#4 太陽と月の花 3
顔には出さないものの、あかりの無事を一刻でも早くこの目で確認したいと焦る夜市に、ここは二手に別れようと提案したのは大正解だったのかもしれない。これでユリアは夜市の都合に釣られず、あの忌々しいラッパー野郎を心置きなく探し回る事が出来る。
ユリアが次に訪れたのは、見晴らしの良い裏山の公園だった。ここからは四季ノ宮一帯を快適に見下ろせて、何よりどう暴れても誰からもお咎めが来ない程には広くて人気が無い。しかもいまは平日の昼間なので、ここに来るのは大抵散歩中の老人か、もの好きな風景画家と相場が決まっている。
つまり、余程の事が無ければ誰もこないし、ここでどんな無茶をしようと邪魔はされない。戦いの舞台としては絶好のロケーションだ。
「OH、やっぱ考える事は同じかYO。スナイパー連中を撒いて来た甲斐があったZE」
「来たわね」
周囲を囲う林の影から現れたのは、案の定あの鏡星影夢だった。いつもの軽薄な笑みはなりを潜め、ただこちらの姿を視界の真ん中に収めている。
「ユリア・ザハロフ。俺の事が憎いか?」
「ええ。いますぐ殺してやりたいくらい」
絹の袋から愛用の薙刀を抜き出し、準備運動代わりに振り回して、鋒をただ一人の標的に向ける。
「ここで会ったが百年目って奴だわ。さあ、お好きなように抜きなさいな」
「余裕のつもりか?」
「あなたを徹底的に叩きのめしたいだけよ。そう、徹底的に」
「なるほど……ね」
星影夢が両腰に括りつけた小太刀の柄に両手を掛ける。
「上等だ。やっぱ、あんたを相手に選んで正解だったぜ」
「お褒めに預かり光栄ね。なおさら生かしておく理由が消えたわ」
外面では鉄面皮を保っているが、ユリアは内心で既に怒り狂っていた。
何が狙いか知らないけど、マスターを二度にも渡り襲撃した挙句、私の友達にまで手を出そうとしてくれた罪は万死に値する。最大の憎悪を込めて殺してやる。
二人が同時に動いた。先手は星影夢からだ。
電光石火の速さでこちらへと肉薄。一瞬で距離を詰めたかと思うと、既に片手の白刃がユリアの前髪を掠めていた。あと少し、半歩身を逸らすのが遅れていたら、額に第三の瞼を開くところだった。
隙間なく視界を埋めるような白刃の連撃が続く。ただし、このまま防戦一方を良しとする程、ユリアも決してお人好しではない。薙刀ごと回転して相手との距離を離すと、今度はユリアの反撃が始まった。木製の薙刀を大胆に振るい、相手に間合いを詰めさせないよう意識しながら攻撃を当てに行く。だが、星影夢も猿のような身のこなしでこちらの穂先をかわし、やはりユリアとの距離を詰めにかかった。
ややあって、星影夢の小太刀にこちらの刀身が直撃。すぐに更なる腕力を押し込むと、ヒット時の衝撃と相まって星影夢の体が大きく後ろに飛んだ。
この機は逃さない。よろめいた星影夢と距離を詰め、遠心力を加えた大振りの一撃を、彼の頭めがけて一閃させる。
だが、星影夢はその一撃を、ただ小太刀を一本、軌道上に添えるだけで完封した。
「なっ……」
「獲ったぜ」
最大最速の一撃を難なく受け止められた――驚いている暇はない。相手の反撃がすぐにでも飛んでくる。現に、動揺している間にも、日光に反射して煌く白刃の鋒がユリアの額を突き破らんと迫ってきている。
駄目だ、反応に体が追いつかない。
このままでは、獲られる……!
「小手ェ!」
鼓膜を切り裂くような気勢の爆発。いましがたこちらの額目掛けて飛んできた白刃の軌跡が真横に逸れる。星影夢がとりあえずといった調子で後退し、いましがた二人の間に割り込んだ丸っこい鋒を凝視する。
「何だ?」
「あなたは……」
どういう訳か知らないが、制服姿の野桜緑子が、竹刀を携えて二人の間に割って入っていたのだ。本来ならこの場に絶対来ないであろう人物の登場に、ユリアのみならず星影夢まで驚愕を顔に表していた。
「野桜さん? あなた、唐沢一家の屋敷にいたんじゃ……」
「さらわれた秋津さんを探し回ってたんだけど、思わぬ場面に遭遇したらしいわね」
「さらわれた? 何の話?」
「まあ、お話は後ね」
緑子が竹刀の鋒を星影夢に向ける。
「また会ったわね、ファンキー野郎」
「ほう? こいつは思わぬ幸運だな。狙ってた獲物が二匹共、目の前に揃いやがった」
星影夢がここ一番の歓喜を見せる。どうやらこの男、自分だけでなく、緑子の尻まで追いかけ回そうとしていたようだ。
「いいぜ。さっきは邪魔されたが、今度こそ3Pと洒落込もうや」
「悪いけど、あんたの望みは一生叶わない」
「同感だわ。あなたはただ潰されるだけなのよ」
こいつは私の獲物だ、と言っても緑子は引き下がらないだろう――彼女の本能を一瞬で理解したユリアが、隣に立つ緑子と目配せをする。
見えないやり取りの結果、二人の意見は合致した。
「綺麗な花には鋭い棘がある。鋭い棘には猛毒が仕込まれている」
「両手に花と思った? だったら勘違いも甚だしい」
果たして二人は、
「あなたはいま、両手に毒針を握りこんだのよ」
声を揃えて、告げた。
「……いいねぇ、最高だよ」
女だからこその決め台詞に心酔したのか、星影夢の面持ちに震えが走る。こういう時の狂戦士は大抵の場合、恐怖にも似た武者震いを覚えているのだろう。
「GO!」
合図と同時に、星影夢がユリアに迫る。右手の小太刀を薙刀の柄で受け止め、そりに触れて絡め取ろうとするが、星影夢が反射的に鋒を引いて、左手の小太刀を一閃。
ユリアが薙刀から右手のみを離し、相手の手首を掴み取る。あとは手首を強く内側に振ってやれば、関節の構造上、簡単に小太刀を手から弾ける。これもシステマで学んだ護身術の一つだ。
だが、相手はその手も読んでいた。信じられない事に、ユリアが相手の手首を強く振ろうとした瞬間に小太刀を放り、がっちりと歯でくわえ込んだのだ。
予想外過ぎる曲芸。ユリアの懐に隙が生まれる。
星影夢の右手が閃く。だが、刃はこちらに届かなかったどころか、頭上を回転しながら飛翔していた。原因はまたしても二人の間に割って入った緑子の竹刀による、精密な払い技だ。
「ちっ!」
星影夢が舌打ちし、ユリアの腹を蹴っ飛ばし、こちらの手首を掴む彼女の手を振り払う。体が自由になった彼が、回転しながら落ちてくる小太刀の一本を右手でキャッチ。口に咥えた一本も左手に戻し、いましがた飛んできた緑子の兜割りを、小太刀を交差させて一瞬だけ受け止め、下に受け流す。
さらに、星影夢が繰り出した鋭い足刀が緑子のこめかみに直撃。彼女の手から竹刀が離れて遠くまで飛び、体が横薙ぎに倒れ、それっきり動かなくなった。
「野桜さん!」
「隙だらけだ」
緑子が倒されて動揺したのが運の尽きだった。手元も見えない速さで投擲された星影夢の小太刀が、ユリアの右肩に直撃。鋒から十センチ程にまで食い込み、切り口の端からおびただしい量の血液が噴き出す。
あまりの激痛に泣き顔を晒す無様を犯さないで済んだのは僥倖だった。痛みを無視して刺さった小太刀を左手で強引に引き抜き、すぐさま駆け出しての刺突。戦闘続行不能な傷を負わされた上での、加速度が伴った最速の突きだ。小太刀のリーチが短いとはいえ、高い奇襲性故に回避は至難の業だ。
が、星影夢はまるでユリアの異常な行動を最初から知っていたかのように、突き出した手首を取り、鼻先が触れ合う距離までに顔を寄せてきた。
「野郎でもそうそう発揮しないド根性ぶりだ。賞賛に値するぜ」
「その余裕が命取りになるのよ。言ったでしょ? あなたは服毒してるのよ、既に」
「何……あっ!?」
ユリアの片手に薙刀が無いと知り、星影夢は自身が犯した致命的なミスに気付いたようだ。緑子が再起不能になった時点で彼女を戦力外と断定し、ユリアにターゲットを絞るという判断が勝負の明暗を分けた。
だからたったいま、既に復活していた緑子が、ユリアの薙刀を振りかざして背後から迫ってくるのを、全く予知できなかったのだ。
「くそったれ!」
「もう遅い!」
緑子の渾身の横薙ぎが、星影夢の側頭部を完璧に捉えた。彼の体はぶれた独楽のようによろめき、ぐらりとゆらめいてから膝を突き、地に伏した。
十秒くらい待ってみる。星影夢は起きなかった。
「……ふぅ」
緑子が溜まっていた緊張を一息と共に吐き出す。
「ユリアさん、傷は大丈夫?」
「問題ないわ。いま止血してる」
尻餅をつき、いつもは薙刀を収納している絹の袋で肩を縛り、ユリアも同じく緊張を解いた。
「しかし、咄嗟に気絶の演技とは。恐れ入ったわ」
「実は喧嘩慣れしているものでして……」
緑子が照れ笑いする。
実はユリアが刺突の瞬間、星影夢と接近して手首を取られたのはわざとだった。星影夢の視界をユリアの全身で塞がなければ、片手に持っていた薙刀を寝ている緑子の太ももに当てたのが相手にバレてしまうからだ。
緑子がそれを奇襲の合図と受け取って起きるかは、正直半信半疑だったのだが。
「中学時代にね、ゴロツキが集まる高校の剣道部からいちゃもんつけられて、袋叩きにされて犯されそうになったところを、すっごい強い女の警官の人が助けてくれてさ。だからあんな風に強くなれたらと思って、結構鍛えてるんだよ?」
「…………」
外見からは想像がつかない程には、割と野太い過去を生き抜いてきたらしい。思わず好感を抱いてしまった。
「なに楽しそうにお喋りしてんだ、コラ」
多少なりとも和やかだったムードを一転させたのは、まるで幽鬼のような凄絶な瞳を光らせる星影夢だった。彼は地獄の底から這い出るように立ち上がり、地に転がっていた二本の小太刀を再び手にした。
「まだ勝負は終わってねぇぞ」
「往生際が悪い程見苦しいって思わないの?」
緑子が忌々しそうに呟き、ユリアの薙刀を再び構える。ユリアがこの怪我では戦闘の続行は不可能だが、ダメージを負っているのはあちらも同じ。おそらく緑子の腕前なら、すぐにカタがつくだろう。
「はい、そこまでー」
いきなり拍手の音が二回聞こえたかと思ったら、どこからともなくアッシュブロンドの外人男性がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。まさか新手か? と疑ったが、緑子が素っ頓狂な声を上げた事でその心配は杞憂に終わった。
「雅さん!?」
「野桜さん、駄目じゃないかー。屋敷から抜け出したりなんかしたら。さっき連絡があって、すごい心配したんだよ?」
と言いつつ、雅なる男は笑顔を保ったままだ。逆に不気味である。
「いま立風君が秋津さんを探してる。彼女の事は彼に任せて、僕は探し人を君ら二人に変更したのさ。……で」
雅の態度が一変し、凄絶な眼光を湛えて星影夢を見遣る。
「僕も遊んでる余裕が無い。さっさと君を片付けるとしよう」
雅は左腰に提げた刀を右手で抜き放ち、右の懐に収めた自動拳銃を左手で抜き出した。あの拳銃はイタリア、ピエトロ・ベレッタ社製のベレッタM92FS。コルトガバメントに代わる米軍制式採用拳銃で、多くの映画やアニメ、漫画などにも登場している、この世ではグロッグやコルトパイソンに並ぶポピュラーな代物だ。
雅の抜刀を確認した星影夢が、いまの雅以上に物騒な眼光を光らせる。
「毎度毎度俺の邪魔ばっかしやがって……そんなに死にてぇのか、あぁん!?」
「女子高生二人に一回倒された君が吐く台詞かね」
「手加減してやったんだよ!」
星影夢の発言は負け犬の遠吠えではなかった。彼は先程以上の速力で地を蹴り、地の上を滑る燕のように駆け、雅へと鋭く肉薄する。
「早い……!」
「でも、それだけさ」
ユリアの驚嘆に余裕で応じた頃には、星影夢は真横に吹っ飛ばされていた。雅が放った回し蹴りが、彼の横っ面を薙ぎ払ったのだ。
続いて、左手の銃による連射。星影夢はすぐに立ち直り、銃弾の軌道から外れながら、しつこく雅に接近してくる。
今度こそ星影夢が小太刀による斬撃の嵐を吹かす。だが、雅は右手の大太刀で、まるでうるさい羽虫を払うかのような太刀捌きで相手の攻撃を弾き続けていた。
星影夢が大股で体を回転させ、雅の背後に回り込む。獲物を仕留める絶好のチャンスを得た星影夢の白刃が雅の背中に迫る。
が、次の一瞬で致命傷を負ったのは、なんとその星影夢だった。
「がぁ……あぁ……!」
腹に穿たれた黒い穴から鮮血が乱れ散る。彼の動きが、大きく鈍った。
「最大のチャンスこそ、最大のピンチってね」
振り返った雅のスーツが、動作と連動して大きくはためく。そこでユリアは、雅の背広に空いた穴を一個だけ発見する。一瞬でよく見えなかったが、どうやら背後に相手が回り込んだ時点で、雅はベレッタの銃口を脇の下に潜らせ、背広の生地越しに発砲したらしい。
雅の払い斬り。星影夢の片手から小太刀が弾かれる。
「この……クソがぁ!」
空いた片手で腹の銃創を塞ぎ、残ったもう片方の手に握られた小太刀で雅の喉元を狙う。しかし、雅が直前で相手の顎を蹴り上げ、続いて発砲。星影夢の腹に二つ目の弾痕が穿たれる。
さらに駄目押し。蹴り上げて浮き、銃撃でくずおれる相手に、雅は非情の前蹴りを放つ。さらに、倒れた動かなくなった星影夢の心臓に、躊躇無く刃をひと突き。
鮮やかで、見咎める機すら逸する程の手際だった。
雅が完全に生命活動を停止した星影夢の亡骸を数秒だけ見下ろす。そして地獄への餞別を、底冷えするような言葉に変えて贈与する。
「地獄の裁判長に伝えろ。僕が護る町は、何処よりも地獄に近いとね」
少なくとも日本より地獄に近い国なんてごまんとある――だなんて無粋な指摘を許さない程、雅が纏う殺気は修羅じみていた。
彼は物言わず空を仰ぐ小太刀二刀流の剣客から視線を外し、こちらに対しては平常時のにこやかな仮面を被る。
「ユリアさん。傷、大丈夫かい?」
「え……あ、はい」
改めて、ユリアはこの男の正体を再認識した。実は今日が初対面だが、彼が噂の雅・ヒューイットだ。この四季ノ宮では唐沢一家の若頭を務めており、剣と銃を両方使うという奇特な戦法で、裏社会の闘争剣戟をくぐり抜けてきた稀代の猛者らしい。
雅は呆然としているユリア達を置いて、一人くるりと背中を向ける。
「組の連中をここに呼んでおく。君達はそこで大人しくしていなさい」
「雅さんはどうするんですか?」
緑子が妙に不安げに訊ねる。すると雅は振り返りもせず、ただ淡々と答えた。
「残りのゴミを片付けにいく。なに、すぐ終わる話さ」




