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秋風スクエア  作者: 夏村 傘
#1 The Autumn Square
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#1 The Autumn Square 3

小学生時代の立風夜市は天才少年だった。

 筆を取らせれば賢者、剣を握らせれば鬼神なり。剣道が盛んな中学校からは引く手数多とされ、しかも通っていた剣術道場でも十年に一度の逸材と持て囃された。誰もが羨む神に選ばれた子、というのはまさに彼の事を指すのだと、誰もが口を揃えて喝采を送ったものだ。

 でも、夜市自身にはまるで生きている実感が湧いてこなかった。

 勉強するのもやらなきゃいけないからやっているだけ、剣道をするのも単に才能があったからで、決してそこに執着心があった訳ではない。全ては出来るからやってるだけという、息をするのにも等しい理由のみでこなしている。

 空っぽな子。これが当時の夜市を的確に現す、単純な表現だった。

 故に、自分を羨む人もいれば、疎ましく思う人もたくさんいた。夜市は後者の煽りを喰らって、この四季ノ宮町に逃げざるを得なかったのだ。

 当時小学四年生の黄金時代。誰もいない路地裏での出来事だ。

 同じ剣術道場の上級生達が、掛かり稽古と称して複数人で夜市を袋叩きにした。正確には、自分に寄って集って剣を振りかざす上級生達を、正当防衛の名のもとに返り討ちにしてやった。

 本当ならそれだけで事は済んだ筈だった。自分と同期の門下生が一人、事情も分からずに割り込んでくるまでは。

 上級生複数人に対して暴虐の限りを振るった夜市を止めようとしたのは、夜市と同い年の女の子だった。通っていた学校こそ違うが、それなりに仲が良かったつもりの相手だ。お互いの趣味や、好きな花の名前だって知っている。

 そんな彼女は、暴れすぎて気が狂った夜市が最後の一人に止めを刺そうとしたのを止めようとして、夜市の剣の巻き添えを喰らってしまい、額に一生消えない傷を残してしまったのだ。

 夜市はその時以降、自分が生きる意味を本当に見失った。誰かを傷つけたり、誰かに疎まれたりするだけの力を持った自分という存在に、果てしなく絶望したからだ。

 だから夜市はあの町から去り、四季ノ宮に居を移した。

 心が完全に虚脱し、力だけが手のひらに残ったまま。

「おっす、立風君」

 日曜日の昼下がり。近所の剣道教室の道場でアルバイトに勤しんでいた夜市のもとに、秋津あかりが堂々と姿を現した。つい先日に妙な出会い方をした、四季ノ宮高校全日制の優等生である。

 ルックスは上々。スタイルも抜群。明るくて面白い、好奇心旺盛なところが玉に瑕な、有り体に言って良い女である。彼女には一週間ストーカーされたが為に色々気疲れする事もあったが、いまでは彼女との接触が数少ない楽しみの一つとなっている。

 夜市は道場の先生に会釈して壁際に移動し、入口に突っ立ったままのあかりを手招きして呼び寄せる。寄り合った彼ら二人の背後には、例のツキミソウが飾られた壁掛け式の花瓶が設えられていた。

「良いのか? 定時制のロクでなしなんかと絡んで。立場があるだろうに」

「ウチの学校はそういうトコ厳しいみたいだけど、詳しくは知らないし。いいんじゃない? 減るモンなんて何も無しですよ」

「俺だって詳しくは知らなんだ。ま、秋津さんが良ければどうでもいいけど。で、今日もただの見物か?」

「そ。どうせバイトは夜からだし」

 あかりは全日の優等生ながら、学業とバイトを両立させる頑張り屋さんだ。家が母子家庭らしく、可能な限り親への負担を減らす為、自分のお金は自分で稼がなければならないと躍起になっているのだとか。

 夜市は自然と苦笑して言った。

「うちの先生がおおらかな人で良かったな。普通だったら、ただの暇つぶしに来た見物客は突っぱねるところだろうに」

 うちの先生は人が良すぎるというか、妙に女子に優しいというか。前半は周知の事実なのだが、後半は果たしてあかりに伝えるべきかどうか。

 夜市のそんな思索を知ってか知らずか、あかりが呑気に言った。

「いやー、本当に良い人ですなぁ、ここの先生は」

「あんまおだてるなよ? 調子に乗るとビールを瓶一本分、まるで息をするように飲み干すから」

 釘を刺してから、子供達に素振りの指導をしている先生の仕事ぶりを眺める。

 梧桐正次。丸めがねと無精ひげが特徴的なアラフォーの優男。特技はビールのラッパ飲み。性格的にも面倒見が良く、地域の子供達には人気者として尊敬されている人物だ。もしかしたら、下手な小学校の教師よりも指導者に向いているかもしれない。

 ふと気づけば、隣のあかりとの物理的な距離が狭まっている。この状態をあの先生に見られたら、彼は果たして何と言うだろうか。

 この年代の女子特有の、鼻腔をくすぐる甘い香り。きっとシャンプーか何かの香りなのだろうが、どこか惹きつけられるエッセンスが混じっているように思えてならない。細くて綺麗な手足と端正な面立ち、均整が取れたゆるやかな体の曲面も相まって、総合的な色っぽさがこちらの感性を心地良くくすぐってくる。

 いかんいかん。何を考えているんだ、俺は。

「? どったの?」

「別に」

 あかりがぽかんと小首を傾げるが、夜市は努めて平静を装って返す。

 そんな折、再び道場の扉が開かれた。

「立風夜市はいるか!」

 騒々しく道場に足を踏み入れた厳つい男は、剣道の道着と袴姿だった。彼は手に携えた巨大な木刀を荒々しく振るい、周囲を威圧しながら喚き立てる。

「俺は坂東勲ばんどういさお。四季ノ宮商業高校剣道部主将! ここにこの町一番の天才剣士がいると聞いた。さあ、何処にいる!」

「あー、あの……君? あんまり騒がないで頂きたいんだが……」

 低姿勢を引っ提げ、正次が弱々しく応対する。しかし、坂東勲なる大男は彼の注意を視線の圧力だけで跳ね除けた。見れば、いままで元気に稽古していた生徒達も、壁際に寄って警戒と恐怖の眼差しを勲に浴びせている。

「ひっ……!? いや、そんな目をせんでも……」

「お前に用は無い。失せろっ」

 視線の次は、単純な暴力だった。勲は戦斧みたいな形をした大きな木刀を振るい、正次を一撃で打ち払ってしまった。

 剛力を正面から受けて宙に浮いた正次を見て、あかりと夜市は同時に目を剥いた。

「うそっ……」

「先生!」

 いまの一撃は相当堪えただろう、と思ったら、案外正次は無事だった。稽古の為に携えていた竹刀で咄嗟にガードしてから、浮いた体を上手く制御して着地。すぐさま身を縮めて防御の構えを作り出す。

 正次もいよいよ目を鋭くする。

「酷いなぁ……いきなりコレだよ。アラフォーの体をなんだと思ってるんだね?」

「はん! アンタも中々やるみてぇじゃねえか」

 勲が獰猛に笑い、鷹揚に木刀の刃を肩に乗せる。

「でもアンタの相手は後だ。俺が真っ先に戦りたいのは――」

「いい加減にしろよ、てめぇ」

 夜市は傍の壁に掛かっていた木刀の柄をしっかりと握り込んだ。

「人様の道場に不法侵入した挙句、ここまで舐めた真似をしたのなら、あんたの帰る場所は病院か豚箱の二つに一つだ。さあ、選べ。どっちがいい?」

「なるほど、聞いた通りの人相だ。お前が立風夜市か」

 勲は獰猛な笑みをそのままに、傲慢な足取りで夜市との距離を詰めに来る。

 刹那、勲の豪腕が閃いた。


 夜市を狙った木刀の一撃は空振りだけでは終わらなかった。あかりを抱えてすぐに木刀の射程から逃れたは良いが、軌道上にあった壁掛け式の花瓶が粉砕されてしまったのだ。生けられていたツキミソウの花も茎が折れ、無残に床へと落ちてしまう。

 夜市が大切にしていた、誓いと戒めの花だったのに。

「あ、花瓶が……」

「どうでもいい。君は道場の子供達を安全な場所まで誘導してくれ」

 当の夜市は思ったよりも冷静だった。本当はとても傷付いている筈だろうに。

「早くしろ。人の頭でスイカ割りなんて冗談じゃない」

「……っ!」

 あかりは夜市の体からすぐに離れ、壁際で怯えたまま固まっている子供達の避難誘導に取り掛かった。正次も開け放たれたままの出入り口から子供達を逃がす作業に集中する。

 とりあえずこれで周囲の安全は確保できた。後はあの不届き者如何だ。

「ちょこまか逃げるんじゃねぇ!」

 やかましい怒声と共に、勲の木刀が夜市の頭を狙って振りかざされる。夜市は頻繁に余所見をしたまま、相手の連続攻撃を無駄の無い身のこなしで回避し続ける。

 夜市の動きは神業じみていた。

 まるで風に舞う紅葉のように、ひらりひらりと相手の攻撃をかわし続けている。動作そのものは全く速くは見えないのに、常に最大速度で振るわれる勲の木刀は鋒すら掠りもしない。

 やがて子供達を全員道場の外へと送り出す。これで避難誘導が完了した。

「立風君!」

「ご苦労さん。後でなんか奢るよ」

 適当な口約束した直後、夜市の姿が突然霞んだ。

 次の瞬間。上下真っ二つに折れた勲の木刀の片割れが、道場の床にからんと落ちる。

「……え?」

 勲が壊れた得物の断面を凝視して呆気に取られる。

「斬れてる? 嘘だろ……!?」

「ほれ、もう一回」

 勲の背後に立つ夜市が、さらに木刀を一閃。次は勲の頬に小さな切り傷が入る。

「ひっ……!」

「さらにもう一回」

 驚いて振り返った勲の右肩にも一閃。道着の肩口が綺麗に裂ける。

「こいつはおまけだ」

 袈裟懸けの一太刀。道着の前身が斜めに裂かれる。夜市はこのあたりで木刀の鋒を下げ、停戦の意思を示す。

「これ以上居残るなら、俺はアンタの肉で刺身を拵えなければならない。それとも何か? 花はともかく、花瓶の弁償でもしてくれんのか?」

「こ……の……!」

 勲の顔が恥辱と怒りで紅潮する。こうなった人間の末路は、荒事に関わりが無いあかりでも容易に想像がついてしまった。

「ぬかせぇ!」

 すぐに想像が現実となった。勲は案の定、半分だけ残された木刀の柄を振りかざして突進してくる。完全にヤケクソの愚行だった。

 夜市は完全に呆れ果て、深く嘆息する。

「……予告通り、あんたの行き先は病院だな」

 呟き終えた直後には、頭上からは既に木刀の柄が降りかかろうとしていた。夜市からすると、はっきり言って隙だらけに見えただろう。

 夜市が木刀を一閃。得物を握る勲の腕が裂け、血風が宙空に舞い上がった。

 ようやく、相手の手から戦斧の柄が離れた。

「ぐ、ああ、ああ……!」

 勲が斬られた腕を抱えてうずくまる。白い道着も徐々に赤黒く染まり、彼の顔はびっちりと脂汗に支配されていた。息をするのも苦しそうだ。

「ふざけんな……! 俺の得物といい道着といい、木刀に刃なんてついてない筈なのに……!」

「そうだな。木刀に刃は付いてないし、あんたの腕に付いたそいつは切り傷じゃない」

 夜市は自分が握る木刀の刃を、空いている反対側の指先でなぞってみせた。

「簡単に言えば擦過傷さ。あんたは俺の木刀の鋒を受けて擦り傷を負った。あんたの得物も道着も、あまりにも鋭すぎる摩擦を受けて切断された。そんだけの話だ」

「そんな事が……」

「実際起きてるんだから認めろや。ほれ、出口はあっちな」

 夜市が木刀を延べ棒にして、あかりや正次らが控える出入り口を指す。勲は舌打ちし、腕を抱えたまま立ち上がって、思いの外あっさりと早足でこの道場から去っていった。

 彼が消えてしばらくして、夜市が穏やかな笑みをあかりに向ける。

「もう大丈夫、入ってきなよ。いつまでも外に出てたら体が冷えちゃうぞ?」

「…………」

 子供達があかりの横を我先と通り過ぎて道場に戻っていく中、彼女は夜市が見せた剣技の数々を脳裏で反芻しながら呆然としていた。

 紅葉のようにひらりと舞うような体術、木刀に真剣の如く切れ味を授ける神速の剣技。しかも扱う技の全てが紛れもなく危険な殺人剣として機能している。

 間違いない。立風夜市はただの剣道少年ではなく、本物の人斬りだ。

「人呼んで、『人斬り夜市』」

 いつの間にか横に立っていた正次が、腕を組んで穏やかな顔で告げる。

「彼にも荒れてる時代があって、そこで頂戴したのがその渾名だ。夜市君に絡んだ相手は例外なくあの殺人剣を喰らってる。ま、いまのところは死人ゼロだけどね」

 正次の言う通り本当に死人がいないのなら、夜市は常に殺人剣と呼ばれる技を加減して行使している事になる。だから逆に考えれば、その気になれば一撃で本当に人を殺せる技という解釈もできてしまう。

 たしかにインパクトは大きい――だが、いまは夜市の剣技よりも気がかりな事がある。

「さっきの人、まさか……」

 坂東勲なる男は名乗り出る際、四季ノ宮商業高校の剣道部主将を騙っていた。ちょうど、桃子が最近付き合い始めた彼氏の情報と合致する。しかもその情報を別にしても、ただ夜市と戦う為だけに下手に暴れて前科一犯の社会的ペナルティを負うのを覚悟で、わざわざこんな場所に乗り込んで来る道理が分からない。

 彼は一体、本当は何がしたかったんだろう?

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