#4 太陽と月の花 5
二人があの後向かったのは、学校。あかりが騒ぎに巻き込まれる発端となった、都立四季ノ宮高校だった。廃工場からは少し離れていたので、二人は無言で、何となく寄り添いながら長時間歩く事となった。
二人はやがて、保健室の前にたどり着く。経緯が経緯だけに、少しだけ躊躇うところもあったが、腹を決めて目の前の扉を横にスライドさせる。
小ぢんまりとしていた室内の奥に設えたベッドの上では、半ば放心状態の濃上桃子が上半身だけを起き上がらせて、窓の外をただぼんやりと眺めていた。
「桃子」
「……あかり」
精気を失った彼女の目には、既にこちらの姿が見えているかすら怪しい。あかりは彼女の傍まで歩み寄り、ただ黙って彼女の口が開かれるのを待った。
「彼氏がね、殺されたの」
か細い声で、桃子が語り始める。
「昨日の晩にメールが来て、串刺しになった彼氏の死体の写真が送られてきたの。本文には「秋津あかりを殺せ。さもなければ次に被写体になるのはお前だ」って。怖くて警察に連絡しようとしたら、また新しいメールが来て、「追伸、警察に連絡、もしくは他人に口外したら我々が秋津あかりとお前を殺す」って……もう何が何だかわからなくなっちゃって、殺されるのも殺すのも怖くて……!」
堪えきれず、彼女は涙と嗚咽を一緒に漏らした。
おそらく、彼女にその脅迫文を送ったのは、パソコンなどに長けた『三叉槍』の誰かだろう。夜市や緑子らの情報も周到にかき集めるような連中だ。桃子やその周囲に何らかの手が及ぶ可能性も考えられなくはない。
しかし、まさか桃子の十人目の彼氏にまで手を下すとは。
「ごめんなさい……あたし、あかりに嘘ついて、本気で殺そうとして……!」
桃子は「ごめんなさい」と何度も繰り返した。あかりが宥めている数分の間、ずっとだ。あかりにとってはもう過ぎた事で、事情が事情だったのもあってさして気には病まないのだが、桃子はしばらくの間、ずっと負い目を感じたまま生きていくのだろう。
しかし、この世に神が実在したとして、見ているだけで何もしない筈の役立たずがどうして一人の少女にこんな試練を課すのだろう。もっと言うなら、何で『三叉槍』の連中に都合の良いカードを配り続けたのだろうか。桃子の彼氏が死んだと聞かされた段階で、どうもあの三人にとって面白いように事が運ぶよう、イカサマ同然のシナリオが組まれていたとしか思えない。後から雅に聞いた話だと、『三叉槍』の作戦は大半が都合の良さそうな現地人を見繕って協力者に仕立て上げるという、まさに場当たりも同然な戦術で占められていたらしい。図らずもあかりの見立ては正解だったという訳だ。
この時ばかりは、天の配剤なんて嘘っぱちも甚だしいと忌々しく思った。
保健室を出て、外で待っていた夜市と共に学校を出る。早くユリア達や唐沢一家の連中に自分達の無事を知らせなければならないからだ。
二人揃ってしばらく無言で歩いていたが、ある折りに夜市が先に口を開く。
「俺は正直、『三叉槍』の連中を羨ましく思うよ」
「どうして?」
「善悪がどうあれ、自分達の目的ってのが決まってたからだよ。奴らはただ強い相手と剣を交えたいって願望に従った。そいつがどんな結果に繋がるとしても、だ。ただ自分の力を持て余して、目的もなくぷらぷらしてる俺からすれば、ああいう生き方ってのも案外アリかなって思えてくる」
「…………何だよ、それ」
あかりもこの時ばかりは、夜市が漏らした本音を心底素直に気に食わないと思ってしまった。思えば、騒ぎが始まってから終わるまでの間、何の役にも立たない代わりに誰も心配させまいと、ずっと鬱憤や恐怖を心の内に溜め込んでいたのだ。もう、何がきっかけで堰を切ってもおかしくはなかった程に。
立ち止まり、声が自然と震えてくるのも気にせず、あかりは思ったままの感情を吐き出した。
「羨ましい? 人の迷惑も顧みない殺人鬼が? 自分の欲望の為に色んな人を巻き込んで、殺して、私の友達を傷付けた奴の、何が羨ましいんだよ!」
「…………」
夜市が酷く怒られた犬のように頭を垂れる。多分、言い訳する気力すら湧かなくなっているのだ。
あかりは夜市の胸板に顔をうずめ、黒い羽織の襟を強く握り込む。
「夜市は自分の剣で私を助けてくれた。そんな剣に意味が無いなんて誰にも言わせない。だから、もう二度と自分の生き方に意味が無いなんて言わないで! あんな気が狂った連中を羨ましいなんて、もう二度と口にしないで……!」
「……ごめん」
夜市が泣きじゃくるあかりの背をそっと抱き寄せる。
「悪かった、もう言わないよ。約束する。だから、もう泣かないでくれ」
夜市が困り顔で宥めてくるが、しばらく彼の頼みは聞けそうに無い。涙を止めようと思えば思う程、何故か余計に苦しさが増しそうだったからだ。
数日ぶりに訪れた教室は、あかりを中心とした喧騒の坩堝と化していた。
「ねえねえ、秋津さん。秋津さんの彼氏が、通り魔を撃退したってマジ?」
「野桜先輩も悪い奴をやっつけたんでしょ? 定時制の子と一緒に!」
ついこの間、あかりを見殺しにしようとしていたくせして、本当に惚れ惚れするくらいの手のひら返しだ。個人的に人を見下すような趣味は無いが、このクラスメート達ときたら、全く以て見下げ果てた連中だ。
ここでの話題は、当然ながら『三叉槍』との大乱闘についてだ。大通りで派手に騒いでくれた『三叉槍』の三人を、夜市と緑子、ユリアの三人が撃退したと、四季ノ宮町全体で大きな噂になっているのだ。お陰様で全日制の生徒による定時制の生徒への偏見が一気に解消され、挙句の果てには夜市とユリアが英雄視される始末である。
しかし、あかりの知る事実からは半分程外れている。最終的にあの三人を葬ったのは雅とエリオの二人であって、特にユリアと緑子は星影夢を本当の意味で撃退した訳ではない。
あかりは頭の中で事実を反芻しながら、拙い愚者のステレオタイプみたいなクラスメートの質問攻めに適当な相槌を打って、この日は何とか乗り切った。校則そのものを変えられた訳ではないが、これでもう全日制と定時制の間に確執が無くなると思うと、案外これで良かったのかもしれない。
話変わって、桃子はあれ以来、以前までの元気が嘘みたいに暗くなっていた。彼氏を殺害され、脅されていたとはいえあかりまで殺そうとしたのだから無理も無い話だが、周囲から腫れ物扱いされているのは如何ともしがたい話だ。だからあかりはあれ以降も、ずっと変わらぬ態度で彼女と接し続けている。誰かがほんの少し優しければ道を誤る危険性は無いと、『三叉槍』との戦いで嫌という程思い知ったからだ。
あの三人のうち、井綱弦志は雅に問うたそうだ。
誰かがほんの少し優しければ、ワシはお前さんのようになれたと思うか? と。
弦志が言う「誰か」が誰なのかは知らない。けれど、人生の最初にそういう誰かを得られず、後になって流れ星のようにツキが巡り、事が全て自分の思うがままに運び、最後に最高の死を遂げられたのなら、もしかしたら天の配剤とは嘘ではないのかもしれない。あくまで彼らにとって、という話だが。
「ユリア!」
ある日の食堂。定期券で学食を頼んだユリアの前に、あかりと一緒にいた緑子が嬉々として駆け寄った。緑子とユリアはあの日における共闘を経て親しくなり、休日は恋人よろしくデートと洒落込む程の仲となったらしい。
噂では本当の恋人同士ではないか? などと囁かれているらしいが――
「傷は大丈夫?」
「もうすぐ完治するわ。でも、激しい運動は避けたいわね」
「ちぇ。ま、しょうがないか」
緑子がユリアにどんな『激しい運動』を期待していたのかは、あまり想像しないでおこう。彼女らには彼女らの世界がある。領土侵犯をこちらから仕掛ける理由も無いだろう。
それに、お互いが強者を求めている剣客同士なら、こういう形での通じ合いも、彼女らにとっては一つの終着駅だったのかもしれない。これで良かったのだ、きっと。
ところと日が変わって、とある放課後。
「あかりちゃんに似合いそうな花?」
帰り途中に、あかりは佐々木優香が勤めるフラワーショップに立ち寄った。明日の土曜日、ある場所に飾る為の花を選びにきたのだ。
「はい。初めてここに寄った時、たしか私に似合いそうな花があるって」
「ああ、それね」
優香がぱっと思い出し、すぐに店の奥に引っ込んでから例の物を持ち出してきた。特徴的な細い黄色の花弁と緑の茎。太陽のように咲くこの花は、誰からしても見間違いようもない、小さな向日葵の花だった。
「あかりちゃんのイメージそのものだから、直感的に浮かんだんだよね」
「これまた季節外れな……」
「人に似合う花に、季節なんて関係無いんだよ」
妙な説得力のある優香の言葉に、あかりは納得して財布の千円札に手を伸ばした。お会計が完了してから、優香がどこか楽しそうに呟いた。
「太陽と月の花……なるほどね」
「何か言いました?」
とは言いつつも、優香の呟きはきちんと聞こえていた。
太陽と月の花――明日の土曜日に飾られる花は、まさしくその通称で呼ばれる事となるだろう。この向日葵の横に飾られるとある花も、どこかの誰かさんがこの店で仕入れているのだから、優香が何かを察しても何らおかしい事はない。
来る翌日、土曜日。この町ではとりわけ有名な剣道教室。今日は休日の昼間なので、習い事に来た子供達がわんさかやってくる日だ。
あかりは夜市が道場の壁に設えたアクリルの細い花瓶の隣に、全く同じ形をした色違いの花瓶を掛け、そこに昨日買った黄色い花を飾る。この二つの壁掛け式の花瓶は、先日の夜市とのデートで購入したお揃いの品だ。自分の花瓶は衝動買いしたものとはいえ、こうして粋な使い道が見いだせたのは本当に僥倖だった。
隣り合う向日葵と月見草。太陽と月の花が、綺麗な彩を咲かせてこの道場を見守っている。
「太陽と月の花。まるで俺達みたいだな」
隣に立つ夜市が穏やかな面持ちで言った。この男とは少し前に交際を始めてからというものの、心から体までと全てにおいての相性が良すぎて、早い段階にして距離の置き方を真剣に悩み始めた程だ。とはいえ、あかりの方が既にこの彼氏の中毒に犯されているので、考え始めた頃には時既に遅しだったが。
「そういえば、ツキミソウの花言葉って何だっけ?」
「打ち明けられない恋、無言の恋、美人、移り気な人、うつろな愛……あとは、何だっけ? 自由な心?」
「じゃあ、向日葵は?」
「知らないで買ってきたのか」
「だって優香さんが私にオススメって言うから」
あかりをそのまんま表現したような花、みたいな話をされた以外は、向日葵に関して優香から得られた情報は何も無い。花と人物の相性で購入を決めるくらいなら、花言葉くらい訊いておけばよかった。
夜市は少し呆れたような仕草で肩を竦めた。
「それにしても、向日葵……ね。優香さんのセンスと知識に脱帽するよ」
「どういう意味?」
「私の目はあなただけを見つめる――だとさ。他にもあこがれとか、愛慕とか、熱愛とか――まあ、大半が君に当て嵌るのさ、こいつの花言葉は。なあ、元ストーカーさんよ」
「…………」
恥ずかしい過去を蒸し返しやがって、などと真っ先に反感を覚え、夜市の腹に肘打ちをかましてやった。
「……痛いじゃないか」
「ふーんだ。夜市のバーカ。もうちょっと女の子の扱いを覚えろってんだ」
わざとらしく彼からそっぽを向く裏で、たしかに向日葵は自分におあつらえ向きの花だったなと納得してみる。
それに、「昼の私と夜の貴方」という意味では、本当にあかりと夜市らしい花の組み合わせだとも思っている。
二人が「女の子の扱い」をテーマに押し問答を繰り広げていると、またもいきなり、道場の出入り口の戸が開かれた。二人は一旦論争を中止して振り返る。
現れた人物が「立風夜市は何処にいる?」と元気よくがなっているのを見て、夜市が面倒そうに片眉を釣り上げた。
「まーたこの手合いか。最近本当に多すぎ」
「どうする? 今度は乱暴な真似はしなさそうな人だけど」
「どのみち業務妨害だ。この手の人間はいい加減警察に突き出そうぜ」
「純粋に勝負を挑みに来た人にそんな事を言わないの」
あかりは近くの壁に掛けてあった木刀を夜市に差し出した。
「ほら、見せてあげなよ。夜市の剣をさ」
夜市の剣――誰かと通じ合い、大切なものを護る為に振るわれた、まさに彼の誇りとさえ言える、いまや立派な活人剣術。
この剣はこれからもきっと、誰かを活かし、そして自分を生かし続けるのだ。
「オーライ」
夜市は苦笑しながら、あかりから剣を受け取り、
「じゃ、行ってくる」
黒い羽織をたなびかせて、その身をゆったりと翻した。
これは昔ではなく、現代のお話。
とある小さな町で、一人の女の子が一人の剣客と出会いました。
二人は出会って間もなく仲良くなります。
女の子は他にもたくさんの剣客達と出会い、
彼らとも友達になります。
けれど、その時はまだ、女の子は知らなかったのです。
彼らとの触れ合いが、どのような結末に繋がるのかを。
そして、ここにもまた、新たな剣客と向き合う少年が一人。
「営業妨害かましておいて、鼻歌混じりでおウチに帰れると思ったら大間違いだぜ。あんたが取れる道は、この俺に完膚無きまでに叩きのめされるか、その剣が一撃でへし折られるかの二つに一つだ。さあ選べ! どっちがいい?」
女の子は遠くない未来、この物語の全てを本にして語り継ぎました。自分が見聞きした事の全てを、そして自分がこれまで触れ合ってきた人達の生き様を、少しでもいいから誰かの心に残しておきたくて。
ちなみに余談かもしれませんが、物語の最後はこう締め括られます。
己の剣に生き様を投影する剣客達の饗宴は、まだ終わらない――と。
了




