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秋風スクエア  作者: 夏村 傘
#1 The Autumn Square
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#1 The Autumn Square 1

 #1 The Autumn Square



 命短し、恋せよ乙女。『ゴンドラの唄』という大正時代の唄の歌詞、その出だしだ。

 勘違いされがちだが、女性の命は短いから恋をしなさいという意味ではない。紅き唇、褪せぬ間にと続いているので、あくまで『乙女』であれる時間は限られている、という意味合いなのだとか。

 全くもって失礼な。女は生涯乙女だっつーの。

 と、若干十六歳の秋津あかりは一笑に伏したい気分になった。

「――でさー、その彼氏が男子校の生徒でぇ、何と剣道部の主将なんだって!」

「どーでもいいけど、何人目?」

「はい?」

「桃子の彼氏。これで生涯、何人目?」

「十人目!」

 隣を歩く濃上桃子のがみももこが、眩しい笑顔の前で両手の人差し指をクロスさせた。彼女が指で記した記号はX。ギリシャ数字では十を意味する。

 しかし、あかりにはどうにもそれがペケの記号にしか見えなかった。

「一人や二人なら自慢できただろうに、十は無いでしょ、十は」

「ロマンチストはモテないんだぞー? そんな事ばっかり言ってるから、あかりはいつまで経っても彼氏ができないんだよー」

 うるせぇ。私の事はどうでもいいだろ。

「小学生時代のブルガリア人に始まり、最終的には他校の剣道部主将。節操があるんだか無いんだか」

 濃上桃子はあかりの中学時代からの友人である。出会った当初から男遊びが激しいとの噂だったので、基本的には何処の馬の骨とも分からん男と連結してはパージしていようと驚くには値しなかった。しかし、当時彼女が付き合っていたのがフランス外人部隊出身の黒人と知った時には、そのあまりの奇天烈っぷりに目眩を催したものだ。

「あかりだって可愛いんだから、頑張ればデキるよー」

 これまた非常に胡散臭い物言いである。

「……もう突っ込む気もおきな――」

 嘆息をつき終える直前、秋風と共にあかりの頬に一枚の紅葉が掠める。ふいに意識が横に逸れ、いままで意識はおろか視認さえしていなかった人物の姿をはっきりと目視する。

 深くて暗い色の着流し。その上にくるぶしまで届く長さの、無地の真っ黒な羽織。まるで時代劇にでも出てくるかのような、言うなれば流浪の剣客みたいな風格の少年が、たったいま自分達の真横を通り過ぎたのだ。

 足を止めて振り返る。桃子も釣られて立ち止まる。

 視線の先に、その少年はいなかった。

「? あかり?」

「……桃子。いまのって、定時制の子かな?」

「いまのって?」

「なんか、お侍さんみたいな格好してた人。桃子も見えたでしょ?」

「全然見えなかったけど?」

「…………」

 気のせい、か? たしかに、横を通る彼の姿は見えた筈なのに。

「あかり、疲れてるんじゃない? バイトだってたくさん入れてるんでしょ? 少しは非番を増やした方がいいって」

「……そうだね。うん、そうしよう」

 隣にいた桃子の視界にも映らなかったのだ。ならば、気のせいという事にしておけば面倒は何もない。単に学業とバイトでスケジュールを詰め込み過ぎて、いままでに味わった事が無い類の疲労が溜まっているのだ。

 今日は丁度、バイトの公休希望表が出る日である。来月はほんの少しだけ、休みを多めに入れてみよう。バイト先でも学校でも、いままで時間が許す限り最善の対応に尽力したのだから、ちょっとやそっとの休日増加ぐらいで誰も自分を咎めたりはしないだろう。


 彼は決して夢や幻の存在ではなかった。何故なら、今度は桃子の視界にも映ったからだ。昨日と同じように彼女と下校している最中、あかりは彼と二度目のすれ違いを果たした。これであかりの過労疑惑が解消されたので、バイトのシフトを減らさずに済んだ事になる。

「あれってさ、立風夜市たちかぜよいちじゃね?」

 すれ違って少し経ってから、桃子は聞き覚えの無い人名を口にした。

「え? 知ってんの?」

「知ってるも何も、この町じゃ有名人らしいよ? 小さな剣道教室で、生徒さんの練習相手になってるっていう。しかも噂じゃ、かなりの剣豪らしいよ? いまの彼氏から聞いた事がある」

 剣豪とは何とも仰々しい称号だろう。いまどき時代錯誤も甚だしい。

「あ? 疑ってるな? この四季ノ宮の事情通・濃上桃子様の情報網を、よりにもよって一番近くにいたあんたが!」

「疑ってるっていうより……現実離れしてて実感が無いっていうか……」

 百歩譲って、私服が着流しに黒い長羽織の人がいるのは頷ける。しかし、そこに輪をかけたように剣豪という肩書きまで添えられているというのは、さすがに現代の女子高生たるあかりにとっては如何わしく思わずにはいられない。

 桃子は腕を組んで、何故か大げさに唸った。

「むむぅ……それにしても、まさか定時制に通っていたとは」

「桃子こそ、何でいままで気付かなかったの? あんな目立つ人、すれ違う機会なんていくらでもあったのに」

「噂では着流しにも違和感を感じさせないレベルで気配を消せるって話でさ。どうやら本当みたいだねぇ……」

 どこの忍者だ、それは?

「でもさ、定時制に通ってるって事は、ロクな奴じゃないんだろうね、本当は」

「そんな事は言わないの」

 桃子の言葉を聞き咎め、あかりが口をへの字に曲げる。

 あかりと桃子が通う四季ノ宮高等学校は全日制と定時制に分かれている。全日制は昼の学校――つまりは誰もがイメージする普通の高校――で、定時制は夜から授業が始まる特殊な学校である。定時制は冠する名の通り授業時間がパートタイマー制で、授業日数の少なさから卒業までには最低四年掛かるが、授業料の安さと授業内容のあくびが出る程の簡単さが魅力とされている。さっきの立風夜市の話も交えるなら、定時制に限り制服が無いので、常に私服で登校できるというファッション性も魅力の一つだとか。

 その分、生徒達の質は幾分か疑わしいとされている。いまの桃子の発言も、そういう偏見から来るものである。

「生徒の中には戦後で高等教育を受けられなかったおじいちゃんやおばあちゃんだっているんだから、失礼にも程があるでしょ?」

「むむ……返す言葉もない」

 あかりも人間なので、決して偏見が無いとはさすがに言い難い。とはいえ偏見ばかりに思考を踊らされるのも面白くないと考えるタイプでもある。だからこそ桃子の発言を聞き咎められる。

 同時に、その性格は強い好奇心に直結する傾向もある。

「立風夜市――面白そうな人」

「え? 何? あかり?」

 あかりが見せた好奇心の発露に、今度は桃子が不安そうに眉を吊り上げた。


 桃子の不安が的中した、と言えば聞こえは悪いだろう。立風夜市という奇妙な風体の少年に強く興味を惹かれたあかりは、バイトが無くて暇があれば、放課後の学校に居残って彼の姿をひたすら追っていた。夜の授業が始まってはさすがに不審者扱いされるのでそこは諦めるとして、授業が終わった後、あかりはただ彼を追う為だけに夜間に外出し、下校中の彼を尾行していた。時と場合によっては学校の授業を一つや二つ程すっぽかす事もあった。

 全ては溢れる好奇心を満たす為。他意は無い。これは決してストーキングではない。観察である。ストーカーは皆そうやって同じ事を言う、とか言われても断固否定する。

 自分に都合の良いように言い訳を並べ立て、かれこれ一週間。

 立風夜市に関する目ぼしい観察結果は三つ。一つは、彼が定時制の人間の中でも特殊な立ち位置にいる事である。

 この学校の定時制には『マイナス単元』という制度が存在し、通常の夜間授業の前に別の授業を履修する事で、三年で卒業するに至る単位の習得が可能なのだ。夜市はそのプログラムを受けており、月・水・金の週三日は通常の夜間授業よりも早めに登校するらしい。

 二つ目は、彼がバイトで通っている剣道教室についてだ。見た目はこぢんまりとしているが、町でも馴染みの有名な道場らしい。そこでの夜市の役割はいわゆる「戦えるサンドバック」。道場に通っている門下生達の練習相手として人気を博しているのだ。

 三つ目は、町のアイドルと仲が良いという、何げに浮ついた噂である。四季ノ宮高校の近くに店を構える小さな花屋さんの看板娘・佐々木優香は、この四季ノ宮町では男の引くて数多なアイドル的存在である。下は近隣の小学生から、上はこの町を仕切る極道者まで、数多くの男に口説かれているらしい。

 あかりはその噂を桃子から聞いて、すぐにその花屋さんへと直行した。丁度、問題の立風夜市と佐々木優香が親しげに何かを話しているのを目撃する。少しして、優香が薄い桃色の花を、夜市が現金をそれぞれ差し出して、互いに交換する。どうやら、夜市は普通に花を買いに来ただけらしい。

 夜市が軽い会釈をして、彼女の前からゆったりとした歩調で立ち去る。それから数秒後、電柱の陰に隠れていたあかりはすぐに優香の前に躍り出て、

「あの、お姉さん! 立風夜市君と付き合ってるって、マジですか?」

 オブラートなんざクソ喰らえ、といった勢いで訊ねた。

「えっ……ん、え……? あの……」

 対する優香の反応は当惑そのものだ。突然目の前に出現した女子高生に、開口一番でそんな質問をされて、戸惑わない人はまずいない。

 しかし優香は冷静になって事態を飲み込み、すぐに営業スマイルを復活させる。

「あの……もしかして、夜市君のお友達?」

「そんなところです」

 さらっと真っ赤な嘘を吐く私、超汚い。

「で、本当なんですか?」

「そんな訳無いじゃない、もー」

 優香が困ったように笑い、あっさり否定してきた。

「彼は常連さん。いまみたいに、たまにツキミソウを買ってくの」

「ツキミソウ?」

 花には詳しくないが、少なくともついさっき夜市が購入した花の名前である事は確からしい。

「夜市君にとっては苦い思い出なんだけどね」

 優香は頼みもしてないのに、何処か遠い目をして語り始める。

「昔の話ね。あの子はたった一つの間違いで、友達だった女の子の顔に、一生残るような傷を付けちゃったんだって。夜市君が買っていったツキミソウは、その女の子が好きだった花なんだとさ」

 思ったよりも重たい話だった。聞かせるなや、と思わなくもない。

「夜市君はその花を自分がバイトで通ってる道場に飾る事で、二度と同じ過ちを犯さないようにって、自分で自分を戒めてるんだと」

「…………」

 もう言葉も出ない。好奇心で彼のあれこれに探りを入れるのは、もうやめた方が良いかもしれない。

 優香はこちらの心情を察したのか、切り替えるように言った。

「あ、そうそう。話してるうちに、あなたに似合いそうな花が……」

「また今度にします」

「今日入荷した、この可愛い……――」

「さーらばー!」

 あかりは話も聞かずに、すぐに優香の前からエスケープした。彼女の押し売りに付き合うには、あかりの財布の紐は如何せん固すぎたからだ。


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