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 ローエンとガウエンの二人は、人喰いアカを討伐した山中にある山小屋を、取り敢えずの住居と定めた。そこは近くの村の持ち物であったが、アカを退治した事もあり、快く二人に小屋を貸し出してくれたのだ。

 そして、師弟の縁を結んだその翌日から、ガウエン(トマス)の修練の日々は始まった。だが、実際のところ、ローエンが教えるのは……。


「剣を振ってみよ」


 そう言うと、ローエンは一振りの剣をガウエン(トマス)に手渡す。


 この時代、どこの街にいる子供も兵士や護衛士に憧れ、幼い頃はチャンバラ遊びに興じる。ガウエン(トマス)もまた、ご多分に漏れず、近所に住むダンカンなどと良く、騎士や護衛士の真似事をして遊んだものだ。

 そして、この国の兵士等は剣を握りしめ、力業で振り回す者が殆どだ。だから、ガウエン(トマス)も見様見真似で、渡された剣を力一杯降り下ろす。


「堅いな、もそっと肩や全身の力を抜け。そのように力を込めれば、逆に太刀ゆきの速さは遅くなる。もっと軽く」


「力を込めず軽くですか……」


「そうだ。左の小指と薬指で剣を持ち、右手は添える程度。当たる時に、絞り込むように手の内を絞めよ」


「は、はい!」


「それとな、刃筋を常に意識し、当たる角度も考えるのだ」


 ローエンが教えるのはこの国にある剣術ではなく、東方の国々に伝わる刀術なる異質な剣術。

 しかし、ガウエン(トマス)は不思議に思いつつも、ローエンの実力は人喰いアカ討伐の折りに目にしたばかり。それ故に素直に受け入れる。

 といっても、教えるのは剣の握り方等といった基本となるもののみ。

 元々、ローエンの振るう剣は実戦で培った野獣の剣。他人に教えるようなものではなかった。

 それに……。


「剣は自得するもの。師の真似をしたところで、師を越えることは出来ぬ。己れだけの剣を自得せよ」


 これがローエンの持論である。そして、こうも言う。


「元来、剣を学ぶ者は遅くとも八歳になる頃には剣を手に取る。特に、後に剣名を轟かす剣士達は総じて、物心が付く四、五歳の頃には剣を振っていた者ばかり。剣士のピークを三十代と考えるなら……ガウエン、お前はその半分近くの年数を無為に過ごしていた事になる」


 ローエンの言葉を、ガウエンは愕然とした想いで聞く。剣を始めるのも既に遅いのかと、落胆していたのだ。

 だが、ローエンの言葉はまだ続く。


「そのような先達に追い付き追い抜くのは、並大抵ではない。もはや、同じような事をしても、らちも明くまい。己れ独自の、他人が真似のしようもない新たな刀術を打ち立てるしかあるまい。だがそれは、剣命を天に問う事となる。覚悟は良いな」


 基より、その覚悟はガウエンに出来ている。


 ――少しでも可能性が……希望があるならそれに掛けたい。


 ガウエンはその瞳に力を込め、無言で頷くのみ。


 こうして、ガウエンの修行の毎日は始まったのだが、しかしそれは、ローエンが「天命を問う」と言った通り、苛烈容赦のないものだった。


 ガウエンの一日は、日の出前の暗いうちに起き出し、素振りから始まる。しかし、その素振りはただの素振りではない。


 ローエンは街で安値のなまくらな剣を大量に買い求めてくると、ガウエンには最初から真剣での素振りを課す。しかも、足腰の鍛練もかねて、道なき山中を走り回らせる。途中にある樹木を敵と見なして、その横を駆け抜けながら剣を振るうのだ。

 最初の頃は走るだけで疲労困憊、とても剣を振るうような状態ではなかった。だから、剣は樹木に当たると刃は欠け、たちまち数十本の剣は折れ曲がり駄目にしてしまう。


「す、すみません。剣が……」


「ふっ、構わん。所詮は数打ち物のなまくら。幾ら潰しても困らん」


 ガウエンが申し訳なさそうに謝ると、ローエンは微かに表情を緩め、大量の剣を小屋の前の地に突き立てる。


「ほれっ、まだ沢山ある。今は、小手先の技など考える必要はない。どのような体勢からも、迅速に相手に剣を届かせる事だけを考えよ」


「……はぁ」


 もう少し派手な剣技を教えて貰えるかと思っていたガウエンは、どこか釈然としない表情を浮かべ返事をする。その様子を見たローエンは言葉を改め、ガウエンに言い聞かせる。


「剣に於いてかなめとなるのは、その速さにある。遅巧より拙速。いかに優れた技を持とうとも、速さが伴わなければ張り子の虎と一緒。何の意味もない。先ずは、剣の扱いを体に馴染ませ、誰にも負けぬ速さを身に付けるのが肝要と考えよ」


 師弟といえど、万事がこの通り。ローエンは手を取って教えるのではなく、鍛練の方法を指し示し、時折、助言を与えるだけであった。


 その鍛練も、ただ、ひたすら体を苛め抜く地味な作業の繰り返し。それを朝の日の出から、陽の沈む夕刻まで続けるのだ。普通の者なら数日で嫌気がさし、逃げ出すことだろう。しかし、もうこれしかないと思い極めるガウエンは、血反吐を吐きながらも愚直にやり続ける。


 ガウエンはまだ十代。その成長は著しく、目を見張るほどであった。鍛練の毎日が半年も過ぎる頃には、めきめきと体力を付け、剣を振るうコツのようなものまでつかみかけていた。


 ――踏み込む出足、腰や肩、肘も手首も、いや、それだけでない。軽く柄を握る掌の中の遊びまで使い、全身を連動させて、その勢いを剣先に乗せるのだ。


 その斬撃の速さは、剣を取ってまだ半年の者とは、とても思えぬものとなっていた。しかも、山中を走りながら剣を振るっているのだ。時には、障害に足を取られ体勢を崩す事もある。そんな時も、柔軟に対応して剣を繰り出すことが出来るようになっていた。

 辛い鍛練の日々ではあったが、確かな手応えのようなものを感じたガウエンは、心楽しくも思うのであった。


 ――もっと速く、もっと迅速に……。


 それはガウエン独自の工夫を凝らし、己れだけの剣へと昇華しようとさえしていた。


 そんなガウエンの様子を、ローエンは目を細めて見守っていたが、半年が過ぎる頃に新たな鍛練を課した。


 日中、山野をひたすら走らされていたガウエンだが、陽が落ちると闇夜の中で、ローエンと真剣にて対峙させられたのだ。



「剣士は感の目を鍛えねばならぬ。視覚や嗅覚、聴覚などの五感や、直感ともいう第六感はもとより、剣士はそれを越えた第七感を目覚めさせねばならない」


 ローエンは暗闇の中、容赦のない斬撃をガウエンに向かって放つ。その見えぬ斬撃を、己れの五感を総動員して捉え、躱さなければいけない。


「目で見るでなく、肌で、全身で感じるのだ。相手の気を捉え、剣の軌道を読み取れ」


 何とも無茶な注文である。実際、何度も、ローエンの繰り出す刃に、ガウエンは倒れた。時には、生死の境を彷徨う事も度々であった。


「ここで命を落とすようであるならば、ガウエン、お前の剣命はここまでだったのだ。素直に諦めるしかあるまい」


 ローエンの無慈悲ともとれる物言いに、ガウエンは奮起して、この闇稽古もやり通す。


 それ以外にも、一ヶ月に一度程度ではあるが、ローエンは近隣の街や村々から依頼を引き受けてきた。

 それは、人喰いアカのように人の手に負えない野獣の退治や、盗賊の討伐といったものが主であった。


「師よ、何故、討伐依頼ばかりなのですか?」


「ふんっ、面倒臭いからに決まっておろう。特に、護衛依頼など、なぜ、わしが他人に頭を下げねばならぬのだ」


 ガウエンの問いに、ローエンは憮然とした表情で答える。何とも、ローエンの狷介ともいえる性格を如実に現す問答であった。

 もっともそれは、生活費を稼ぐだけが目的ではなかった。


「実戦に勝る訓練は無し」


 ローエンは、ガウエンを伴い、率先して獣や盗賊達の相手をさせる。


 ガウエンが初めて経験したのは、盗賊の退治であった。

 それは、ガウエン達が住み暮らす山小屋近くの街からの依頼。郊外にある一軒家に盗賊達が巣くい、それを討伐する依頼だったのだ。


「剣を扱う者の中には、礼や品格などの精神論を語る者もおる。それを軽んじる積りはないが、所詮、剣は人を傷付け殺すための道具でしかない」


「……」


 そう言うローエンからは、殺伐とした雰囲気が漂う。そこに、ローエンの壮絶な過去を窺わせ、ガウエンは黙って頷くしかない。


「だから、実戦に於いては卑怯も何もない。勝者が全てだ。死んだ後に文句を言う事も出来ぬからな。剣を抜いて相手と向き合う時には、常に相手の虚を衝くように心掛けよ。相手に何もさせずに斬り捨てる事が、至上の勝ち方だと思え」


 まだ十代の純粋なガウエンには、相手の虚を衝くような卑怯な振る舞いには、僅かに反発を覚えてしまう。だが、長年その殺伐とした実戦の中に身を置き続けたローエンの言葉には、重みのある迫力を伴い、ガウエンの心奥に深く刻まれる。


 そのガウエンにとっては、初めての実戦になる盗賊退治の依頼。盗賊達の根城は郊外の一軒家といっても、元は商人の別宅であったらしく、かなりの大きさの屋敷であった。そこを拠点にしているのだ、盗賊団もかなりの大きさだと思えた。


 その近くで、初めての実戦に怖じ気付くガウエンであったが、その横でローエンは微かな笑みさえ浮かべていた。


「師よ、我ら二人だけで討伐を行うのですか?」


「他に人がおっては何かと面倒だからな。なぁに、相手は襲った商家を皆殺しにするような残虐な盗賊団。ガウエン、お前も遠慮なく暴れてよいぞ。ちょうど、腕試しが出来て良かったであろう」


 ローエンは、何とも人を食ったような返事をすると、すたすたと、気軽な様子でその屋敷に歩いて行く。それは、まるで近所に散歩にでも行くかの様子である。


 途端に、その屋敷の入口近くにいた見るからに柄の悪そうな男が二人、ローエンの前に立ち塞がる。


「おい、爺さん! どこに行くつもりだ」

「じじい、ここが何処だか分かってるのか、あっちに行け!」


 二人の男は、どうやら見張りのようであった。だが、隻腕隻眼のローエンを怪しみながらも、その蓬髪に襤褸ぼろを纏う姿に物貰いと思ったのか、頻りに手を振り追い払おうとする。


「爺さん、ここには何もねえぞ。他をあたりな」


 それでも尚、ローエンはにこやかに近付いていく。しかも、知り合いに挨拶するかのように気安く片手を上げる。


「おい、知ってるじじいか?」

「いや、知らねえな……」


 二人の男が、お互いの顔を見合わせ首を捻る。

 正にその時、男達がローエンから視線を外したその虚を衝き、ローエンが一足飛びに間合いを詰める。そして、神速ともいえる早業で、背に負う太刀を抜き放ち、その刃を二度閃かす。

 二人の男はあっさりと喉笛を掻き切られ、声を上げる間もなく絶命して崩れ落ちた。


 その間、瞬きする程の僅かな時間であった。ガウエンは、驚愕する思いでそれを唖然と眺める。


 ローエンは倒れる男達に目もくれず、屋敷の中へと飛び込む。ガウエンはそこでようやく我に返り、慌てて後を追い掛ける。


 屋敷に入って直ぐの部屋には、既に数人の男が血を流し倒れ、事切れていた。そしてローエンの姿は、もう見当たらない。

 何と、手際の良さ、素早さなのであろうか。

 ガウエンは驚嘆した思いのまま、恐々と倒れる男達の間を通り奥へと進む。

 屋敷の奥からは、ようやく侵入者に気付いたのか、大勢の者が発する物音や怒号が聞こえてくる。

 しかし、次に入った部屋にも男達が倒れるのみで、ローエンの姿は既にない。ガウエンも今はもう駆け足で進むのだが、ローエンには中々追い付く事ができない。部屋の中、或いは廊下にと、盗賊達が累々たる死屍をさらしているのだ。その大半が剣を抜く間もなく倒されている。


 ――正に疾風。


 屋敷内を吹き抜ける一陣の風となり、ローエンは駆け抜けていた。

 いや、盗賊達にとっては、吹き抜けた後に死が訪れる、ローエンという名の凶風であったのだ。


 屋敷内には五十人以上の賊が潜んでいたのだが、瞬く間に制圧され倒されていく。途中の部屋には何処かから拐われてきたのか、人質らしき人もいた。その部屋の中でも、盗賊のみを斬り捨てている。

 その咄嗟の観察力や判断力にも、ガウエンは驚く。そして何より、尋常ではないその速さに舌を巻く思いだったのだ。

 今更だが……。


 ――こんな事、見たことも聞いた事もない。僕はとんでもない人の弟子になったみたいだ。


 人喰いアカを退治した時にも驚いたが、今はそれ以上にガウエンは驚嘆していた。

 ローエンの名は、余り人には知られていない。知る人のみ知る伝説の武人なのだ。

 だから、一般の民であるガウエンも、ローエンの名は知らなかった。今日、ガウエンはローエンの凄さを改めて思い知らされたのだ。


 屋敷の最奥、少し広めの居間で、ようやくガウエンはローエンに追い付く。


 ガウエンが、その居間に飛び込んだ時、ローエンはちょうど四方を剣を持った男達に囲まれていた。それを、ローエンは流れるような動きで体を捻り転身させると、片手斬りに男達を撫で斬りする。

 そして、血飛沫を上げて倒れる男達の横を駆け抜け、最後に残った男の喉元に太刀の切っ先を突き付けた。


「おぉ、ガウエン。ちょうど良いところに来た。少し興にのり、斬りすぎたようだ」


 ローエンは疲れすら感じさせず、何事もなかったかのように、平然と言いきる。

 そして……。


「この男は、ガウエン、お前が相手しろ」


「えっ!」


 突然の指名に驚くガウエンを尻目に、ローエンは男に突き付けた剣をあっさりと引き戻し、とんでもない事を男に言ってのける。


「おい、お前がこのガウエンを倒すことが出来たら見逃しても良いぞ」


「なっ、何を……師は何を言ってるのですか」


 男はローエンとガウエンを交互に眺め目を白黒させていた。しかし直ぐに、喉元を擦りながら身構えると、掠れた声でローエンに声を掛ける。


「……本当だろうな。このガキをれば、本当に見逃してくれるのか」


「あぁ、まことだ。わしも剣士の端くれ。一度言った事はたがわぬ」


「そ、そんなぁ」


 ガウエンは抗議の声を上げるが……。


「これも修練の一環。剣士となる誰もが最初に乗り越える壁。見事、乗り越えてみせよ」


 師ローエンにそのように言われると、返す言葉もないガウエンは、覚悟を決めてその男と向き合う。


「俺も盗賊団を率いる、血濡れのヒューイと呼ばれた男。お前のような小僧はひと捻りしてやる」


 その男は盗賊団の首領であった。痩身に引き締まった体付き、頬に傷のある顔に酷薄な表情を浮かべる。そして、ガウエンを恫喝しながら、腰に吊るした剣を抜き放った。


 それに対して、ガウエンは額から玉のような汗を滴らしていた。剣を持ち一応は構えてはみたものの、緊張のあまりガチガチに体が固まっていたのだ。


 ――おかしい、こんな筈ではない。


 ガウエンにとってヒューイが見せる恫喝など、闇夜の修練で見せるローエンの殺気に比べたら、どうという事も無いもの。

 しかし、実際はどうだろう。相手の向ける剣を前にして、ガウエンは萎縮して身を竦ませていた。

 ガウエンは気付いていなかった。実戦に必要なのは、相手が放つ殺気を受け止める胆力もさることながら、己れも相手を殺すという覚悟が必要だという事を。ガウエンには、その覚悟が足りていなかったのだ。

 もはや息も上がり、満足に呼吸すら出来ない状態に陥っていた。


 そのガウエンの様子を見たヒューイは、「ふんっ」と、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。だが、油断の無い眼差しでローエンとガウエンの二人を見詰める。世の裏街道を歩いてきたヒューイにとっては、ローエンの見逃すといった言葉は、とても信用できるものではなかった。

 だから、何とか隙を見つけて、この場から逃げ出そうと考えていた。隻腕隻眼の怪物のようなローエンにはとても敵わぬと見て、ガウエンを軽くあしらう間に活路を見出だそうとしていたのだ。


「ガキにられるほど、俺は落ちぶれていねえぜ」


 ヒューイが剣を伸ばし、ガウエンの持つ剣の切っ先に軽く当て、「カン」と、乾いた音を辺りに響かせる。


「う、うわっ!」


 それだけでガウエンは慌てて、後ろに大きく飛び退く。


「なんだぁ、全くの素人のガキかよ」


 にやりと笑うヒューイは、一歩踏み出し、激しくガウエンを切り立て、庭へと続く出入口近くへと移動していく。


 着古した布の服を纏うだけのガウエンは、たちまち全身傷だらけとなり血塗れとなっていた。その姿に恐慌を来したガウエンは「ヒィ」と、短く悲鳴を上げ、滅多やたらに剣を振り回す。

 そこには速さや鋭さも無く、これまでの修練で得た経験等は何も生かさていなかった。ただただ、恐怖と混乱の中で、闇雲に振り回してるだけであった。


 ヒューイにとって、そんな素人の剣など恐れる訳もない。ガウエンから少し距離を取り軽くあしらいつつ、ローエンと出入口を見比べ隙を窺い、その時を待っていた。


 そして、その時は唐突にやって来る。


 気息も整えず、やたらと剣を振り回していたのだ。直ぐにガウエンの呼吸は乱れ、「ぜぇぜぇ」 と肩で息をはずませ、剣を持つ手は力なく垂れ下がる。


 ヒューイはこの時を待っていた。ガウエンと出入口が直線上に並び、この場から脱出する機会を。


「ガキがぁ、死ねえぇぇ!」


 ヒューイが素早く前に踏み込み、頭上に差し上げた剣をガウエンに叩きつけようとする。

 ガウエンを切り捨て、その余勢を駆って一気に庭から外に抜け出そうとしていたのだ。


 今までと違い、存分に力の乗ったヒューイの剣がガウエンに迫る。ガウエンはそれは眺め、ただ立ち尽くすだけ。

 あっさりと斬られるかと思われた時……。


「かあぁぁぁぁつ!」


 ローエンの気合いが居間に響き渡る。


 まともに殺気混じりの気勢を浴びたヒューイが、ぶるっと体を震わせ一瞬動きを止める。


 それに引き換え、ガウエンは闇夜の稽古で何度も浴びた事のある気勢。条件反射の如く、体が勝手に動き出す。

 振り下ろされる剣を体を捻って躱すが、体を前に投げ出すように大きく体勢を崩す。だが、そこで漸く山中で駆け回った修練が生きてくる。どのような体勢からでも繰り出される剣。

 一歩前に踏み出した右足が、崩れる体勢を踏みとどめ、必殺の一撃が繰り出された。

 下段から伸びる剣は今までにない鋭さをみせ、ヒューイの右脇腹に食い込み左肩へと抜けていく。


「げぇっ!」


 叫び声を上げた時には、ヒューイは絶命していた。斜めに切り裂かれた体が、二つに擦れ分かれると共に、前のめりにどおっと、地響きを立てて倒れた。


 途端にガウエンは吐き気を催し、胃の中にあった内容物が込み上げてくる。


「どうだ、ガウエン。初めて人を斬った気持ちは」


 ローエンの問いに、ガウエンは込み上げる吐き気で満足に答える事が出来ない。人の肉に食い込み切り裂く刃の感触が、未だに手のひらに残っているのだ。それを思い出し、更に吐き気が激しくなってくる。


「剣士とは、そういうものだ。常に死と向き合う。それは己れだけの事ではない。相手にも死をもたらす、何ともごうの深い生き様……それでもまだ、剣士を、強さを求めるか?」


 ――僕は……。


 ガウエンの脳裏に様々な想いが浮かぶ。


「戦闘に参加する訳でないから」と、笑って出掛けて行った父親の姿が……。


 骨と皮だけという悲惨な姿と成り果てた母親の姿が……。


 ガウエンを引き取り育ててくれた養父母の姿も……。


「許せ」と頭を下げ、爽やかに笑うアルベール侯爵の姿さえ……。


 そして何より……ユラの姿。


にぃ様のお嫁さんになったげる」と、無邪気に笑う幼い頃のユラ。

 侯爵家の別邸で、「兄トマスに代わって、この私が罰を引き受けます」と、神々しい輝きを放ったユラ。

 そして最後の別れの夜。

 少し大人びて、妖艶な雰囲気さえ漂わせていたが、少し震えていたユラ。

 出会った時の幼い頃から、別れの夜までのユラの姿が思い浮かぶ。


 ――ユラだけは必ず守ろうと思っていたのに……。


 ガウエンは、首からぶら下がる魔除けの鈴を、衣服の上からそっと触る。


 ――何にも負けない強さを手に入れたい。


 ガウエンは込み上げる吐き気を無理矢理おさえ込み、口中に広がる酸っぱい液体を嚥下えんかし叫ぶ。


「僕は、立ち塞がる運命さえも切り開く力が、強さが欲しい!」


 それは、ガウエンの想いの丈を込めた魂の叫びであった。


 それを聞いたローエンは「ふぅ」と短い息を吐き出し、悲しみとも喜びともとれる複雑な表情を浮かべる。しかし、直ぐに顔を引き締めると力強く頷いていた。


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