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 立ち昇る真っ赤な炎が夜空を焦がし、教会の壁をてらてらと橙色に染め上げる。村内に建ち並ぶ粗末な家屋は、殆どが茅をふいただけの簡素な屋根。一旦噴出した炎の波は、次々と周りの家屋の屋根に飛び火し、たちまち村内は炎の海に飲み込まれようとしていた。


「か、火事だぁ!」

「ひいぃぃぃ、だ、誰かぁ!」

「助けてくれぇぇぇぇ!」


 アルト村に響き渡るのは、悲鳴と助けを求める村民の声。村内に広がっていく炎の壁に、苦痛に満ちた恐怖の声が吸い込まれていく。

 これだけ大規模な火災に対処するだけの能力も道具も、アルト村にはなかった。一斉に燃え上がった家々に、村民たちは為すすべもなく逃げ惑い混乱するのみであった。


「油か、やつらは油を撒いて火をつけたのか……」


 村内の家屋は粗末といっても、石を積み上げた上に茅葺きの屋根を載せた家々。普通の火事なら、ここまで広がる事は無い。明らかに人為的になされたもの。

 教会から飛び出したガウエンは、目の前で立ち昇る火柱を呆然と眺めていた。


「見ろ! お前たちの成したことを!」


 背後から聞こえる荒々しい声に、ガウエンはハッと我にかえった。振り返るガウエンの目に映るのは、騎士たちによって地面に引き据えられた賊の娘。村の惨状を見せつけるかのように、ジェイクが娘の髪を乱暴に引き掴み、強引に顔を引き起こしていた。村の凄惨な状況に一瞬、娘は顔を歪め唇を噛み締める。が、すぐにジェイクを、侯爵を、そして、ガウエンを睨みつけた。その瞳の奥には、燃え盛る憎しみの炎が燃え盛る。 

 まだ十代にも見える年若い娘であるが、国の暗部に所属するだけあって冷酷非情、中々に情のこわい娘。どのように育てられたのやら……いや、さきほど、仲間や兄とおぼしき者が、目の前で討ち取られたばかり。今は、憎しみの方がまさっているのやも知れぬな。

 ガウエンがそんな事を考えていると、娘の態度に気付いたジェイクが声を荒げる。


「こやつめ!」


 激昂したジェイクが怒声を放ち、剣の切っ先を娘の喉元に突き付けていた。

 それを、侯爵が冷静な声で制止する。


「待てジェイク! 今はその娘に関わっている場合ではない。先にする事があるであろう!」


 そこまで言うと、周りで警戒する騎士たちに向かって声高に叫ぶ。


「我が騎士達よ!  すぐにも村の者を救出するのだ!」


 恐怖と混乱をもたらす炎の熱気と闇を、アルベール侯爵のよく通る声が切り裂いた。その自信に満ちた声が、周囲を一変させる。周りの状況、這い寄る恐怖に心を潰されそうになる騎士たち全てに、勇気を奮い立たせるには十分なものだった。

 一瞬、村の惨状に驚きの表情を浮かべるものの、すぐさま立ち直り周りの騎士たちに指示を飛ばすアルベールの様子に、さすがは民たちから英雄と褒め称えられる侯爵だと、感心するガウエンだった。

 しかし、そこに苦言を呈したのが、侯爵家股肱の臣であるジェイクであった。


「侯爵様、なりませぬ。今は御身が大事。いたずらに騎士を分けるのは感心出来ませぬ。ここは、全ての騎士たちに周りを固めさせ、村から脱出するのが……」


 だが、ジェイクが言い終わらぬうちに、侯爵が口をはさむ。


「ならぬ!」


「侯爵様!」


「ここは我が領地、領民は我が子と同じ。何故、我が子を見捨てていけようか」


  有無を言わせぬ侯爵の言葉に、ジェイクの表情は強張り固まる。


「……分かりました。おっしゃる通り、騎士たちには村民の救出に向かわせます。ですが侯爵様には、すぐにもこの場から落ち延びて頂きます」


 ジェイクもまた、これ以上は譲歩はせぬとばかりに、厳しい眼差しを侯爵に向けていた。

 しばし睨み合う、侯爵とジェイクの二人。

 その侯爵の腕を、傍らで寄り添うユラが引っ張った。ユラの腕の中に抱えられているのは、侯爵家の嫡子であるトマス。この騒ぎの中でもすやすやと寝息を立てる息子を、ちらりと眺めたアルベール侯爵の視線が、ユラの心配げに向ける眼差しとぶつかった。途端に、侯爵の口元から微かに嘆息がもれる。

 先に折れたのは、侯爵の方だった。


「ふむ……良いだろう。しかし、護衛の者は十人もおれば良かろう。それ以外は全て、村民の救出に回せ!」


「それでは、侯爵様や奥方様をお守りすのには少々……」


「いや、構わぬ。これ以上は認めぬし、それにこちらには護衛士の間でも、噂に名高いガウエン殿がおられる」


 そこまで言うと、侯爵はガウエンに向かって笑いかけた。


「ガウエン殿は、この後も我らを護衛してくれるのであろう。どうだ?」


 元々、ガウエンがジェイクから依頼されていた護衛の任は、ユラたちが侯爵に合流するまで。もっとも、ガウエンはユラが危地を脱するまでは見守る積もりではあったが。

 侯爵の傍らに立つユラが、懇願を滲ませガウエンを見つめる。それに重々しく頷くガウエン。

 それを見たジェイクが苦々しく表情を歪めた。もはや、ここでこうして悠長にやりとりしている時間も惜しいのだ。不承不承ながら、認めるしかなかったのである。


「アルフとウィル、それぞれ一隊を率いて村民の救出にあたれ!」


 ジェイクの指示に、騎士たちが未だ炎に巻かれる村内に駆け出していく。

 それを眺めながら、侯爵たちは燃え盛る炎を避け、まだ火が回っていない村外れへと急ぐ。

 侯爵家の周囲を十人の騎士が囲み、ジェイクが先頭に立つ。ガウエンは殿しんがりをつとめ、辺りや後方の油断なく警戒の目を向けつつ、足早に進む。

 そのガウエンの前には、『断罪の剣』の一味と思われる娘が、二人の騎士に両脇を抱えられ引きずられるように歩く。自害が出来ぬようにと、猿轡に両腕は後ろ手に縛られていた。

 その娘を眺めながら、ガウエンは不審を覚えていたのだ。

 教会への襲撃に、村内各所への付け火と、派手に動いていた敵の動きが、ここに来てぱたりと止んだのである。

 ガウエンでなくとも、不審に思うのは当然のことだったろう。


 ―― 罠であろうな。


 それが、ガウエンの正直な感想だった。

 村が炎に包まれたのも、騎士たちを分散させ侯爵の守りを手薄するための企みであり、全てが侯爵の性格を見越しての計略。教会を襲って来たのが、やつらの全てではないだろう。今こうして少数で、村から脱出しようとするこちらの動きすら読まれていると見るべきだろうなと、ガウエンは思っていた。

 侯爵やジェイクの二人にも、そのことは分かっているはず。それが、さっきの二人のやりとりに表れていたのだ。

 だからこそ、ガウエンも口を挟まず見守っていたのである。


 ―― もっとも、俺は一介の護衛士にしか過ぎず、口を挟む余地などないがな。

 

 自嘲気味に笑うしかないガウエンだったが、前を行く侯爵とユラの姿が嫌でも目に入る。

 まだ傷の癒えぬ侯爵を庇って、赤子を抱えながらも寄り添い肩を貸すユラ。僅かに表情を強張らせているものの気丈に振る舞い、意外としっかりとした足取りで歩いていた。それが昔と変わらず、内に秘めた芯の強さを表していた。侯爵が何か話しかけて、ユラが微かに笑みを浮かべて受け答える。その様子がいかにも自然で、ガウエンの表情を僅かに曇らせた。

 成長してもユラの態度や仕草は、昔と何も変っていない。ガウエンがまだ十代の頃、このトラッシュの街を飛び出すまでは、その全てがガウエンに向けられていたもの。今はただ、向けられる相手が変わっただけなのである。

 アルベール侯爵やユラとの間にある、埋めようのない距離を感じ、名状し難い寂寥感に包まれるガウエンであった。


 火事で怖いのは何も炎ばかりではない。赤く染まるかのような熱した空気と、辺りに充満した煙がもっとも怖い。周囲の視界は塞がれ、息をするだけで熱した空気に喉は焼かれ、吸い込んだ煙で肺は満たされ呼吸すら満足に出来ないのだ。


 燃え広がる炎だけでなく熱気や煙からも逃れるため、できるだけ風下をも避け一行は進む。

 周囲の視界が塞がれるこの瞬間が一番危ないと、ガウエンも油断なく辺りに目を配る。だが、どういう訳か『断罪の剣』は、一向に襲ってこようとはしないのだ。

 その事に、ガウエンが疑念を感じ始めた時、


「侯爵さま、あれを!」


 先頭を歩くジェイクが、鋭い声を発した。

 一行は炎に包まれる村から抜けだし、村外れにある少し開けた場所へと抜け出していたのだ。

 そこは、本来は農作物を集積する場所。しかし今は火除け地となり、炎から逃げ出した村民が集まっていたのである。

 そこにいるのは未だ恐怖に震え、身内や友人知人と抱き合う村民たちが約百人ほど。中には、酷い怪我を負い横になっている者もいた。

 しかし、これだけ大規模な火災にも関わらず、無事に逃げ出せた村民が半数以上いたことに、侯爵は安堵の吐息と共に喜色に満ちた声をあげる。


「おお、皆無事であったか」


 侯爵の姿を認めた村民たちが、慌てて立ち上がり頭を下げた。

 その様子に、周りで警戒していた騎士たちも、ホッと緊張を緩めた。

 だが、この地こそが『断罪の剣』が仕掛けた罠であり、侯爵一行の死地でもあったのだ。

 と、その瞬間、一行に襲いかかる漆黒の刃。


「侯爵様!」

「ユラ!」


 ガウエンとジェイクが同時に叫ぶ。

 侯爵に迫った刃をジェイクが身を挺して庇い、傷を負いながらも弾き返す。

 ガウエンもまた、ユラの前に駆け寄り刃を向ける男の首筋を断ち切った。

 だが、反応できなかった騎士の半数が喉笛を掻き切られ、血飛沫を撒き散らして転がった。


 村民たちの中に、『断罪の剣』の一味が潜んでいたのである。

 村の人たちも突然の火災に追われ混乱と興奮の最中、炎に照らされる薄明かりの中で余所者が紛れているのに気付かなかったのだ。

 侯爵たち一行も油断していた訳ではない。再度の襲撃が必ずあるはずと、警戒をしていた積もりではあった。だがしかし、炎の熱気から抜け出した事によって生じた僅かな隙。そこを、『断罪の剣』の一味に、上手く突かれたのである。いや、この場合は侯爵たちよりも、この手の仕事に慣れている、『断罪の剣』の方が一枚うわ手と考えるほかないだろう。それほど、絶妙のタイミングでの襲撃だったのだ。


 混乱して逃げ惑う村人たち。その中から一斉に立ち上がり、侯爵の一行を取り囲む『断罪の剣』の男たち。


「……にぃさま」


 背中に庇うユラから、震えの帯びた声が聞こえてくる。


「大丈夫だ。ユラは必ず俺が守る」


 力強い声で応じるガウエンであった。


 こうして、未だ燃え盛る村を背景に、ガウエンと『断罪の剣』との最後の決戦が始まろうとしていた。

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