#3 三叉槍 4
どうやら自分は大変な事態に巻き込まれているらしいと直感した頃には、小舘昭一は既に生殺与奪の権利を『三叉槍』とかいう犯罪集団に乗っ取られていた。
「あのー……これ、どうやって調べたんすか?」
「企業秘密だよ」
短く答えた真柴健吾が昭一に手渡したのは、四季ノ宮高校に通う全校生徒のLINEのアカウントや通常のメールアドレスが記載された、個人情報保護もへったくれも無いような違法性の高い資料だった。
「君が盗聴した音声記録も私の方で編集して、音質をよりクリアに補正してある。これで翌朝、まずは野桜緑子――まあ、ついでだから秋津あかりも釣り上げるとしよう」
「あの……そこまでしなくても別に良いんじゃ……」
まさかあの音声記録をこんな形で悪用されてしまうとは夢にも思わなかった。本当は定時制の連中と絡んでる事を示唆する音声をある程度の人数にバラ撒いて周囲に不信感を植え付けさせる事で、あかりをあの薄汚れた連中から引き離してやろうという、こちらからすれば言わば手痛い教訓のつもりだった。
けれど、世間を賑わすこの殺人集団は、全校生徒を巻き込む事で自らの宿願をかなえようと、こうしてこちらの悪戯を利用しようなどと画策した。これが堅気と筋者の違いなのか、と思わず戦慄さえ覚えてしまう。
「僕は単に、気になる子を間違ったところから引っ張り出そうとして……」
「浅はかにも程がある。だから日本の若者はレベルが低いと罵られる」
ビジネスマン風の営業スマイルが底意地の悪い色に染まる。
「君がどう思おうが関係無い。全ては結果がどうなっていたかです。もし君が我々と出会わずに、そのまま知っている生徒のアドレスに向けて音声記録を流してみたとしましょう。翌日、あなたが狙っていた秋津あかりは周囲から白い目を向けられ、避けられるでしょう。それが元で彼女に度し難い精神的苦痛を与えてしまったら? その結果、もしそれがクラス内でのイジメに発展したら? それで彼女が自殺しようものなら、あなたはどう責任を取るおつもりで?」
「そんな大げさな……」
「大げさなんかで済む話ではない。あったのですよ。数年前の四季ノ宮高校全日制で、似たような境遇に陥って自殺した生徒の物語が。奇しくもその故人は、我々が狙う剣客の一人、エリオ・ベルガメリの弟君だった」
もう昭一には、健吾が何を言っているのかが分からなくなっていた。いや、受け入れられなくなっていたのだ。剣客がどうとか、彼らの狙いとか、この際はどうでもいい。
信じたくなかった。自分が犯した軽はずみの行動が、誰かの首に死神の鎌を添える経緯の発端になるなんて。
呆然とする昭一に対し、健吾は邪悪な笑みを捨て、元の柔和な面持ちに戻る。
「ですが、君は実に運が良い。自分の罪を売り渡す先が偶然見つかったのですから」
精神的にこちらを追い詰めたかと思えば、甘美な誘惑をちらつかせてくる。まさにアメとムチの手口だった。
「君と我々は理想的な関係なのですよ。君は自分自身の罪を捨て去り、潔白となる。我々はさして思い入れの無いような小さい罪を引き取るだけで、明日の祭りに極上の花を添えられる。君の剛運も大概ですが、我々も中々に恵まれている」
どうやら本当に昭一と出会った事自体は、本当に偶然に偶然が重なった結果らしい――それが彼らにとっての利益に繋がると知った途端、昭一は心のどこかで安堵してしまった。
ああ、過ちも見方を変えれば、誰かの役に立てるのか、と。
例え、その使い道が善悪を越えた狂気の沙汰であったとしても。
「我々と共に、この町に歴史を残しましょう。我々はここに在りと叫ぶのです」
「歴史……僕達が……」
いきなり壮大な話になったな、とは思わない。けれど、こんなに胸が熱くなる話が、かつてこの十七年の人生の中であっただろうか。
裕福な家庭に育ち、不自由なく我侭を通し、権威で手下や女を侍らせ、親の金で好きなだけ遊び尽くせるような環境に、果たして血肉湧き踊るスリルはあっただろうか。
否。いまこの状況こそが、本当のスリル、本当の人生だ。
「僕は、何をすれば良いんですか?」
「素直は美徳です。では、ここに書いてあるアドレスやアカウントに対し、早速例の音声記録を流してください。文面の裁量は現代の若者にお任せという事で」
健吾は手近なバックからノートPCを取り出して昭一の前に置いた。最新式よりかは一歩前の世代の機種だが、扱いそのものに不自由は無いだろう。
「アドレスはこちらが事前に用意したフリーアドレスを使ってください。アドレス帳などのデータも全てその中です。私は少々、別の準備があるので席を外します」
健吾が言い残して部屋を立ち去る。多分、こちらを仲間と信頼して、逃げ出さないとでも思ってくれたのだろう。
なら、期待に応えてやらねばならない。
「もう後には戻れない。僕がこの町で一発カマすんだ」
もう被る罪が無い以上、好き放題にやっても咎める者はいない。
昭一は恍惚とした眼をそのままに、ノートPCの電源を入れた。
あんな浅薄な小僧っ子一人に高等な話術なんて必要無い。現に、あの程度の揺さぶりでも充分に効果はあった。
健吾は内心でちょろいな、と思いながらモーテルを出る。丁度、バイクで帰ってきたばかりの星影夢と鉢合わせになった。
「よう、健吾兄ぃ。坊ちゃんはどした?」
「クズの男子高校生から犯罪集団の雑用係に華麗なる転職を遂げた。これだから人生という奴は面白い。どんな巡り合わせで何が釣れるのか、期待しては夜も眠れない毎日だ」
「不健康な奴だZE。現代の日本は睡眠が命と等価って話だYO」
「全く、いつにも増して下らない国に成り下がったものさ。あの小僧も含めてな」
本当に、反吐が出るくらいレベルの低い国だと思う。物作りの技術と品質管理は毎度の事ながら見事なものだが、はっきり言ってそれだけだ。雇用制度にしても政治にしても、何より国民一人一人の質にしても、他国と比べたら怪しいにも程があると苦言を呈したい。
あの小舘昭一という少年一人とっても同じだ。遊びのつもりで仕掛けようとした罠が、後にどんな危険を誘発するのかを、真の意味で全く理解していなかった。しかもこちらがその危険性を諭してやっても自らが目を逸らし、必死に自分の都合の良いように解釈しようともした。さらに呆れた事に、これが筋者と堅気の違いなのだという、聞くに堪えない思い違いさえ抱いているようだ。これが出来る大人と害虫みたいなクソガキの違いだと諭してやっても、きっと自分の非は認めないだろうと思うと目眩がする。
だからこそ、あのような雑にも程がある心理誘導が成功したのだが。
「いまも昔も変わらんのさ、若さ故の過ちというのは。あの年頃には内心のどこかでピカレスクロマンの如きスリルを求める傾向がある。だからあえて彼の罪を引っ被った上で我々の行動に加担させる事で、彼の欲を満たしてやったという訳だ」
「あーらら、相変わらず考える事がエグいのね~」
「これが私の仕事だからな」
真柴健吾の経歴からすれば、ある意味当然の所業だった。
元は商社の優秀な営業マンだった。会社のクラブであるフェンシングにも精を出し、大手企業への移籍まで渇望されていたものだ。しかし、彼が持つあらゆる力に嫉妬した、どうしようもなく下らない人間達――言うなれば小舘昭一のような人間達――によってあらぬ嫌疑を会社からかけられ、結果的にクビに追い込まれ、大手企業への移籍もパーにされた。
あの輝かしい日常から重力の崩壊により転落人生へ。信じられない話だ。
けれど、どん底へと辿り着いた先に、井綱弦志という剣客が待ち受けていた。持てる力で唯一誇れるフェンシングの技術に目をつけた彼は、健吾にタイマンでの決闘を申し込んだ。
結果は健吾の惨敗。以降、憧れる程に強かった弦志に惹かれ、後に同じく人生のドン底へと叩き落とされた星影夢と出会い――
「健吾兄ぃ? どうかしたん?」
「あ、いいや。少し疲れているのかもな」
健吾は両目の間を指で揉んでから言った。
「少し買い物に出る。お前は明日に備えて早く休むといい」
「おお。いってら」
星影夢に見送られ、健吾は近くのコンビニへと足を向けた。




