子の咎はない」との事だ。夫婦のいざこざに巻き込まれたあかりが、低学歴に甘んじる必要も無いとして、母親は全日制への入学を後押ししたのだ。お小遣いも学費も何もかも、全て一人で何とかしてみせると彼女は息巻いていたが、結局無理を伴わせて一回体を壊しているので、あかりもバイトに手を出さざるを得なかったのだ。
「あんま無理はすんなよ」
「約束しかねるかな。もし私が駄目になりそうになった時、甘えても良いっていうんなら、話は別なんだけどな」
「辛くなったら逃避行でもしてみるか? きっと楽しいぜ?」
「あはっ」
夜市と二人で逃避行――まるでどこかの青春ドラマにでもありそうな展開に、あかりは思わず吹き出してしまった。恋に落ちた二人の男女がそれぞれの生い立ち、過去に絶望して、親しい仲である人や家族に何も告げずに、あてどない放浪の旅に出る。旅の所々で二人が愛を囁き合おうものなら、きっと夢見る乙女は身悶え、黄色の嬌声がお茶の間にやかましく響き渡る事請け負いな展開であろう。
「良い夢が見れそうな話だね」
「だな」
夜市は短く頷いた後、頭上の黒い海を見上げながら、嘆息混じりに続けた。
「覚めたら二度と戻れない、楽しそうな夢だ」
道中で夜市と別れてアパートの一室に帰宅したあかりが最初に目にしたのは、大量のビール缶で城壁を築き上げていた女王陛下――というか、母親の秋津絵美里だった。シルバーに輝くASAHIスーパードライの缶が、いまでも女子高生並みに小柄な絵美里の周囲をぐるりと取り囲んでいる。彼女共々、吹けば飛ぶ程には脆い光景だった。
「……何がどうなったらこうなるんだか」
「うい? あかりー? おかえりー」
へべれけ状態の絵美里が寝そべりながら手を振ってくる。いつにも増してかなりご機嫌な様子である。
「いやー、ごめんねー。最近お酒飲んでなかったから、ついねー」
「まあ、明日のご飯とか洗い物が全部済んでるみたいだから良いけど」
台所は食器一つ無く、炊飯器も明日の分の白米がセットされている。あとはあかりが夕飯を済ませて食器を洗っておくだけで、明日の負担はそこそこ減らされる。大量のビール缶については、そのまま缶のゴミとして纏めておけば問題は無いだろう。
「にしてもビール臭いぞー? いまは寝ても良いけど、起きたらちゃんとシャワー浴びてよね」
「わーってるってー」
「全く……」
まあ、絵美里も人の親である以前に一人の人間だ。たまにはこんな日があっても、自分を含めて誰も見咎める人間はいやしない。
「そーいや、あんた今日は随分遅かったじゃない。もしかしてー、男?」
酔ってるながらに鋭い勘を発揮させてくる絵美里であった。彼女の直感力を遺伝で受け継いでいないのは誠に残念である。
「バイトが終わった後、友達とばったりね。別にやましい事なんて無いよー」
「嘘つけー。顔が雌になってるぞー?」
「そりゃそうだ。私はいま十六歳の女子高生です」
「そうじゃなくて、なんかこう……発情期、みたいな?」
「桃子じゃないんだから、下品な事言わないでよね」
最近は男より女の方が下品な発言を躊躇しない世の中なのだろうか。どうせなら、夜市みたいにちょっとは大人しめに冗談を吐いて欲しいものだ。
「あたしもねぇ、あんたと同じ年の頃はロリコンほいほい――」
「寝ろ」
ビッチは親友だけで充分だ、と視線圧力だけで述べ、あかりは自らの親を黙らせた。