#1 The Autumn Square 2
「さて、君の目的を聞こうか」
立風夜市との第一接点は、思った以上に険悪なものだった。
「この一週間。人の後をコソコソつけてきやがった挙句、優香さんに妙な質問をふっかけてきた君の目的を。もちろん、本音でね」
「…………」
「Hurry!」
時刻は夜中の十時半。場所は人通りが殆ど無い路地裏。あかりが例によって彼の後をつけていたところ、気づかぬ間にこのような場所へと誘き出されてしまったのが致命傷となった。途中で夜市を見失ったかと思ったら、図ったかのように背後から彼が姿を現していまに至る、という訳だ。
夜市の眼光が天上の月光と反射して鋭さを増している。はっきり言って怖い。
「あの……怒ってます?」
「それは君の返答次第だな」
つまり、どの台詞でどの地雷を踏むかは全てあかり次第、という事になる。
「最初に言っておくがね、俺は君に害意が無ければ怒りはしないんだよ? もし君が俺の身に危険が及ぶような目的で尾行していたのなら、俺は君を膾斬りにしてしまうかもしれない」
「単にあなたに興味が湧いたから尾行してました。はい、おしまい」
命惜しさに、あっさり本音を吐いてみた。
「嘘つくんじゃねぇ」
あんたが本音を話せと言ったのに、そんなご無体な。
「さあ、本当の目的を話すんだお嬢さん。悪いようにはしないから」
「これから嘘を吐きます。あなたを暗殺する為に内部事情を探っていました」
「よし。そこに直れ」
夜市が指をゴキゴキと鳴らして腕まくりをする。だから、嘘だって言ったでしょ?
「駄目だこの人……話が全然通じない……!」
いよいよ自分の身に本格的な危険が迫っている事を悟り、あかりが三歩だけ後ろに下がる。とはいえ、距離が詰まっている以上はもう逃げ場など皆無なのだが。
さらば、四季ノ宮町。私はいまから雲の上に旅立ちます。
「さあ覚悟――しなくていいや」
「え?」
「今度こそピンチ招来だ」
夜市は殴打の構えを解き、彼の背後でずっと二人の様子を楽しそうに眺めていたスーツ姿の男性へと向き直る。
いつの間に居たんだ――そんな言葉が口をついて出る前に、夜市が機先を制する。
「せっかく良いところなのに、そんなにジロジロ見られたら恥ずかしいっすよ」
「おや? どうやら僕は本当にお邪魔虫だったらしいね。いやー、すまない」
快活に笑う男性は、少なくとも生粋の日本人でもなければ堅気でもなかった。アッシュブロンドの髪をポマードで撫で付けてオールバックをぴっちり決め、腰にはこれまた時代錯誤も甚だしい――日本刀らしき物体を吊り下げていた。
彼はアイスブルーの瞳をあかりに向けて言った。
「ああ、大丈夫。僕は通りすがりの見物人さ。決して危険人物ではない」
「じゃあ、その腰に提げた得物は何だ? なあ、雅さんよ」
夜市が肩を竦めて言った。
「勘違いしないでくださいよ? 俺は単に、ストーカーの彼女に対してちょっとした可愛い仕返しをしようとしただけです。決してあんたの目に余るような暴力沙汰を起こそうと思った訳じゃない。信じてください」
「君の性格はよく知ってるよ。でもね、悪戯も行き過ぎればただの猥褻行為なんだよ? ちょっと驚かそうとしただけでも、現代の女子高生はセクハラだ何だと大声で喚きかねないからね」
「……バレてーら」
魂胆を先読みされた夜市が落胆するような仕草を見せる。どうやら彼には本当にこちらに対する害意は無いらしく、ただからかってみようと思っていただけらしい。立風夜市、意外と可愛い奴である。
雅と呼ばれた男性は、またさらに愉快そうに笑う。
「ま、後は若い二人に任せるとしようか! 僕はここでお暇させてもらうよ」
「あ、あの!」
自らの意思に反し、あかりは咄嗟に雅を呼び止める。
「ん? 何?」
「あの……雅、さん……? でしたっけ? 以前、どこかでお会いしました?」
「いや? 僕と君は初対面の筈だよ? でもまあ、僕もこの町じゃ有名人だし? どこかしらで僕の顔を見ているのかもね」
彼はそれじゃ、と手を振り、すぅっと闇の奥に姿を消した。最初から最後まで、謎の多い男である。
この場に取り残されたのは夜市とあかりのみ。二人はしばらく黙りこくった後、互いに向かい合って、とりあえず無表情でにらめっこしてみる。
やがて、沈黙に耐えかねた夜市が言った。
「さっきの奴はな、この町を取り仕切る『極星会・唐沢一家』の若頭、雅・ヒューイットだ」
「組織名から察するに、頭にヤの付くヤクザの人ですね」
「言い回しからバカの匂いがするぞ。何だ、頭にヤの付くヤクザの人って。普通にヤクザでいいじゃん。君は曲りなりにも全日制の生徒だろ?」
「ウケ狙いです」
「そのドヤ顔、超腹立つ」
と言いつつも、夜市は心底楽しそうに笑った。
「そういや、君の名前を聞いてなかったな」
「え?」
「こんな事になったのも何かの縁だ。言ってみろよ」
何故か興が乗ったらしい、夜市がこちらの名乗り出を促してくる。相手は自分を尾行していたストーカーだというのに、呑気な奴である。
でも、そんな彼の人となりが、あかりの好奇心をさらに昂ぶらせる。
「秋津あかり。秋に津軽の津で秋津って読むの」
「そっか。了解、秋津さん」
夜市は満足そうに笑った。
「さ、帰ろう。色々あってもう疲れた。途中まで送るわ」
「え? いいの? 私、ストーカーだよ? 犯罪者予備軍の新米兵士だよ?」
「やめてくれ、俺をこれ以上笑わせるな。もう疲れたっつってんだろ」
楽しそうに、そしてどこかうんざりしたように夜市が笑う。多分、一週間に渡って自分が味わった不快感をぽかんと忘れているのだろう。ここまで切り替えが早い男子も珍しい。
二人は適当に下らない話をしてから路地裏を抜けて大通りに出る。すると、耳をつんざくようなクラクションがすぐ近くから鳴り響いた。
「? あ、さっきの」
「夜も遅いし、乗ってくかーい?」
先程ミステリアスに去ったばかりの雅・ヒューイットが、路肩に停めていた年代モノのセダンの運転席から陽気に手を振ってくる。まるで敵意を感じない、本当に人懐こい表情である。これでヤクザ者を務めているのだから、世の中は怪奇に満ち溢れているように思えてならない。
あかりと夜市は彼の厚意に甘えて、後部座席に乗せてもらう事になった。
走り始めから一分と経たないうちに、雅が唐突に訊ねる。
「立風君。最近、君の周りで何か変わった事は無いかい?」
「別に。俺と手合わせしたいとかいうもの好きの数が増えた事以外は」
「なるほど。僕と同じか」
雅の声が少し低くなる。
「最近多いんだよねー。僕のところにもちょくちょく来るんだわ、似たような客が」
「へぇ? あんたも人気者っすね」
「ただし相手が男ばっかりってのがなぁ……」
「何の話ですか?」
二人の話に、あかりが思わず口を挟む。雅はさして気を害した風も無く答える。
「この四季ノ宮町に、最近増えてるおかしな人種がいてね」
「どんなのですか?」
「剣客だよ、剣客」
雅が一語一句を強調してそう告げる。
「僕と立風君はこの町でも一等有名な剣の使い手でね。色んな地方や国から来た、剣の腕に覚えのある猛者共からは格好の餌って訳さ」
「どこの時代劇ですか……?」
「全くだ。強さを認められるのは別に悪い気はしないけど、抜き打ちみたく一方的に相手を申し込まれる身にもなって欲しいもんさ。おかげでたまにスケジュールが狂う事もある。同系列の組員との会合も一回パーになった時がある」
「俺なんて授業中、いきなり襲われたんだぜ? 勘弁してくれよ、全く」
どうやら夜市も夜市でかなり苦労しているらしい。
それにしても、剣客とな。
この日本は銃刀法に特別厳しい法治国家だ。故に拳銃は勿論、特別な折り紙が付かなければ日本刀の所持すら難しい。そんな時代で『剣客』と名乗るような物好きが、果たしてこの国で何人いようか。せいぜい公式のスポーツ競技である剣道の有段者が関の山だと思う。
そう考えると、夜市と雅は果たしてどのような意味で『剣客』と見做されているのか。少し気になるところではある。
ただの剣道少年、剣道青年ならその方が良い。
でも、それ以外なら?
「……立風君」
「ん?」
夜市が気だるそうに応じる。視線は窓の外へと投げかけられ、ただ通り過ぎるだけの無数のネオンに注がれている。さっきまでの愛想が嘘みたいだが、ヤクザ者がハンドルを握る車内では仕方ない事とも言えよう。
何故だか、訊きたかった事は胸先三寸に押し止められてしまった。
「ごめん。何か聞こうとしたけど、忘れた」
「何だそりゃ」
後にして考えると、訊ける筈が無かったのだ。
立風君は人を斬った事がありますか? なんて。